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浄化の火についてピサンリに尋ねるってのを了承したはいいものの。
どう切り出したものか、僕は迷っていた。
ところが、その機会は意外なことに、むこうのほうからやってきた。
その日もピサンリと僕は朝から畑の世話をしていた。
すると、ふわふわと白い虫がどこからともなく飛んできた。
「ほう、雪虫じゃ。」
ピサンリはそれを見て呟いた。
「雪虫?」
「この虫を見ると、もうじき雪が降るのじゃ。」
へえ。
平原にはそんな虫もいるんだ。
虫はふわふわとどこかへ飛んでいく。
僕は物珍しくて、白い虫の行ったほうを眺めていた。
その僕の耳に、ピサンリの声が届いた
「雪が降る前に、わしはまた森へ行かねばならん。」
どきっとした。
ピサンリはひどく言いにくそうにしながらも続けた。
「雪が降れば、森へ行くのも大変になる。
その前に、やらねばならんことがあるのじゃ。」
振り返ると、ピサンリは僕のほうを心配そうに見ていた。
「お前様は連れては行けん。
よいかの?」
「…森へ、何しに、行くの?」
分かっていたけれど、そう尋ねてしまった。
ピサンリは、ちょっと言いにくそうにしながら答えた。
「赤い炎はわしにしか使えんからの。」
赤い炎。
そういえば、前に、ピサンリから聞いたことがある。
白く枯れた森は赤い炎で焼き払うしかない、って。
確か、ピサンリに森の民の言葉を教えたじいさまが、そう言ったんだ。
赤い炎ってのは、火の色のことかと思っていたけど。
もしかしたら、あの浄化の火のことなのかもしれない。
「あのときピサンリの使っていた、あの奇妙な術を、赤い炎、って言うの?」
「奇妙かの?
あれは、元々、森の民の秘術じゃよ?」
ピサンリは僅かに苦笑して言った。
「森の民には族長だけに伝わる秘術が数多くあるそうではないか?
あれもそのひとつなのであろう?」
それはルクスが予想した通りだった。
ピサンリは指を折って数えながら続けた。
「夏至祭りや冬至祭り。それから、成人を迎えた者への祝福。
森の民の族長には、数多くの秘術が伝わっておる、と。
わしはそう聞いておる。」
「確かに、祝福は僕も何回も見たことあるけど。
あんな奇妙な図形を描いたりはしてなかったよ。」
「奇妙な図形、というのは、紋章のことか?
紋章は、族長でなくとも、族長の秘術を使えるようにするための手段じゃ。
族長の秘術は、大量のエエルと強い意志がなければ起こせないものじゃからのう。」
「大量の、エエル?」
それって、この世界から失われつつある、ってやつだ。
そして、それさえたくさんあれば、森が白く枯れることも、この世界が崩壊することもない、ってやつだ。
だけど、その色も形も、どんなものかも、よく分からないんじゃなかったっけ?
「族長はその、エエル、ってものが分かるの?」
「どうじゃろうか。
しかし、森の民の秘術には、エエルが必要じゃ、と聞いておる。
族長たちは、それを自在に操れる、とものう。
しかし、族長でない身には、それは不可能じゃから。
じゃから、これを使うのじゃ。」
ピサンリはポケットから光る石を出してみせた。
それはあのとき紋章を描くのに使っていた石だった。
掌に収まるくらいの大きさで、柔らかい金色の光を放っていた。
「これはのう、じいさまの作り出したエエルの塊じゃ。」
「エエルの塊?」
こんなところに、その実物があったなんて!
僕はピサンリからそれを受け取って、しげしげと眺めた。
手に持つとほんのり温かくて、なんだか少し幸せになれるような石だった。
「じいさまはエエルの研究をしておっての。
この世界に散らばるごくごく微量のエエルを精製し凝縮して、何年も何年もかけて、この塊を作ったんじゃ。」
僕は急いでエエルの塊をピサンリに返した。
なんだか、そんな貴重なものをいつまでも借りていてはいけない気がした。
「じいさまって、あの、君に、森の民の言葉を教えてくれた人だよね?
