表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一つの楽園  作者: 村野夜市


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/239

62

少し具合がよくなったところで、僕はあの滝のところへ連れて行ってほしいとお願いした。

この部屋で寝ているよりも、あそこにいるほうが、楽になれると思ったんだ。

ルクスはほいほいと了承してくれた。

ちょうど苺を食べてしまったから、また採りに行こうと思ってたんだ、って言った。


すると、アルテミシアは、薬草を補充したいと言い出した。


「ルクス、あの崖をちょっと上って、これとこれを探してきてくれないか?」


アルテミシアは見本になる薬草をルクスに手渡して言った。

ルクスは面倒臭そうに薬草を受け取ると、ちょっと拗ねたみたいに言った。


「ちょっと上って、って、簡単に言ってくれますねえ。

 あの崖を上るのはこの俺にも骨が折れるんだが。

 へえへえ。姫君。承りましたよ。」


ルクスがそんな言い方するなんて、まだ少し、さっきのこと、引きずってるのかなあ。


「僕がたくさん飲んだせいだよね?

 ルクス、ごめんね。」


そう謝ったら、ルクスは、うっ、と詰まってから、いいってことよ!と格好をつけた。


「あの崖、あたしには上れないかな?」


アルテミシアは、真面目な顔をしてルクスに尋ねた。

ルクスは、あー、って顔になってから首を振った。


「いいから、それは俺に任せておけ。

 お前だって、そりゃあ、やればできるかもしれんけど。

 あの崖の下は、毒の水だ。

 万にひとつも、落ちたらシャレにならん。」


そっか。

ルクスはアルテミシアのこと、心配してるんだ。

それに気づいて、僕は思わず、にやにやしちゃった。


そしたら、ルクスに、ちょっと強めに髪をかき回された。


「おい。

 行くぞ。」


「あ。うん!」


僕はにやにやが止まらないままついていく。


「あたしはちょっと、湖に行く。」


アルテミシアは僕らの背中にむかってそう言った。


屋敷はそれはそれは広くて、そのせいか、シヨウニン、と出会うこともなかった。

勝手にうろついていたら咎められるかも、って思ったけど、大丈夫みたい。

僕らは難なく、あの滝のところへ行っていた。


「おい。笛を吹いてくれよ。」


滝に着くとルクスはそう言った。

それで僕は、昨夜、部屋で練習しようとしたら、大きな声に叱られたことを思い出した。

ルクスにそう言ったら、ルクスは、ふーん、と首を傾げた。


「けど、今、ここには誰もいないし。

 ここで吹いていても、屋敷には聞こえないだろ。」


そうかな?

