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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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少しずつ僕は、食事を摂れるようになって、夜も眠れるようになっていった。

畑には毎日、ピサンリと行った。

畑仕事をしていると、草の世話をしているのは僕のはずなのに、僕のほうが草から元気をもらっているみたいだ。


畑仕事の合間には土笛も吹いた。

ピサンリはいっつも、上手上手と、褒めすぎだと思うくらい褒めてくれた。

でも、それはそれで、悪い気はしなかった。


薬草たちの歌は、もう前みたいには聞こえないけれど、よくよく耳をすませば、まだ、少しは聞こえた。

畑に座って耳をすませて、ときどき、その歌を聞いていた。


そうやって、少しずつ日常を取り戻したころ、ある夜、ルクスが僕に話しをしたいと言ってきた。

ここのところ、いつもすれ違いで顔を合わせられなかったから、すごく久しぶりに会った気がした。


「覚えているかな。

 前にピサンリが、妙な術を使っていたのを。」


ルクスは前置きもなしに、いきなりそう切り出した。


「妙な、術?」


「…いや、お前に、これを言っても、大丈夫かな…

 あの…、白く枯れた森を、その…」


ルクスは曖昧に言葉を濁した。

僕がまたショックを受けると思って、心配したのかもしれない。

だけど、ルクスの言いたいことは、すぐに分かった。


「なにか、光る石で、奇妙な図形を宙に描いていたね?