お酒ばっかり飲んでたっていう…」
「妙なところばかり、よく覚えておるようじゃのう。」
ピサンリはちょっと苦笑した。
「確かにじいさまは食事も摂らんと酒ばかり飲んでおったし、平原に来たのも、平原にしかない酒を飲むためじゃ、とか嘯いておったが。
べつに、ただののんだくれではないのう。」
「…ごめん。
僕、かなり失礼なこと、想像してた。」
お酒ばっかり飲んでる変わり者、という僕のピサンリのじいさまに対する印象は、かなり間違っていたらしかった。
「元々、じいさまは、森の民の秘術を研究しとったんじゃ。」
「森の民の秘術?」
そんなものは、本当にあるんだろうか。
「秘術と言うくらいじゃから、森の民であっても、滅多に目にすることはないらしいが。
森の民の秘術は、文字にして残されたことはなく、族長から族長へと口伝えに伝えられるもの。
しかし、その過程で、多くの秘術が失われたり、誤って伝わったりしておる、と。
その秘術を体系化し、後世に残せる形にしようと、じいさまは考えておった。」
なんだか、すごそうな研究だ。
「しかし、そもそも秘術は、族長の資格のある者にしか使えない。
それを、族長以外の者でも、いや、それどころか、森の民でさえなくとも、使えるようにするためにじいさまが編み出したのが、エエルの塊で紋章を描く方法なのじゃ。」
「それを使えば、誰でも、秘術を使える、ってこと?」
「現に、わしも、赤い炎を使っておる。」
確かに、その通りだ。
「もっとも、わしの使える森の民の秘術は、この赤い炎だけじゃ。
赤い炎は、秘術のなかでも、割合、容易く発動する術じゃからと、じいさまはわしにこれを教えたのじゃ。
族長でなくとも、森の民でなくとも、秘術を使える、ということを確かめるために。」
「ピサンリで実験したんだ?」
「そう言うと聞こえが悪いが。
わしは、喜んでその実験に協力したし、森の民の秘術の使えるわし、というところが、ちょっと格好いい、とか思ったりもしたのう。」
ピサンリはからからと笑った。
「しかし、よもや、物の役に立つ、とは思っとらんかった。
この火は白く枯れた森にしか点かん。
白く枯れた森など、平原の街に住んどったら、まあまず、関りはなさそうなものじゃし。
そもそも、じいさまの話す、恐ろしい森の話しは、子どもを脅かすおとぎ話か何かじゃとずぅっと思っとった。」
まさか、本当に、あんなことがあるとはのう、とピサンリは首を振った。
僕はピサンリの話しを聞きながら、思い付いたことがあった。
「ねえ、ピサンリ、ということは、その紋章を使えば、僕だって、赤い炎を使える、のかな?」
ピサンリは、む?、とこっちを見てから、いいや、とちょっときっぱり言った。
「お前様はダメじゃ。
お前様には教えん。
そもそも、森の民にとって、森を焼くということがどれほど辛いことか、わしはよう分かっておらんかった。
あの場に賢者様方をお連れしたことは、今でも後悔しておるよ。」
「でも、ルクスも言ってたんだ。
白く枯れた森を焼きに行くって。」
僕がそれを言うと、ピサンリは、はっとしたように目を見開いた。
「…あの方は、のう…
強いお方じゃ。
本当に、本当に、強い、お方じゃ。」
ピサンリはそう言って下をむいた。
「…ルクス様は、村の者を指示して、白枯病の森の地図までお作りになったそうじゃ。
おそらくは、白枯病の根絶を目指しておられるのじゃろう。
わしは、地図作りには協力できんかったが、根絶の方には、多少なりとお力になりたいと思ってのう。」
そっか。
それで、ピサンリは、僕に今、こんな話しを始めたんだ。
「…ピサンリも、村の人たちも、どうしてそんなに森のために…?
君たちにとっては、なんの益もないことなのに?」
僕は不思議になって尋ねてしまった。
すると、ピサンリは、思い切り意外そうな顔をして僕に尋ね返した。
「そんなことは、当たり前のことじゃろう?
賢者様方は、わしらの村の仲間じゃもの。
仲間が困っておることは、村の全員の問題じゃ。
どうして、それを解決することに、益がない、などと言われるのじゃ?」
……
「ふふ…ふふふふふ…」
突然笑い出した僕を、ピサンリは、怪訝な顔をして見つめた。
僕はそのピサンリの顔がおかしくて、ますます笑ってしまった。
なんて、優しいんだろう。
平原の民って。
僕はそのとき、つくづくそう思っていた。




