55
その夜は寝床で、あの歌を頭のなかで、何回もおさらいして寝た。
そのせいか、夢の中では、僕はまた花たちの声が聞こえるようになっていて、そうして、一緒に笛で歌っていた。
楽しくて嬉しくて、あの辛い出来事は全部夢だったんだ、って夢のなかで思っていて、そうして、僕はぼろぼろ泣いた。
だけど、目が覚めたら、やっぱり歌は聞こえなくて、ただ、ぼろぼろ泣いた跡だけ、残っていた。
みんなもう起きていて、朝食の支度も整っていた。
僕は寝坊してしまったことを謝りながら食卓についた。
だけど、ルクスとか、実はほとんど寝てないんじゃないかな。
昨日、僕の寝るときにはまだ寝てなかったし、今朝も一番早起きだったらしい。
ルクスって、いつもすごく元気だし、僕なんかよりずっとからだも強いけど、ときどき、無理してるんじゃないかって心配になる。
なんてこと、言ってみても、俺は大丈夫だ、って笑うだけなんだけどさ。
手早く朝食を済ませると、僕らは馬車で出発した。
今日は、馬車には幌をかぶせず、僕らもすっぽりと頭から覆うマントをつけただけで、荷物の隙間に隠れたりはしなかった。
町を覆っていた黒い靄は晴れていて、近づいても、あの嫌な臭いは感じなかった。
これって、あの、アルテミシアの術のおかげなんだろうか。
僕らの馬車が町へ入って行くと、いろんな人たちが、こっちのほうをじろじろと見た。
中には僕らのことをあからさまに指差して、なにか、ひそひそ話しをする人たちもいた。
歓迎は、されてないんだろうな、って、そのくらいは僕にも分かった。
でも、多分、これが、平原の民の普通の反応なんだ。
あの村の人たちが、ちょっと特殊なだけで。
僕らは、そのことを改めて思い知らされた。
昨日、ピサンリとルクスが話してきた人が、僕らのことを出迎えてくれた。
にこにこした優しそうな平原の民だった。
僕らは彼の案内で、町の広場らしきところへ連れて行かれた。
そこには、彼の仲間らしい人たちが何人か待っていた。
年のころも様々で、若い人も年寄りも、男も女も、子どももいた。
彼らは、いくつかの家族のようだった。
彼らの話す言葉は全然分からないんだけど、彼らはみんなにこやかで、親切そうに見えた。
ルクスやアルテミシアは、彼らとも親し気に言葉を交わしている。
その様子を見ていても、彼らが僕ら森の民に対して、友好的なのは分かった。
ちょっと村を思い出した。
彼らは広場にテントのようなものを立てていて、そこには簡易的な竈や、調理台のようなものが用意してあった。
大鍋やナイフ、それから、食材もいろいろ、準備してあった。
これから、なにか、料理でもするのかな?
ルクスとアルテミシアは馬車にいっぱいに積んであった保存食を、せっせと下ろし始めた。
僕も慌てて手伝った。
ピサンリは何やら、町の人と打合せをしている。
それから、数人の町の人がこっちへ来て、僕らの仕事を手伝ってくれた。
手分けをしているのか、何人かは、テントで料理を始めていた。
子どもたちはほとんどがこっちを手伝いにきた。
それにしても、子どもというものは、棲む場所は違っても、どこもよく似ているなあと思う。
わいわいと賑やかで、明るくて、可愛くて、役に立とうと皆真剣で、だけど、ちょっと面倒だ。
みんなに手伝ってもらったおかげか、荷運びはすぐに終わった。
すると、アルテミシアは料理を作っている人たちに混ざって、自分も作り始めた。
ピサンリも、そっちに合流している。
僕も手伝いに行ったほうがいいかな。
だけど、知らない人がいっぱいだから、ちょっと苦手だな。
そんなことを考えていたら、ルクスが近づいてきた。
「よぉ。
お前、今日、笛、吹いてくれるんだろ?」
うん。と僕は頷いた。
「もう、吹いたほうがいいかな?」
「もう少ししてからでもいいかな。
準備ももう少しかかりそうだしな。
あんまり早くから大勢集まってきても、困るからな。」
「大勢?
これよりもっとたくさん、集まるんだ?」
僕はフードの陰から辺りを見回した。
僕らのしていることを物珍しそうに見ている人たちが、あっちこっちにいる。
みんな遠巻きにして、なにやらひそひそ話してる。
何言ってるのかは分からないけど。
多分、分からないほうがいいことを言われてるんだろうな、って気はする。
ルクスは僕を見て、くすっと笑った。
「大丈夫だ。
何を始めるんだろう、って言ってるだけだ。
確かに、俺たちのことを警戒してるやつもいるが。
俺たちだって、見知らぬやつらを見たら、警戒するだろう?」
確かに。
もし森に平原の民が迷い込んで来たら、僕らみんなして、何しにきたんだろう、って警戒するだろう。
「あのピサンリの友だちは、この町でもなかなかに人望のある人物だ。
やつが一緒にいる限り、俺たちに襲い掛かってくるやつはいないさ。」
「だと、いいんだけど。」
僕はやっぱり、こっちを見ている人たちの目を冷たく感じる。
僕ら森の民は、たとえマントを着ていても、平原の民とは違って見える。
どうしたって目立つのはどうしようもない。
「大丈夫。大丈夫。
村の連中とだって、うまくやっていけたじゃないか。」
「あの人たちは、そもそも最初から、森の民に対して嫌悪感の少ない人たちだし。
だけど、そんな人たちだって…」
その先は僕は言葉を濁した。
あのことは、ルクスだって、いい思い出じゃないだろうから。
ルクスは、あーあ、と言って頭の後ろで手を組んだ。
「あれは、俺がしくじった。
やっぱり、アルテミシアの言うことは、聞かなくちゃだな?
