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ルクスの怪我を治すためなんだもの。
うん。きっと。今度も、森は僕に力を貸してくれるに違いない。
僕にはそう謎の自信があった。
滝への道は、もう何回か通って、すっかり慣れていた。
怖いとも思わず、真っ直ぐに走っていった。
今は一刻も早く、ルクスの手当をしたかった。
あの代理は…アルテミシアにもひどいことをしたし…正直、あんまり好きじゃないんだけど。
それでも、あんなふうにリョウシュに痛めつけられていたのは、気の毒に思った。
リョウシュは、なんであんなことしたんだろう?
もしかしたら、あの代理は、あの部屋に連れてこられる前から、痛めつけられていたのかもしれない。
からだじゅう、たくさん怪我をしていたもの。
ルクスの怪我を治すための、ついでだし。
森はきっと、傷ついた人のためなら、水を分けてくれると思う。
アルテミシアだって、あの代理のことも、手当しようとしてたじゃないか。
走ったら滝にはすぐに着いた。
僕は土笛を取り出すと、静かに目を閉じて、滝の歌を聞いた。
やっぱり、何回聞いても、いい歌だなあ。
うっかりここへ来た目的を忘れそうになったけど。
慌てて、滝の歌に合わせて、笛を吹き始めた。
すると、滝は、すーっと細い蛇のようになって、僕のすぐ目の前に流れ落ちてきた。
と、ここまでやってから、はっとした。
僕、水を入れる容れ物を持ってきてない。
しまった。僕って、やっぱりまぬけだ。
慌てて引き返そうとしたら、そこにアルテミシアが壺を抱えて立っていた。
「…これは、なんだ?
君の秘術か?」
アルテミシアは目を丸くして、僕と蛇みたいな滝を見比べている。
それより早く、と僕はアルテミシアの手から壺を奪った。
ちょうど滝の着地するところに壺を置くと、滝は、そのなかに水を満たしてくれた。
なんて親切なんだろう。
お礼の気持ちを込めて、僕はまた笛を吹いた。
滝は壺をいっぱいに満たすと、また元の位置に戻っていった。
アルテミシアはもう何も言わずに、ただじっとそれを見ていた。
水をいっぱいにした壺を持ち上げようとすると、アルテミシアに引き留められた。
「あたしが持つ。」
僕は、自分が持ちたかったけど、ここはアルテミシアに任せることにした。
僕の力じゃ、水をこぼさずに、持って帰るのは難しいと思ったから。
アルテミシアは軽々と壺を抱えると、先に立って歩き始めた。
「君は、いつから、あんな秘術を?」
歩きながらアルテミシアは僕にそう尋ねた。
僕は首を傾げ傾げ、知っていることを答えた。
「あれは、僕の術じゃないよ。
滝に力を貸してもらってるだけ。」
「…滝は、どうして、君に力を貸すんだ?」
「だって、ルクスは森の申し子だもの。
ルクスのために、力を貸してください、って頼んだら、貸してくれるんじゃないかな、って思って。
実際に、やってみたら、貸してくれた。」
昼間のときは、滝が自分でルクスを見ていたから、自分から助けてくれたけど。
今は見てなかったから、それを伝えるつもりで笛を吹いた。
そう説明したら、アルテミシアは、ふーん、とだけ言った。
水を汲んで戻ったら、代理もルクスもそのまま待っていた。
やっぱり、歩けなかったんだ。
ルクスは頬の傷よりも、痛めた足のほうが辛そうだった。
アルテミシアはてきぱきとルクスと代理の手当をした。
代理もアルテミシアに手当をされて、ずいぶん楽になったみたいだった。
手当が済むと、ルクスは少女にむかって何か言った。
小さく頷いた少女は、一度どこかへ行って、鎧人を何人か連れて戻ってきた。
またひどいこと、されるんじゃ?
一瞬、それを心配したけど、鎧人たちは、代理を板に載せると、静かに運んで行った。
「どこか休めるところへ連れて行ってほしい、って頼んだんだ。」
ルクスは僕を振り返って説明してくれた。
「あのシヨウニンガシラは、あんまり皆からはよく思われてはいないらしいが。
それでも、同じ町の人間なんだしな。
これ以上は、痛めつけられたりもしないだろうよ。」
「ルクスは?大丈夫なの?立てる?」
僕はルクスに肩を貸そうとしたけど。
その僕の前に、すっと、アルテミシアが割り込んだ。
アルテミシアは、さっき壺を抱えたときよりもっと軽々と、ルクスのからだをひょいと抱え上げた。
「うわ、ちょ、やめっ!」
ルクスは焦ったような、短い悲鳴を上げて暴れたけれど、そこへアルテミシアの舌打ちが響いた。
アルテミシアの舌打ちを聞いたのは久しぶりだったけど、ルクスも僕も、反射的にからだがびくってなった。
「動くな。
怪我人は大人しくしろ。」
低く、迫力のある声でそう命じられて、ルクスはうっ、と唸ったっきり、大人しくなった。
アルテミシアはまだ部屋にいる少女にむかって、壺を指差して何か言った。
少女は大きく頷いて、アルテミシアに何か答えた。
「何を、言ったの?」
「明日の朝は、この水でお茶を淹れてほしい、と頼んだ。」
それは、助かる、な。
壺の水は、まだたくさん残っている。
「みんなも、この水を飲んだらいい、って言ってあげて?」
そう言ったら、アルテミシアは、それを通訳してくれた。
ルクスを抱えたアルテミシアと僕は、昨日泊まった部屋へ戻ってきた。
アルテミシアはルクスを寝台に押し込むと、僕を振り返って笑ってくれた。
「お腹、すいてないか?
今から苺、採ってこようか?」
「ううん。いいよ。」
苺なら、明日また、採りに行こう。
「もしかして、滝に頼んだら、苺もくれないかな?」
「君になら、くれるかもな。」
アルテミシアはそう言って僕の髪を優しく撫でてくれた。
ルクスの怪我は思ったよりもひどくて、翌朝になっても、まだ普通に歩けなかった。
アルテミシアと僕は、ルクスの怪我の手当をするために、また滝に水を汲みに行った。
滝は、まるで僕らのことを分かっているみたいに、僕らが行くと、壺をめがけて自分から飛んできた。
僕はびっくりしてしまった。
アルテミシアは急いで壺を地面に下ろしてから、滝を見ていきなり笑い出した。
「え?アルテミシア?どうしたの?」
「いやあ。君はいろんなモノになつかれるなあと思って。」
「なつかれる、って…」
まさか、滝は、誰かになついたり、しないよね。
「純粋な魂は、君に惹き付けられるんだろうねえ。」
「は、い?」
言ってることの意味が、よく…
「もちろん。ルクスだって、あたしだって。
魂が綺麗だから、君のことは大好きだよ?」
「あ……?」
よく分からないけど。
アルテミシアに大好きだって言われたのは、ものすごく嬉しかったから、よしとしよう。