僕にはここの水音は、屋敷にいても聞こえるけど。


「お前の笛、聞きたいんだ。」


ルクスは僕の目をじっと見て言った。

そんなふうに言われちゃ、断ることなんかできなかった。


「分かった。」


じゃあ、せめて、森の歌にしよう。

あれなら、うるさい、ことはないかもしれないから。


そういえば、あのうるさいって怒鳴った声、今朝聞いたリョウシュの声に似ていた気がする。

いや、まさかね。

リョウシュともあろう人が、怒鳴るなんて、そんな無作法なことするはずない。


僕は首を振って余計な考えを追い払うと、静かに笛を吹き始めた。


「もうちょっと、景気のいいの、吹いてほしかったんだけどな。」


ルクスはちょっとだけ不満そうだったけど、まあ、いいか、と笑ってくれた。


ルクスは僕をそこへ残して、ひとりで崖を上っていった。

掴むところも、足をかけるところも、ほとんどない崖を、ルクスは慎重に上っていく。

その器用さにはつくづく感心する。

僕は、ただ、ルクスが滝つぼに落ちませんように、と祈りを込めて、笛を吹き続けた。


こうして笛を吹いていると、胸の中が、しん、としてくる。

滝の水音と、笛の音だけが、僕の中に満ちていく。

それはこの上なく心地いい感覚だった。


ルクスに頼まれて吹き始めたはずだけど。

気が付くと、自分から望んで僕は笛を吹いていた。


うっすらと開いた目に、滝が見えていた。

滝の形はずっと同じなようで、実はそうじゃない。

次々と形を変えて、そして、二度と、同じ形はないんだ。


それに気づくと、僕は滝から目を離せなくなった。

ほんの一瞬も、滝の変化を見逃したくないと思った。

もうこのまま一生、僕はここで、滝を見続けているかもしれないと思った。


いつの間にか、僕は森の歌ではなくて、滝の変化に合わせて、笛を吹いていた。

僕の吹くのは滝の歌じゃない。

あくまで、主旋律は滝の音。

僕はただ、その滝の歌がより引き立つように、より際立つように、笛を鳴らす。


ルクスの竪琴を思い出した。

アルテミシアの歌は、伴奏がなくても、それはそれは綺麗なんだけど。

ルクスの竪琴が付くと、もうそれは、本当に、言葉には言い表せないくらい、素晴らしいんだ。


僕は、ルクスの竪琴みたいに笛を吹きたいと思った。

今、ここにある、あの素晴らしい滝の音を、言葉に言い表せないくらいもっと素晴らしくできるように。


すると、どうだろう。

形は常に変化し続けていたけれど、滝に流れる水の量は、ずっと同じなはずなのに。

いつの間にか、その幅が、少しずつ、少しずつ、大きくなっていったんだ。


いや、もしかしたら、この滝の上流で、雨が降っているのかも。

僕らの森の沢だって、上流で雨が降ったときには、今ここに雨が降ってなくても、水の勢いが増したりしたものだ。


それにしても、それはよほどの大雨なんだろう。

だって、滝の幅は、ずんっ、ずんっ、と大きくなって…

いつの間にか、崖の周囲に拡がって…


しまった!ルクス!


僕は慌てた。

ルクスは今、崖を上っている最中だ。

僕は大きな声でルクスを呼んだ。


「ルクス!

 滝が拡がってる!

 危ない!

 戻って!」


ルクスは滝の変化には気づいていなかった。

あ?と僕を振り返る。

その瞬間、ルクスのの手が握っていた小さな岩が、ぽろり、とそこから外れて落ちた。


すべては、僕の目の前で、ゆっくりと進行した。

え?と落ちた岩の行方を見るように、下を見るルクス。

その途端、バランスを崩して、狭い足場から片足が滑る。

慌ててルクスはもう片方の手を上げて、どこかを掴もうとするけど。

そこには掴めるものはなにもなくて、ただ、手を振り回しただけだった。


「ルクス!!!」


僕は絶叫した。

下に待ち受けるのは、毒の水だ。

アルテミシアが落ちたらいけない、ってルクスは言ってたけど。

ルクスだって、落ちたら、ただでは済まない。


そのときだった。


ゆっくりと、滝の水が、持ち上がった。

まるで、意志を持った、なにかの生き物のように。

そうして、落ちてくるルクスを、その背中に受け止めると、こっちの岸まで一気に流れ落ちてきた。


ざぶんっ!!


とてつもない量の水を一気に被って、僕は頭からびしょ濡れになった。

それでも、僕は、全身を使って、滝に運ばれてきたルクスを、必死に受け止めた。


「え?

 は?

 いったい、どうしたんだ?」


ルクスは何が起こったのか分からない、という顔をして、僕をじっと見つめていた。

僕はただ、無事にルクスがこの腕に帰ってきてくれたことだけ嬉しかった。


「よかった。ルクス。よかった。」


僕はルクスの胸に顔を埋めて泣いた。

ルクスは、しばらくは戸惑っていたみたいだけど、少しすると、はあ、助かった、のか?とため息を吐いた。


「しかし、なんだ?この滝は。

 不思議な滝だな?」


「ルクスを助けてくれたんだ。

 お礼を言わなくちゃ。」


もしかしたら、突然、滝が大きくなり始めたのも、ルクスを助けるためだったのかもしれない。

僕はそれをルクスに話した。


「…滝が、大きく、なった?

 そうして、俺を、助けて、くれた?」


ルクスはなんだか、信じられない、という顔をしていた。


「きっと、この崖の上には森があるんだ。

 だから、ルクスのことは、森が助けてくれたんだよ。」


そうに違いないと僕は確信した。

だって、ルクスは、森の申し子だから。


「ルクスは、森に守られる人だもの。」


昔、郷にいたころ、そんな話しを聞いていた。

ルクスは小さいころ、何度も森に助けられたんだ、って。

高い木から落ちたときには、蔓がからまって助けてくれた。

迷子になったときには、ヒカリゴケが道を教えてくれた。

そんな逸話を、ルクスはいくつも持っていた。


「やっぱりルクスは、いつか、選ばれし森の王になる人なんだよ。」


選ばれし森の王。

それは、族長のなかの族長だ。

一族ごとにばらばらに暮らす森の民の、すべてを統べる王様。

森の民全員を守ってくれる頼もしい存在だった。


「すごいよ、ルクス。立派だ。」


僕はちょっと眩しくて、目を細めてルクスを見上げた。

ルクスは僕のマントに気づいて、お前、ずぶ濡れだな、と言った。


それから僕らは火を焚いて、僕らの服を乾かした。

僕はまったく中まで全部ずぶ濡れで、服を全部脱がなくちゃいけなかったから、アルテミシアがここにいなくてよかった、って、ちょっと思った。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