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ピサンリにはちゃんと話しておかないと。
そう思って、翌日、畑仕事の合間に、僕は旅に出ることを話した。
「そうか。
それで、出発はいつかのう?」
ピサンリは思ったほど驚いた様子もなく、のんびりと尋ね返した。
「近いうち、としか、まだ分からないけど。
ルクスは、思い立ったら行動の速い人だから。
案外、すぐかもしれない。」
「そうか。
そんならわしも、急いで支度をせんと。」
ピサンリはそう言うと、いきなり腰を上げた。
「今日はもうわしは帰りますじゃ。」
それだけ言って、ぺこっとお辞儀をすると、そそくさと立ち去ろうとする。
僕は慌ててそのピサンリを呼び止めた。
「あの、お餞別とか、そういうのなら、気を遣ってくれなくても…」
ピサンリのことだ。
保存食とか、山のように作ってくれそうだ、とちょっと思った。
すると、ピサンリは、軽く笑って言った。
「お餞別…は、用意しませんかのう。
お別れするつもりはありませんから。」
「え?
けど、僕ら、この村を出て行くって…」
「もちろん。
わしもお供しますじゃ。」
ピサンリはにこにことそう言い切った。
「ええっ?
なんで?」
「いや、なんで、わしが行かないと、そう思っておるのじゃ?」
ピサンリも僕も、互いに不思議そうに聞き返した。
「いや、だって、ピサンリは、ここの人じゃないか。」
「わしは、本物の森の民に遭うために、ここに来たのじゃもの。
折角会えた森の民には、ついて行きますじゃろう?」
「いや、ついて行きますじゃろう?なんて、僕に聞かれても…」
困る、としか言いようはない。
ピサンリは、あははと笑い出した。
「せーっかく会えたのじゃもの。逃がしてなるものか。
というのは冗談として、わしがおったら、なにかお役に立てることもあるかもしれん。
いや、きっとお役に立ちますから。
どうか、一緒に、連れて行ってくださりませ。」
ピサンリは僕に深々と頭を下げた。
僕は慌ててそのピサンリの頭を抑えた。
「いや、やめてよ、ピサンリ。
僕ら、いっつもピサンリに助けてもらってばっかりで、有難いって思ってるんだよ?
だから、そんな、頭を下げたりしないで?」
こんなふうに頼まれたりすると、僕が困ってしまう。
なのにピサンリは頭を下げたままで言った。
「憧れて憧れて、やっと会えた森の民のみなさんに、わしはこの先ずーっとずーっと、ご一緒したいと思うておりました。
いや、どうやって、それを叶えたものかと、ずーっとずーっと考えておりましたが。
この際ですから、思い切ってお願い申し上げます。
どうぞ、わしを、みなさんの従者として、お召し抱えくださいませ。」
「じゅうしゃ、って…
何を言い出すんだ。
それはダメだよ、ピサンリ。
もし一緒に行くとしても、君は仲間だ。
従者じゃない。」
「なんとももったないお言葉。
わしはそのお言葉を胸に刻み、これからの生涯をみなさまに捧げ尽くします。」
ピサンリはますますしゃちほこばってお辞儀をする。
僕はますます困ってしまう。
「とにかく、ルクスたちにも、相談してみないと…」
とりあえず、そう言って逃げることにしたんだけど。
ピサンリは、ずいっと僕に顔を近づけると、まん丸い目で、にっこり笑いかけた。
「もちろん、一緒に連れて行くと、推挙してくださいましょうや?」
それは質問、じゃなくて、確認、だった。
推挙しろよ、と目は脅していた。
「も、もちろん、言っては、みるよ?
だけど、僕、下っ端だから…」
「いやいや。
ルクス様もアルテミシア様も、お前様の言うことなら、否とはおっしゃいますまい。
いえ、決して。」
ピサンリは妙に自信ありげに断言してみせた。
ピサンリの言った通り、なのかどうかは分からないけど、ルクスもアルテミシアも、ピサンリが一緒に行くことにはあっさり同意してくれた。
「というかさ、俺、道案内を頼めないかなと思ってたんだ。」
ルクスはそんなことまで言い出した。
「…道案内、って…?」
「俺さ、ピサンリの生まれた街へ行こうと思ってたんだ。」
ルクスはにこにこと言った。
「というか、ピサンリに言葉を教えた森の民のじいさん?ってのに会ってみたいな、って。」
「ピサンリのじいさまに?」
「そのじいさまって、森の民の秘術を紋章を使って発動させる方法、ってのを研究してたんだろ?
