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僕らが滝でそんなふうに過ごしていたころ。
湖を調べに行ったアルテミシアは、湖の番人に捕まって、屋敷に連れて行かれていた。
滝から戻った僕らを待っていたのは、縄でぐるぐる巻きにされたアルテミシアと、そのアルテミシアに詰問するリョウシュの代理人、という男だった。
屋敷に戻るなり、僕らもいきなり捕縛されて、代理人の前に引き出された。
無理やり地面に膝をつかされ、見上げると、目の前に、鋭い刃先が突きつけられていた。
僕はびっくりして腰を抜かしたけど、ルクスは、淡々と、平原の民の言葉で何か言った。
すると、代理人は、少し驚いた顔をしてルクスを見返した。
ルクスは僕らを庇うように少し前に出て、また何か言った。
代理人はそのままルクスにいくつか質問をする。
それにルクスは淡々と答えていった。
ルクスと代理人が話しをしている間に、僕はこっそりアルテミシアを見た。
アルテミシアはとりあえず、どこにも怪我をしている様子はなかった。
けれどいつも背負っている小弓はなくなっていて、腰につけている袋もなくなっていた。
多分、取り上げられたんだろう。
アルテミシアは僕の視線に気づくと、かすかに笑って、ゆっくりと瞬きをして見せた。
ここは下手に僕らの言葉で話したりしたら、相手を余計に怒らせるだけかもしれない。
僕はどういうことか事情を知りたかったけれど、その気持ちをぐっと堪えて、ただ、答えるように瞬きをしてみせた。
ルクスはしばらく代理人と何か話していたけれど、代理人は、突然大声を出して人を呼んだ。
鎧をつけた人たちがぞろぞろとやってきて、僕らにかけた縄を掴んで立たせた。
「今はおとなしく従ってくれ。」
ルクスは小声でアルテミシアと僕に言った。
僕らは黙って頷いた。
僕らの連れていかれたのは、暗い地下の牢屋だった。
風が通らず、ひどくじめじめして、嫌な臭いがこもっている。
幸か不幸か、僕らは三人、同じ牢に閉じ込められた。
牢番の老人をひとり残して、鎧人たちはぞろぞろと去って行った。
こんな場所には、誰も長く居たくはないんだろう。
僕は声を潜めてアルテミシアに話しかけた。
「大丈夫?怪我してない?」
「ああ。大丈夫だよ。」
アルテミシアはちょっとにこっとして頷いた。
事情を聞きたいけれど、ここで話してもいいものか分からない。
すると、ルクスがアルテミシアに平原の言葉で何か言った。
アルテミシアもそれに平原の言葉で答えた。
どっちも表情も変えずに淡々と話している。
ふたりが何を話しているのかまったく分からなくて、とっても心細い。
だけど、ここはぐっと我慢だと思って、ただ、ふたりの表情から何か読み取れないかと、必死にその様子を見ていた。
しばらくすると、カチャカチャ、と金属の触れ合う音がして、誰かこっちにやってくる気配があった。
目を上げると、格子のむこうに、こっちにむかってせかせかと歩いてくる老人の姿が見えた。
さっきちらっと見た牢番の老人だった。
「これはこれは、お気の毒に。」
老人は顔の見えるところまで来ると、僕らの言葉でそう言った。
「尊い賢者様方をこのような目に合わせるなど。
まったくもって、どう申し上げてよいのやら…」
老人は大急ぎで牢の鍵を開けると、扉を開けはなった。
それから僕らを縛っている縄を順番に解いてくれた。
「さあ、どうぞ、お逃げください。」
僕らはどうしたものかと顔を見合わせる。
ルクスが代表して言った。
「ご老人。私たちが逃げてしまったら、あなたが責めを負わされるでしょう?」
老人は頑なに首を振った。
「私のことなど、構いますまい。」
「そうはいきませんよ。」
アルテミシアはちょっと苦笑して言った。
「それより、ご老人。あたしたちと話しなんかして、大丈夫なんですか?」
「ここには当分、誰も来ないでしょう。
だから、今のうちに、早く。」
急かすように言う老人を見ていて、ルクスは着ていたマントを脱ぐと、丸めて床に置いた。
「それならば、少し、話しを聞かせてください。
しかし、立ち話もなんでしょうから。
このようなところですけれど、どうぞ、座ってください。」
「なんと!
