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僕らがまず目指したのは、川沿いの町だった。
村からは、半日くらい行けば着くところで、以前は、村人たちは、畑の水を汲むために、毎日、馬車で通っていた場所だ。
その先へ行くためには、どこかで川を渡らなくちゃいけない。
川に橋はかかっていなくて、川を渡してくれる舟は、その町からしか出ていない。
それほど大きな川ではない、とは聞いているけれど、歩いて渡るのは難しいらしい。
僕らの知ってる森の沢は、石伝いに飛び越えたりしてたんだけど、なんだか僕らの知っている川とはいろいろ勝手が違いそうだ。
もっとも、馬車もあるし、石伝いに飛ぶとか、そもそも無理なんだけど。
舟で渡る川なんて、どんな川だろうって、行く前からどきどきしていた。
ちなみに、舟に乗るのも僕ら、初めてだ。
舟、ってのがどんなものかくらいは知っていたけど。
木の板一枚で水に浮くって、どんな感じなんだろう。
遠くにその町の影が見え始めたころ、なんだかそこから立ち上る気配に、背中がぞわぞわし始めた。
最初は知らない場所が怖いのかなって思った。
村の人たちは、僕らに割と最初から好意的だったから、ちょっと忘れかけてたけど。
平原の民のこと、怖い人たちだって思ってたのも思い出した。
またいつもの僕の臆病風かなって思ってたんだけど、ふと、ルクスを見ると、ルクスも町のほうを見て眉をひそめていた。
アルテミシアも振り返ったら、同じような目をして町を眺めていた。
なんか僕ら、同じ、嫌な予感、みたいなものを感じているのかも。
そんなことを思ったときだった。
突然、ピサンリは馬車を止めると、にこっと振り返って言った。
「ここいらでちょっと、お茶にせんかの?」
はい?
僕ら、全員、多分、きょとんとしていたと思う。
だって、まだ村を出てからそんなに時間も経ってなかったし。
いくら食いしん坊のピサンリでも、お茶の時間にはまだ早い。
それに、川沿いの町までは、早足で行けば、お昼前には着く距離だ。
休憩は町に着いてからだと思っていた。
そんな僕らを尻目に、ピサンリは馬車から道具を引っ張り出すと、いそいそと火を焚いてお茶の支度を始めた。
「小腹がすいては、戦はできん、からのう。」
「いや、戦、しませんし。
だいたい、戦の前に、小腹くらいでいいの?」
言いたいことはたくさんあったけど、とりあえず、僕もピサンリのお茶の支度を手伝った。
「とっときの焼き菓子があったのう。
ほれ、あそこの母さんにもろうたやつじゃ…」
ピサンリはひとり言を言いながら荷物をごそごそ探ると、美味しそうなお茶菓子を引っ張り出してきた。
本当に、とっときの、豪華な、ちょっとした食事と言ってもいいくらいの、ボリュームのあるお菓子だった。
「ほい。どうぞ。ほい。」
呆気にとられるルクスとアルテミシアにも、てきぱきとカップとお菓子を渡していく。
あっという間に、道端でちょっと贅沢な朝のお茶会になった。
ピサンリは自分のカップのお茶を、ずずっとすすると、ふぅ、とため息を吐いた。
「あの、町のことなのじゃが。」
それから、町のほうを眺めて、おもむろに口を開いた。
「その先へ進むには、どうしても、あの川を渡るしかない。
そして、川を渡るには、あの町の舟を使うしかない。
のじゃが…」
それからピサンリは僕ら三人の顔を順番に見回して、もう一度ため息を吐いた。
「あの町に、あまり長居はせんほうがええと思うのじゃ。
かなうなら、寄り道は一切せず、真っ直ぐ舟に乗って、その先へ行ったほうがええ。」
「ほんの少しだけでも、ダメかな?」
あの町に村の人たちはよく行っていたし、買い物なんかもあの町でしていた。
ピサンリも、何度も僕らの薬草を売りに行ったり、そのお金で買い物をしてきてくれたりした。
「僕、市、ってのを、一度見てみたかったんだけど…」
通るついでに見られるかな、くらいに思っていたんだ。
「市ならまだこの先、いくらでも見られるじゃろう。
それより、今は先を急いだほうがええと思う。」
先を急いだほうがいい、とか言いながらも、僕ら、道端でお茶会中だ。
「あたしたちが、いるからだよね?」
アルテミシアがぼそっと言った。
「森の民はなにかと目立つし。
妙な言いがかりとか、つけられると面倒?」
「いやいや、賢者様方のせいではないわい。」
ピサンリは慌てたように両手を振って否定した。
「いや、わしらも最近は、あの町には近づかんようにしておったし…」
「あの町の連中は、村の人たちのことを、あんまりよく思ってないんだろ?」
ルクスもぼそっと付け足した。
「あいつらは、村のことを見下しているんだ、って、聞いたことがある。」
僕はびっくりして思わず聞き返した。
「見下してるの?なんで?