もしかして、例のあの本を書いたのって、そのじいさまなんじゃないか?」
えっ?
僕は目を丸くした。
「確かに、ピサンリは、じいさま、って呼んでるけど、流石にそこまで長生き、してるかな…」
確かに、森の民は長く生きる人はとても長く生きる。
森の大樹と同じくらい生きてる人もときどきいる。
だけど、あの本が書かれたのって、大昔の、崩壊しかけた世界をなんとか平原の民が救った、そのちょっと後くらい、だって話しだし。
それって、本当に大昔、なんなら、伝説ってくらい大昔だ。
いくらなんでも、そんなに長生きしてる人がいるのかな?
「だいたい、そのじいさまが書いたんなら、平原の民の言葉じゃなくて、森の民の言葉で書くんじゃない?」
森の民はあまり文字で記録を残すことはしない。
大事なことは、先代から次代へ、親から子へ、口伝えで教えることが多い。
だけど、文字を持っていないわけじゃない。
本なんて書く人、滅多にいないけど、書くなら、自分たちの文字を使うんじゃないかな。
「元々、森の民の秘術なんだから、森の民の言葉の方がうまく表現できると思うんだけど。
森の民の言葉も使える人が、それをわざわざ平原の民の言葉で表現したりするかな…」
ピサンリと僕との間の、ごくごく日常的な会話でも、お互いの言葉にはない表現を伝えられなくて困ることは多いんだ。
ましてや、秘術だなんてややこしそうなものを表現するなら、わざわざ他の人たちの言葉を使うのは、もっと大変そうじゃないか。
「確かに、そうだな…」
ルクスはちょっと考えてから、にこっと笑った。
「じゃあさ、そのじいさんは、例の本の作者の知り合い?とか、弟子?
そういう可能性はないか?
もしくは、教えの流れをくむ一派、とか。」
うーん、そういう可能性はないこともないか。
「とにかくさ。
紋章を使って秘術を発動させよう、なんてのは、平原でもそうそう一般的なことじゃない。
そんな変わったことをやってるやつら、って共通点はあるわけだから。
なにか、手掛かりにはなるかもしれないだろ?」
それは、まあ、そうかもね。
「ルクスって、あの本、全部解読できたんじゃないの?」
「あの本に描いてあった紋章は全部覚えたし、その紋章を使って発動する術は、全部発動できるようになった。」
ルクスはわざわざそんな言い方をした。
「だけど、書いてあること全部、分かったわけじゃないんだ。
書いてある文章のほうは、実際には、半分も読めていない。
だから、もっとたくさん、いろんなことを知って、あの本に書いてあることを、ちゃんと理解しなくちゃ、って。」
そう言うルクスの目はとても真剣だった。
「あの本って、下手なやつの手に渡ったら、この世を滅ぼしかねない、って言われてるんだろ?
確かに、そうかもな、って思う。
秘術にはそのくらい大きな力があるんだ、って。
本に書いてあることちゃんと理解しないうちに、ほいほい術だけ使えちゃダメなんだ、って。
俺、ちょっと最近、身にしみて、よく分かってさ。」
ルクスは少しだけ気まずそうに笑った。
「だけど、もう俺は、紋章の使い方は覚えてしまったわけだし。
今さら、そこをなかったことにはできないからな。
だったら、遅ればせだけど、本に書いてあることを、全部、理解したいんだ。」
そっか。
やっぱりルクスだ。
立派だ。
それに、とルクスはポケットからエエルの塊を取り出した。
それはこの間見たときより、また少し小さくなったようだった。
「そのじいさんに聞けば、エエルのことも、何か教えてくれるかもって思ってさ。」
確かに。
このエエルの塊を作ったのはじいさまなんだから。
エエルについても、詳しく知っているかもしれない。
エエルがもっとたくさんあったら、荒地を全部畑にして、誰も、よその畑の作物を盗まなくてもいいくらい、たくさんの野菜が作れる。
そう言ってたことを思い出した。
こうして僕ら、元々の三人にピサンリが加わって、四人で旅をすることになった。