あいつの言うことに逆らってよかったことなんか、一回もない。」
「まったくだ。」
僕もちらっと笑った。
僕ら、小さいころから、しょっちゅうアルテミシアにお小言くらうんだけど。
それに逆らっては、痛い目に合っていた。
「お前にも悪い事したって思ってたんだ。」
ルクスはこっちを見て、ごめんな、と言った。
ううん、と僕は首を振った。
「だけど、僕らいつまでもあそこにいるわけにもいかなかったんだし。
多分、ちょうどよかったんだよ。」
そう言ったら、ルクスはいきなり僕を抱き寄せて、ぐりぐりと頭を撫でた。
「お前、やっぱ、いいやつだな!
くそ、こいつめ。」
「ちょ、やめてよ!」
暴れる僕のフードがずれる。
ルクスはおかまいなしに、僕の頭をぐりぐりする。
すると、周りから、おおっ、というどよめきのようなものが聞こえた。
今の、なんだろう?
僕ら、巫山戯るのをやめて、凍り付いたように周りを見回した。
みんなこっちを見て、何か言っていた。
指をさしてる人もいた。
「おい。笛を吹け。」
ルクスが耳元でひそひそと言った。
え?今?
僕はびっくりしたけど、反射的にルクスの言うのに従っていた。
とっさに吹いたのは、僕らの森の歌だった。
昨夜、あんなにおさらいしたのに。
やっぱり、焦ると、慣れたやつから吹いてしまうんだ。
だけどやっぱり、この歌は心地いい。
森の声は聞こえないけど、ひょうと遠くから吹いてきた風に、森の匂いを感じた気がした。
森の歌を吹いているうちに、少しずつ、気持ちも落ち着いてきた。
そうしたら、昨日、アルテミシアに言われたのを思い出した。
え、っと。村の花たちの歌、だっけ?
大丈夫。さんざんおさらいしたから。
森の歌の途中から、花の歌へと移っていく。
まるで、ゆっくりと塗り替えていくように。
朝早く、目覚めたばかりの花たちに、朝露が下りているところから、次第に、日差しにきらきらと背を伸ばす花の歌にする。
花にあふれる村に僕らは一年くらいいたんだっけ。
いろんなこと、あったけど。
なんだか、楽しかった、かもしれない。
平原の民に驚いたり。
井戸の水が出たときには、本当に嬉しかった。
始めてやった畑仕事も楽しかったし。
秋の収穫祭の賑やかさときたら、そりゃもう、すごかった。
それから、あの、白枯病の森。
赤い火のなかに消えてしまった、あの恐ろしい森。
森を焼くなんて、森の民にとっては、あり得ないことだけど。
森を護るために、他にどうしようもなかった。
悲しい。
悲しい…
この世界にエエルがもっとたくさんあったら、こんな悲しいこともなくなるのに。
雪のなか、ルクスたちを探しに行った。
すごく怖かったけど、会えたとき、ほっとした。
やっぱり僕ら、なにがあったって、三人、一緒にいなくちゃと思った。
僕らまた旅に出て、いや、今は、出損ねて、って感じかな?
いきなりこんなすぐに足止めくらってるんだから。
だけど、僕ら、止まってはいない。
少しずつでも、前に進むから。
笛を吹きながら、そんなことを考えていた。
頭の中には、考えが次々と移り変わり、いろんな季節の村の姿が移り変わっていく。
だけど、どの瞬間も、大切なひととき。なければ、次へと繋がらない時。
優しい風が、僕の髪を揺らす。
遠く、遠くから、森の匂いを運んでくる。
森の匂いを吸って、僕はちょっと元気になる。
そうして、その元気を笛に吹き込んで歌う。
いつの間にか、辺りはしんとして、嫌な雑音はなにも聞こえなくなっていた。
ただただ、森の風だけ感じて、僕は笛を吹き続けていた。
でも、はっと我に返って、ちょっと目を開いてみた。
そしたら、こっちを見ているたくさんの人がいて、ぎょっとして思わず、笛を取り落としてしまった。
笛は紐をつけて首にかけてあるから、地面に落ちて割れる、なんてことはないんだけど。
突然、音楽が止まって、周りの人たちが、一瞬、息を呑んだのが分かった。
みんな、僕の歌を聞いてくれてたんだ?
僕はそう思った。
と、次の瞬間だった。
一斉に、拍手が巻き起こった。
え?なに、これ?
僕はきょろきょろと辺りを見回す。
こっちを見ている平原の民は、みんなにこにこして、手を叩いてくれていた。
振り返ると調理場にいた人たちもみんなこっちを見て拍手をしていた。
アルテミシアの口が、えらいぞ、と動いたのが見えた。
ピサンリがこっちに駆け寄ってきて、ぴょんぴょんと僕の周りで飛び跳ねた。
いつの間にかルクスがいない。
そう思ったら、調理場のほうにいて、なにやら小さな皿をいっぱい載せたお盆を持っていて、その皿を周りの人にせっせと手渡していた。
「祭りの始まりじゃ!!!」
僕の手を取って、ピサンリは一声、そう叫んだ。
おおう!!!と答えた人たちの声が、辺りの空気を揺るがした。