同じ平原に住んでる民なのに?」
「平原の民には平原の民の流儀、ってもんが、あるんだよ。」
ルクスは分からない子どもに言うみたいに僕に言った。
「まあまあ。
見下してる、とまではいかんとは思うが。
親しゅうしておる人もおるしのう。
ただ、今は、あまり…なのじゃ。」
ピサンリは僕らを宥めながらも、語尾をにごした。
「まあ、野菜泥棒と鉢合わせするのも、なんだしな。
この間の薬草泥棒は、顔も分かってるしな。」
面倒臭そうにルクスの言った言葉に、僕はびっくりして聞き返した。
「野菜泥棒?
薬草泥棒?!」
「それは、あの町の人だと決まったわけじゃないけどね。」
アルテミシアもちょっと視線を逸らせてため息を吐いた。
「もしかしたら、まだこの辺をうろついているかもしれないし。
だったら、顔、合わせたくはないかな。」
「とっ捕まえて、一発殴りたくなるからな。」
「暴れるルクスを大人しくさせるのは面倒だし。
喧嘩になったら、あたしたちに勝ち目はないだろうし。」
ルクスとアルテミシアの言うのを聞いていて、僕は背中が寒くなった。
「あの町、どうしても通らなくちゃならないの?」
「…ほかに、川を渡る方法がないのじゃよ。」
ピサンリは申し訳なさそうに言った。
「川下か川上へ大回りしても無理か?」
ルクスは大真面目な顔でピサンリに尋ねた。
けれど、ピサンリは首を振った。
「川上には険しい崖があるし、川下はどこまで行っても何もない荒地じゃ。
しかも、川幅はだんだん広うなって、ますます渡りにくうなる。」
「ここで、渡るしか、ないのか。」
「川の深さも、流れの速さも、渡るにはこの場所が一番適しておる。
じゃから、ここに町があるのよ。」
「なら、行くしかないね。」
アルテミシアはあっさり断言した。
「あたしたち、馬車のなかに隠れてたほうがいいのかな。
確か、雨避けの幌があったよね?」
「まっこと、きゅうくつなところへ押し込めるようで申し訳ないのじゃが。
そうしていただけるかの?」
ピサンリはちょっとほっとしたみたいに言った。
そっか、ピサンリは、最初からそのつもりだったのかと思った。
だからここでお茶をして、軽く食事もすませたんだ。
「なにを。
お前こそ、俺たちのために気を遣わせてすまないな。」
ルクスはそう言うと、荷物のなかからマントを引っ張り出して、アルテミシアと僕に配った。
「さてと。
俺たちはこれを被って、隠れるとするぞ。」
分かった。
僕もおとなしくそれに従うことにした。
荷物でいっぱいの馬車の中に、なんとか三人隠れる隙間を作って、僕らはそこに隠れた。
ピサンリは、大きな幌を僕らの上に被せて、しっかりと縄でくくりつけた。
「あとは、わしに任せてくださいませ。」
にこにことそう言って手を振ると、幌を閉じて、しばらくして馬車はまた動き始めた。