 あれは、浄化の火、とでも言うのかな?」


「浄化の火…そう、そんな感じだ。

 あの森を焼く数日前に、ピサンリは俺に言ったんだ。

 火を点ける役目は自分に任せてくれ、って。

 俺は、森の民にその役目は酷だから、そう言ってくれたんだろうってくらいに思っていて。

 あまり深く考えずに了承したんだが…」


ルクスはいったん言葉を切って、僕の顔をじっと見つめた。


「まさか、あんな、普通じゃない方法で火を点けるとは考えもしなかった。

 しかし、あのとき、ピサンリが宙に描いたあの図形。

 あの図形は、例の本に描いてある絵に似ていたと思わないか?」


「うん。それは、僕も思ったよ。」


僕もあのときのことを思い出して頷いた。

ルクスは少し首を傾げて、なにかを考えるようにしながら言った。


「あの本には、あんなふうな、妙な術を起こす方法?が書いてあるんじゃないかな。」


なるほど。そうか。それは思い付かなかった。


「それって、平原の民に伝わる秘術、かなんかなのかな?」


「いや、それなんだが…」


ルクスは、うむ、と唸ってから続けた。


「あれからここの村の連中にあれこれ聞いて回ったんだ。

 しかし、誰も、あのピサンリの使っていた術については、知らないと言っている。

 あんな術、見たことも、聞いたこともないし、ピサンリ以外に使うやつもいない、って。

 それどころか、あれは、森の民の秘術なんじゃないか、って、言い出すやつもいてさ。」


「森の民の秘術?」


いや、そんなもの、僕は知らない。

ルクスは、むう、ともう一度唸った。


「いやしかし、それもあながち外れてもいない、かもしれない、って、俺も考えるようになって…」


「森の民の秘術、ってこと?」


「うむ。

 まあ、順を追って話そうか。」


ルクスはむこうの部屋から大きななめし皮を取ってくると、それを広げてみせた。

そこには黒いかたまりと、その周囲にいくつか、線だけで囲まれたところのある図が描いてあった。


「これはな、森の地図だ。」


「森の、地図?」


「あの後、村の連中にも協力してもらって、調べて回ったんだ。

 白く枯れた森は、まだあるかもしれないと思って。

 馬に乗れば、移動も速いし、一日に動ける距離も大きい。

 手分けをして、数日で、ここまで調べ上げた。」


ずっと、顔を見ないと思っていたけれど、ルクスはどうやら何日かかけて、その調査に行っていたらしかった。

ルクスは地図を指で示しながら解説してくれた。


「白枯病ってのは、どうやら、森の端から罹っていくようだ。

 この塗りつぶしてある辺りは、まだ無事な森。

 こっちの線で囲んである辺りは、白枯病に侵された地域だな。」


「白枯病?」


「まあ、他にちゃんとした名前はあるのかもしれんが。

 とりあえず、俺たちはそう呼んでいる。」


確かに、あれは病だ。森の罹る病だ。


「…こんなに、たくさん、あるんだ…」


僕は線だけで囲まれて白く抜けている箇所を指でなぞった。

この間、僕らが焼いた、あれでもう終わりだと思ったのに。


「この辺り、この間俺たちの焼いたのは、このくらいだ。」


ルクスはそう言いながら指でなぞってみせた。

そのルクスの示した場所は、全体から見れば、とてもとても小さかった。


「あれくらいじゃ、とても、足りない、んだね?」


僕は胸がずんと重たくなった。また息が苦しくなりそうだった。

ルクスは、そんな僕を気遣うようにしながら頷いた。


「残念ながら、な。」


「…これ、全部、また焼かないと、いけないの?」


僕はルクスを見上げて尋ねた。自分の声が震えているのが分かった。

ルクスは何も言わずに、ただ、一度だけ、頷いた。

それから、ちょっと悲しそうにため息を吐いた。


「あの旅の人たちのことを、覚えているか?

 夏至祭りのときに、俺たちの郷を通った?

 お前、友だちができて喜んでいたよな?」


「覚えているよ?オルニスたちのことでしょう?」


一緒にいたのは一晩だけだったけれど、オルニスのことは今でも友だちだと思っている。


「あの人たちの郷は、ここ、だ。」


ルクスはそう言って、地図に描いてある小さな丸を指差した。

その周りは、もうまったくの白い場所、つまり平原だった。


「…こんなに森から離れてたんだ…

 この辺ってもう、全然、森じゃないよね?」


「いや。あの人たちだって、森の民だ。

 つまり、この周りは、元は森だったんだ。」


ルクスはそう言いながら、ぐるっと指でなぞってみせた。

その大きさに僕は目を見張った。


「…こんなに?」


「そう。

 そして、あの人たちは、多分、これだけの森を、焼いたんだ。」


それは、僕も想像していた。

多分、そうなんじゃないか、って。

だけど、こうしてその広さを地図にして見ると。

あまりのことに、気を失いそうだった。


「そのときに、あの人たちは、あのピサンリの使っていた術を使ったんじゃないかと思う。」


「あの人たちが、あの術を?

 どうしてそんなこと、分かるの?」


「あの郷の周りの土地は見ただろう?

 白く枯れた森の痕跡なんか、どこにもなかった。

 俺たちの焼いた森も、火の消えた後は、跡形もなく消え去っていた。

 普通に火で焼いたんじゃ、ああはならない。

 あれは、特別な火だ。」


僕は、あのとき、途中で気を失ってしまって、そのまま翌日まで眠り続けていた。

だから、焼いた後の森の様子は見ていなかった。

だけど、あれが特別な火だってのは、あのときからもう、なんとなく感じていた。


「それに、あの火は、周りの無事な森には一切燃え広がらないんだ。

 白く枯れた森だけを、綺麗に焼き尽くす。

 本当に特別な火なんだ。」


ルクスは話しを続けた。


「族長は、いろんな儀式をしていただろう?

 あの火も、そんな儀式のひとつかもしれん。」


「それって、夏至祭りとかのときに族長がしていた、あれ?

 あれは森を元気にする儀式だ、とか、聞いてたけど。

 それに、族長は別に妙な図を宙に描いたりはしてなかったよ。」


「それなんだな。」


ルクスは腕組みをして、うーむと唸った。


「浄化の火が元々森の民の儀式のひとつなのかどうかは分からない。

 けれど、森に関わる術なら、平原の民ではなく、森の民のもののような気もする。

 俺たちの郷では、森を焼くようなことはしなかったから、俺たちがあの火を見る機会はなかっただけかもしれない。

 それに、なんといっても、あの奇妙な図形だ。

 あれがいったいなんなのか、そこんところを知りたい。

 森の民の秘術だとしても、俺たちは、あんなものを族長が描くところは、一度も見たことはないんだからな。」


ルクスの言うことに、僕はいちいち頷いた。


「どこかの族長に話しを聞ければ、一番早い気もするんだが。

 しかし、今はそれは不可能だろう?