なんとまあ!」
老人は驚いたように丸めたマントを拾うと、丁寧に汚れを払ってから、ルクスに押し付けた。
「賢者様のお召し物に座ることなど、できるわけありません。」
「年を取った方を敬うのは、当然のことです。」
ルクスはもう一度マントを丸めると、ちょっと強引に老人をそこへ座らせようとした。
老人は慌ててマントを拾うと、もう一度ルクスに押し付けてから、急いで自分から直に地面に座った。
「私はこういたしますから。」
ルクスはちょっと苦笑してから、はい、と老人にむかって頭を下げた。
「どうやら、こいつが入ってはいけないところに入ってしまったみたいで。
けど、何か暴力を受けたとか、そういうことはなかったので。
とりあえず、リョウシュが帰ってくるまでここにいろ、ってことみたいですから。」
ルクスはアルテミシアにむかって、なあ?と聞いた。
アルテミシアは、小さく頷いて、面目ない、と言った。
そうなんだ。
僕も今初めてそれを知って、ちょっとほっとした。
僕ら、平原の民のしきたりは分かってないところもあるから、きっと、それに触れてしまったんだね。
けど、事情を話せば、分かってもらえるんじゃないかな。
老人は目を丸くしてアルテミシアを見た。
「賢者様に暴力など!
流石に、今の者もそれはいたしますまい。
それに、この間は、賢者様方のお蔭で、楽しいひとときを過ごすことができました。
長く澱んでいた町に、久しぶりに清々しい風が吹き渡ったと、皆、喜んでおりました。」
そうか。
町の人たちも喜んでくれたんだ。
それを聞くと、ちょっと安心した。
安心したら、少し、僕もこの目の前のおじいさんと話してみたくなった。
「僕らの言葉を話されるんですね。」
僕は恐る恐るおじいさんに話しかけてみた。
はい、とおじいさんは僕にむかってにっこりしてくれた。
「私たちの年の者は、みな、多少は森の賢者様方の言葉を話せます。
ご初代様は森の賢者様方のお知恵を学ぶため、私たちにも賢者様方の言葉を学ぶことを勧めたのです。」
しかし、と老人は少し顔を曇らせた。
「この町も、長らく賢者様の訪れがなく、賢者様の言葉を学ぶ必要などないと考える者たちも多くなりました。
なので、私たちよりも若い人たちは、賢者様のお言葉を話せる者は、あまりおりません。」
こういう話しを聞くたびに、つくづく思うんだけど。
僕らのご先祖様って、すっごく気紛れで、たま~に平原を訪れて、有難がられては、その後、延々行かなくて、忘れられるか、疎まれる。
もうちょっとマメに行っといてくれたらよかったのに。
まあ、ご先祖様にはご先祖様の事情もあるかもなんだけど。
「先ほどは、賢者様が流暢に平原の言葉をお話しなさるのを伺いました。
賢者様方も、私たちの言葉を話されるのですね。」
おじいさんにそう言われて、ルクスは、あー、あれは、と笑った。
「俺たちが俺たちにしか分からない言葉で、こそこそ話していたら、余計に怪しまれると思って。」
「さっき、何、話していたの?」
僕が尋ねると、アルテミシアはちょっと眉をひそめてこっちを見た。
「滝でびしょ濡れになって、焚火をして乾かしてきた、って。
苺も採ってこれなかった、って。
その話しを聞いていた。
君も、びしょ濡れになったんだろう?
風邪、ひいてないか?」
なあんだ。
僕はちょっと笑ってしまった。
なにか深刻な話しをしているのかと思ったけど。
そうでもなかったんだ。




