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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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春の足音は、まだ遠いけれど、少しずつ、確かに近づいていた。

どんよりと暗い日々は少しずつ晴れて、風は冷たくても、明るい光に新しい季節を感じるようになっていった。

畑の雪が消え始めて、村人たちはそこに新しい野菜の種を撒いた。


ルクスは畑に祝福を施した。

すくすくと、立派な野菜が育ちますように。

祝福には紋章もなにも必要なくて、ただ、手を合わせ、祈るだけ。

祝福も森の民の秘術らしいけれど、それほど取り立てて特別な術にも思えない。

族長は、特別なお祭りのときにはもちろんだけど、普段からしょっちゅう、森を祝福していた。

僕らだって、日頃から、森への感謝と祝福は、普通にやっていた。

だから、これも秘術のひとつなんだ、って聞いて、むしろ驚いた。


みんなに祝福され、村人にお世話をされた野菜は、順調に育っていった。

日差しに暖かさを感じるようになったころ、立派に大きくなった野菜が見事に畑に行列していた。


そんなあるときだった。

朝、起きて、畑に行った村人は、慌てて皆を呼びに来た。

昨日まで、整然と並んで大きくなっていたはずの野菜が、収穫まであと数日だったはずの野菜が、忽然と、姿を消していた。


これまでも、野の獣に食べられる、ということはあった。

獣避けの柵も作ってあったけれど、多少のことは、まあ、仕方ない、で済ましていたことも多かった。

けれど、今回のは、それとはまったく違っていた。


だいたい、獣が齧ったのなら、こんなふうに根元からすっぱりと、綺麗になくなるはずがない。

どう見ても、それは刃物で切った痕だった。

それも、畑一面、端から端まで、ひとつ残らず、野菜は消え失せていた。


村長さんと、それから村の人たち、みんな集まって、相談した。

これは、やっぱり、人の仕業に違いない。


だけど、この村に、こんなことをする人はいない。

多分、余所から来た人間のしたことだろうということになった。


ルクスは怒って、二度と泥棒なんかできないように、罠を仕掛けるって言った。

みんな、毎日、手間暇かけて世話をして、ようやく収穫できるってところだったのに。

悔しい気持ちは、みんな同じだった。


だけど、村長さんは、罠を仕掛けるっていうのには反対した。

きっと、食べる物に困って、止むにやまれずやったんだろう、って。


この冬。僕らの村は比較的平穏に暮らしていたけど。

余所の村はいろいろと大変らしい、という噂は聞こえていた。

作物があまり実らず、恐ろしい病気も流行って、たくさんの人が苦しい思いをしているって。


そんななかで、余所の村の人たちから、この村は、ずるい、と思われているらしかった。

賢者が三人もやってきて、そのおかげでこの村は栄えているんだ、って。


そんなことは関係ない、って僕らは思った。

村が栄えているのは、この村の人たちがみんな頑張っているからだ。

むしろ、村の人たちにいつも助けてもらっているのは、僕らのほうだ。


だけど、僕らのせいで、この村が悪く思われているのだとしたら。

こんな申し訳ないこともない。

僕らは村を出て行こうかと思ったけれど、皆に相談したら、そんなことはしなくていいと言ってくれた。

むしろ、僕らももう、村の大切な仲間だから。

ずっと、このままここにいたらいい、って言ってもらえた。


僕らに役に立てることがあるなら、どこへでも行こうと思う。

だけど、僕らのおかげでこの村が栄えた、というのは本当のことじゃないから。

僕らが行ったって、余所もこの村のように栄えるかどうかは分からない。


冬が厳しいのも、病気が流行るのも、木が実を結ばないのも、この世界が崩壊にむかっているからだ。

前に、まだ郷にいたころ、族長からそう教えてもらった。

だから、森の民は、この世界が壊れてしまわないうちに、新しい世界へと移動するんだ、って。

壊れていく世界は、僕らにもどうしようもない。

どうしようもないから、みんなで逃げる。

ルクスや僕の両親のように、どうにかしようって思ってる人たちもいるけど。

だからって、実際にできることは、今のところ何もない。


結局、罠を仕掛けるというのは、やめにして、村の人たちは、また畑を耕して、新しい種を撒いた。

僕らはまた畑を祝福した。

村の人たちも僕らと一緒に祝福した。

大きくて立派な野菜がたくさん実りますように。

そして、今度は、誰にも、奪われたりしませんように。


温かくなったからだろうか。

畑には、前と同じ、いや、前よりもっと立派な作物が育った。

だけど、また、ようやく収穫を迎えようかというころ。

再び、作物は根こそぎ、奪われてしまった。


ルクスは怒り狂った。

今度こそ、許さないって言った。

僕も、このままじゃ、ダメだって思った。

何か、対策をするしかないんじゃないかな。


畑に、ぼつぼつと残された、明らかに刃物で切り取られた作物の跡。

本当に、それを見ると、がっかりだった。

それを指でひとつひとつなぞりながら、アルテミシアは涙を流していた。


「どうして、こんなこと、するのかな?」


僕にその答えは分からなかった。

作物が必要なら、育てたらいいと思う。

畑が必要なら、一緒に作ろうと思う。

やり方が分からないなら、誰かに聞けば教えてくれるし、種だって頼めば分けてくれる。


「よほど、腹が減っておったのじゃろうなあ。」


ピサンリはのんびりとそう答えたけれど、その目にも涙が光っていた。


「落とし穴を掘るのはどうだ?

 取っ捕まえて、痛い目に合わせるんだ。

 もう二度と、こんなことをしないと誓うまで。」


ルクスの目は怒りに狂っていた。

その目は怖かったけど、僕にもルクスの気持ちは分かった。


「盗賊を捕らえたところで、また次も別の盗賊が現れるだけじゃろう。」


だけど、ピサンリは悲し気に言って首を振った。


アルテミシアは立ち上がると、そこいらじゅうを指差して言った。


「この世界に、もっと、エエルが満ち溢れるといいんだ。

 そうしたら、作物ももっとたくさん実る。

 誰もお腹をすかせなくてもよくなったら、こんな悲しいこともなくなるじゃないか。」


そのとき、僕には、アルテミシアの指差すところに、一瞬、幻の畑が見えた。

そこには見渡す限り果てしなく、立派な作物が実っていた。


「そうだね!

 それはいい考えだよ。

 持って行けないくらいたくさん、野菜ができたらいいんだ。」


見渡す限りの野菜畑。

皆がお腹いっぱい食べても、なくならない。


本当に、そんなことが叶えばいいのに。


アルテミシアは、僕にむかって嬉しそうに笑いかけた。


「いいね。

 うん。

 いつかきっと。

 そうしよう!」


それは強い宣言に聞こえた。

そして、僕は、アルテミシアがそう言うなら、きっとそれはできると思った。


「うん。

 いつかきっと。

 そうするよ。」


僕も強く宣言した。


ピサンリはちょっとびっくりした顔をしてそんな僕らを見ていたけれど、すぐに、いいのう、と仲間に加わった。


「わしもじゃ。

 いつかきっと、ここを全部、野菜畑にするんじゃ。」


ほっほぅ~!


僕らは手を取り合って、三人でぐるぐる回った。

なんだかこうしていると、すっごく元気になれるみたいだった。


ルクスは呆気にとられた顔をして、回る僕らを見ていた。

けど、すぐに、ちょっと真面目な顔をして頷いた。


「…エエル、か…」


ルクスが小さな声で呟いたのが、聞こえた気がした。













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