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村に着いたのは、もう真夜中過ぎだったと思う。
それでも、残っていた人たちは、食事を用意して待っていてくれた。
久しぶりの温かい食事だ。
すごく嬉しかったけど、僕は、あんまり食べられなかった。
ピサンリに、もっと食べろと言われるかなって思ったけど。
ピサンリは何も言わなかった。
館に帰ると、ベットに倒れこむようにして横になった。
少し、熱っぽい気がする。
浄化の火は僕たちに憑りついた悪いものも浄化してくれたはずなんだけどな。
そんなことを思いながら目を閉じた。
翌朝、ルクスの声がして、目を開けたら、もうすっかり明るくなっていた。
もう朝というより昼前くらいかも。
からだを起こそうとして、くらり、とそのままもう一度倒れ込んだ。
びっくりしたルクスは、アルテミシアを呼びに行った。
ふたりは僕の顔をしげしげと見て、額に手を当てたり、舌を出させたりした。
ふたりの質問に答えようとするけど、僕の声はひどく掠れていて、上手く話せなかった。
「疲れが出たんだろう。」
僕の様子を一通り確かめてから、ルクスは言った。
「あの粉を吸い込んだのかもしれないね。」
アルテミシアはそう言って薬湯をこしらえてくれた。
ちょうどそこへピサンリの来た音がした。
ルクスに出迎えられたピサンリは、いったいいつ作ったのか、食事を山盛りにしたバスケットを抱えたまま、僕の部屋に駆け込んできた。
「具合が、悪いのじゃと?」
心配そうに僕の顔を覗き込んで、手を額に当てたりする。
「熱があるのう。」
「……アルテミシア、が、やくとう…」
僕は心配しないように説明しようとしたけど、うまく声が出せなかった。
ピサンリはぶんぶんと首をふると、しっ、と指を唇に押し当てた。
「いいから。話しなさるな
それより、どうじゃ、何か、食べられそうか?」
僕は悪いと思いながらも、首を横にふった。
今は、何も食べられそうになかった。
ピサンリは悲しそうな顔になったけれど、無理強いはしなかった。
「なあに、少し休めばよくなるさ。
ピサンリ、俺たちはむこうへ行こう。」
ルクスはそう言って、ピサンリを連れて行った。
そのまま僕は数日間、ベットから起き上がれなかった。
アルテミシアは何度も薬湯を作ってくれたし、ピサンリもあれこれと僕の食べられそうなものを用意してくれたけど。
僕の熱はなかなか下がらなくて、僕はずっとベットで寝ていた。
ルクスは、ただ、無理しなくていい、とだけ言った。
ルクス自身は帰ってきてからも、なにやらひどく忙しそうだった。
朝早く、どこかへ出かけては、夕方も遅く帰ってくる。
アルテミシアも、村長さんになにか用を頼まれたり、ルクスと一緒に出かけたりしていた。
僕の傍にはずっとピサンリがいて、なにかと世話をしてくれた。
冬支度とかピサンリだって忙しいだろうに申し訳ない、って言うと、余計な心配はしなくていいと叱られた。
十日近く、そのまま寝込んで、ようやく、僕の熱は下がった。
声も普通に話せるくらいに回復した。
久しぶりにベットから下りたら、腕も足も笑っちゃうくらい細くなっていて、ふらふらしてまともに歩けなかった。
これなら、ピサンリに、ひょろひょろだって言われても、言い返せないな、ってちょっと思った。
「大丈夫。大丈夫。
またご飯をたくさん食べれば、元のように元気になるじゃろうよ。」
僕のからだを支えながら、ピサンリはそう言って笑ってみせた。
だけど、その目はちょっと泣き出しそうだった。
館の外に出た僕は、なんだか妙な感じがした。
足がふらつくとか、頭がくらくらするとか、そういうことだけじゃなくて。
なんだろう?
だけど、その原因が分からない。
ピサンリに支えてもらいながら、僕はゆっくりと足を踏み出した。
外の風は、森を焼く前よりもまた一段、冷たくなっていた。
二、三歩歩いたところで、あ、と気づいた。
花の歌が聞こえない。
いや、聞こえないわけじゃないけど。
ひどく、声が小さい。
もしかして、冬が近いから、花たちも眠ろうとしているのかも。
僕はピサンリと作った薬草畑へと足をむけた。
ついこの間、畑には、冬に収穫するための苗を植えたばかりだ。
あの苗たちなら、元気に歌っているだろうと思った。
ところが。
畑の苗の声もひどく小さかった。
そんなはずはない。
みんなとても元気に育っているのに。
傍に寄って、確かめてみたけれど。
具合の悪そうな苗は一本もなかった。
「…畑の世話なら、わしがしておきましたが…?」
後ろで心配そうにピサンリがそう言った。
そのピサンリの声は、びっくりするくらい大きく聞こえた。
「えっ?」
ぎょっとして振り返った僕を、ピサンリは不安そうに見た。
「なにか、わし、間違っておりましたかの?」
「…ぃ、ぃゃ…ピサンリは、間違ってない…、ピサンリは、何も、間違って、ない…」
そう言いながら、僕はいやいやをするように首を振った。
僕の耳はいったいどうしちゃったんだろう?
ぶちっ。
僕の手は手近にあった薬草を一本、引き千切っていた。
こんな乱暴なこと、今までしたことなかったのに。
きゃあっ、という草の悲鳴が、とてもとても遠くでした気がした。
僕は薬草を握りしめると、そのまま館のほうへむかって、走り出そうとした。
だけど、僕の足はひどく弱っていたから、すぐに畑の土に足をとられて、そのまま盛大に転んでしまった。
「!!!
大事ないか!!!」
ピサンリが慌てて駆け寄ってくる。
僕は転んだまま、握った薬草を、さらに強く、握りしめていた。
「……ぇ…ぃ…」
「へ?」
「聞こえない!」
聞き返すピサンリにいらついて、僕は思わず叫んでしまった。
ピサンリがびっくりしている。
そりゃ、そうだろう。
ピサンリには僕に怒鳴られる理由なんかない。
これは完全に僕のほうがおかしい。
だけど、僕はその勢いを止められなかった。
「聞こえないんだよ!声が!歌が!
こんなことをしても!」
僕は握りしめた薬草を見た。
可哀そうに、握りつぶされてぐったりしている。
僕はその草を自分の耳の近くへ持って行った。
草の悲しそうな声が、とても遠くで聞こえる。
いや、声がとても小さいんだ。
僕の耳は、おかしくなってしまった…
「大丈夫か?」
僕に怒鳴られたのに、ピサンリはひどく心配そうな顔をして、僕のことを覗き込んでいた。
そのピサンリの声は、普通に、今までと同じに聞こえていた。
草の声だけ、聞こえないんだ…
そのとき、僕ははっとした。
館を出ても、ひどく世界は静かだった。
いつもはもっと、木や草の歌う声が聞こえていたはずだったのに。
ここは森じゃないし、冬が近いから、夏ほどには、みんな歌わないんだ。
勝手にそんなふうに思い込もうとしていたけれど。
違う。それだけじゃない。
僕の耳が、彼らの歌を聞こえなくなっていたんだ。




