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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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雪洞で避難していた人たちとも無事に合流できた。

雪洞のなかには、明るい火が灯っていて、鍋に雪とお茶の葉と砂糖をたっぷり入れて、ぐつぐつと沸かしてあった。

雪の上に灯るこの火も、ルクスが工夫した秘術の火だった。

それは、病気にかかった森を焼くための火ではなくて、ぬくもりと明りとをもたらす、優しい火だった。

その火は、雪に閉じ込められた仲間たちをしっかり守ってくれていた。

雪洞のなかにはいい匂いが充満していて、甘いお茶を飲むと、すっかり元気も回復した。


吹雪の止んだ荒野を、僕らは村を目指して帰って行った。

村に着いたのは、ちょうど、朝日が上って来る頃だった。

雪原は一面金色に輝いて、とてもとても美しい光景だった。

村の人たちはとても心配して待っていてくれた。

そして、僕らの元気な顔を見て、みんな、喜んでくれた。


こうして、いったん、白枯病はおさまった。


あとは、みんながいて、温かい火の灯る家があって、食べ物もたっぷりある、楽しい冬が待っていた。

すっかり準備の整った冬ごもりは、いろいろと初めて知ることも多かったけど、おおむね楽しかった。

村という守られた場所のなかには、村の外の厳しい冬は、手を伸ばしてはこなかった。


僕らは毎日たっぷり寝て、保存食を食べて、ときどき、雪のなかで運動をして暮らした。

ピサンリはスキーや橇遊びを僕らに教えてくれた。

アルテミシアは、村の人たちから毛糸の作り方を習って、それで、僕らに暖かな防寒着を編んでくれた。

僕は雪のなかではしゃぎすぎて、一回風邪を引いた。

熱を出して、咳もひどくて、喉も痛くて、ものも食べられなかったけれど。

温かい布団と、雪で冷たくした手拭と、蜂蜜のたっぷり入った温かいミルクで、手厚い看病をしてもらった。

そして、数日経つと、すっかり元通り、元気になった。

だから、風邪を引いたことでさえも、僕にとっては悪い思い出にはならなかった。


僕らにとって、初めての平原の冬は、穏やかに過ぎていった。


冬の間、ルクスは書斎に籠ったきり、ずっとあの本を読んでいた。

平原の民の言葉も文字も、ルクスはいつの間にか、すっかり習得してしまっていた。

それに、ピサンリから赤い炎を習ったことで、本の内容もいっそうよく分かるようになったみたいだ。


その本に書かれているのは、森の民の族長たちが、口伝えで伝えてきた秘術の数々だった。

それは、あと何十年かすれば、ルクスもきっと、郷の族長から伝えられていたに違いないけど。

本当なら、族長たちは、族長になるために、いろんな修行や、試練を乗り越えなくちゃならない。

けれど、この本に書いてある方法を使えば、族長の修行をしていなくても、秘術を使うことができるらしかった。


ルクスは本に書いてある秘術を次々に習得しては、僕らにやって見せてくれた。

真っ先に習得したのは、火を使う術。

それから、水の術。風の術。土の術…

火と風を組み合わせたり、水と土を組み合わせた術もあった。

やがて、本に書いてあったのをすべて習得してしまうと、ルクスは自ら次々と新しい術も作りだした。

一度、理解してしまえば、新しい術を習得することは、それほど難しいことじゃない。

ルクスはそんなことを言っていたけど。

僕にはルクスは不思議な術を使うすごい人にしか見えなかった。


そもそも、族長の秘術にこんなにたくさんの種類があったことにも驚いた。

その中で見たことがあったのは、せいぜい、祝福の術くらいだったから。

こんなに術の種類があるのに、族長はどうして、もっと使っていなかったんだろ。

そんなことも、ちらっと思った。


だけど、いつまでも無尽蔵に、ルクスは秘術を使い続けらる、というわけにはいかなかった。

秘術を使うためにはエエルの塊を使って紋章を描かなくちゃならない。

ピサンリの持っていたエエルの塊は、ルクスが譲り受けていたけど。

久しぶりに見たそれは、もうずいぶんと小さくなっていた。


そりゃ、そうだ。

木炭だって、蝋石だって、使い続けたら、だんだん減っていくんだから。


だけど、エエルの塊は、木炭や蝋石と違って、簡単には手に入らない。

このエエルの塊は、ピサンリのじいさまが何年もかけて作った貴重な石だった。


俺にもエエルを操ることができたらなあ、とルクスは言っていた。

秘術は次々と習得していったルクスだったけれど、いまだに、エエルについては、よく分からないらしかった。


エエルの塊がなくなってしまったら、ルクスももう秘術を使うことはできない。

エエルの塊を節約するために、ルクスもあまり術を使うことはしなくなった。


だけど、せっかくいろんな術を習得したのに、それを使うことができないというのも、残念な気もした。

ピサンリのじいさまのところへ行けば、新しいエエルの塊を作ってもらえるんじゃないか。

もしたとえ、それは無理だとしても、エエルについて、何か教えてもらえるんじゃないか。

僕らは次第にそんなことを考えるようになった。


今はまだ、村の外は厳しい冬に閉ざされていて、旅をできるような状況じゃなかったけれど。

また温かい春になったら。

ピサンリの故郷の街へと行ってみようか。

ピサンリもその旅に一緒に来てくれるといいな。

そんなことを話し合うのも楽しかった。


僕らはそんなふうに、ぬくぬくと冬を過ごしていたけれど。

その冬は、決して、万人にとって平穏な冬だったわけじゃない。

そもそも、冬は本来、過酷な季節なんだ。


僕はルクスを迎えに行ったときに、冬の恐ろしさをほんのちょっとだけ垣間見たけど。

ルクスとはすぐに再会できたし、ルクスの作った明るい火は、すぐに冬の恐怖を追い払ってくれた。

だから、怖かった思いもすぐに忘れて、ただただ、幸せに過ごしてしまった。


だけど、そのころ、余所の村や街では、恐ろしい病気が流行ったりして、大勢の平原の民が、冬に命を奪われていた。


少しずつ少しずつ、世界の崩壊は、平原にもその手を伸ばし始めていたんだ。


僕らが平穏に暮らせたのは、どれだけ幸せなことだったのか。

それを僕らが思い知るのは、もう少し後のことになる。















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