 だとすれば、話しを聞けそうな相手は一人しかいない。」


「ピサンリ?」


「そうだ。

 お前、ピサンリとは仲がいいだろう?」


「ピサンリは誰に対しても同じように親切だよ?」


「いや、それは認める。

 しかし、ピサンリに一番信用されてるのは、お前だろ?

 あれがもし、何か特別な秘術なのだとしても、ピサンリは、お前になら、話すんじゃないかと思ってさ。」


僕は少し考えてから答えた。


「…他の人にも話せないようなことなら、僕にも話してくれないと思う。

 だけど、そんなに秘密にしないといけないことなら、あんなふうにみんなの前で、やってみせたりはしないんじゃないかな。」


「だよな?」


ルクスは大きく頷いてみせた。


「やっぱり、気になるのは、あのときピサンリの描いた図形が、例の本に描いてあるものにそっくりだってことなんだよな。

 あれって、悪用されないように、って、厳重に保管されてた、平原の民の宝なんだよな?

 つまり、平原の民であっても、誰でも簡単に見られるものでもなかったはずなんだ。

 そこに書いてある術を、ピサンリがひょいひょい使えるってのも、気になるし。

 いや、そもそも、ピサンリのあの術と、あの本に書いてあるものとが同じなのかどうかも、分からないんだけどさ…」


うん。

つまり、いろいろややこしい、ってことだね。


「とにかくさ。

 このまま分からない分からないって、俺たちの間で言い合ってても、埒は開かない。

 なにかいい機会を見つけて、それとなく、あの浄化の火の術のこと を、ピサンリに聞いてみてもらえないか?

 それが一番早いだろ?

 それに…」


ルクスはそこで一度言葉を切って、あの地図に目をむけた。

その目はどこか冷たく光っていた。


「浄化の火は、まだまだ必要なんだ。

 まだこれだけの森を、焼かなくちゃいけないんだから。」


う、と僕は言葉につまった。

けれど、ルクスの声は容赦なく耳に入ってきた。


「あの火は特別な火だ。

 あの火を使えば、安全に、病に罹った森だけを焼くことができる。

 そのためにも、ピサンリには、これからも協力してもらわないといけない。」


それって、ルクスとピサンリはこれからも森を焼くってことだ。


ルクスの言うことはちゃんと分かる。

だけど、分かることと、受け容れることは、ちょっと違う。

分かっていても、やっぱりそれは、あまりにも辛いことだった。


ルクスはそんな僕を気の毒そうに見た。


「お前はもういい。来なくていいから。

 白枯病の森のことは、俺たちに任せておけ。」


「…そういうわけには、いかないよ。

 …ルクスだって、辛いのは同じでしょう?」


声が震えるけど、僕は頑張って顔を上げた。

その僕を、ルクスは気遣うように見ていた。


「ああ…けど、俺は、あの後も、特にからだに変化はない。

 お前みたいに、その…」


「歌が聞こえなくなってはいないの?」


目を丸くして聞き返した僕に、ルクスは困ったような目をむけた。


「そもそも、俺には、お前ほどには、聞こえてなかった、んだと思う。多分。最初から。

というか、むしろ、お前のことを、不思議なことを言うやつだ、と思ってたからな、ずっと。」


そうなんだ!

僕はちょっと、どう返していいか分からなかった。


「こんなこと、お前に言うのは酷かもしれないけど。」


ルクスは言いにくそうにそう前置きをしてから言った。


「…ずっと、聞こえていたものが聞こえなくなったってのは、ショックだと思う。

 でも、それって、聞こえてないやつの方が多い、ものだから、そう悲観しなくても、大丈夫なんじゃないか?

 誰も、聞こえなくても、そう不自由はしてないからな。」


それはルクスなりの慰めだったのかもしれない。

でも、僕は、複雑な気持ちになったまま、黙っていた。










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