36
気が付くと、馬車のなかで揺られていた。
からだを起こすと、御者台のほうから、ピサンリがのんびり言うのが聞こえた。
「もう少し、横になっておるとええ。
このまま夜通し走って、村に戻るそうじゃから。」
すっかりお天気はよくなっていて、金色のお日様が眩しい。
辺りは夕方の景色だった。
思ったより時間は経ってなかったのかな。
「昨日は大変じゃったのう。
お前様、あれから丸一日、目を覚まさなかったのよ。」
のんびり言うピサンリに、僕はちょっと目を丸くした。
丸一日?
って、今はもう、あれから一日、経ってるってこと?
「昨日は皆、疲れ果てておって。
馬車に戻って、保存食だけ食べて休んだのよ。
今朝早く、森を出発したんじゃが。
お前様は、その間ずぅっと眠ったきりよ。」
そうだったんだ。
「その。ごめん。迷惑、かけた。」
「なんのなんの。お前様は鶏がらみたいに軽いから、運ぶのも造作ない。
しかし、丸一日眠っておったからの。
腹、減っとらんか?」
そう言いながら、ピサンリは、干し芋の入った袋を投げて寄越した。
「水は、ほれ、そこの皮袋にある。
お茶を淹れることはできんが、あの森の水じゃもの。
きっと、お前様のからだも、楽にしてくれようよ。」
僕はお礼を言って、皮袋の水を少し飲んだ。
それから、干し芋を取り出して、端っこをちょっと齧った。
「今はそれで我慢しなされ。
村へ戻ったら、上手い飯を作ってやろう。」
うん、と僕は黙ったまま頷いた。
お腹はあまりすいていなかった。
けれど、何か、温かいものがほしいとも思った。
胸のずんと奥のほうに、なにか、重たい塊を感じる。
それは、あの森にいたときから、ずっと感じていたものだった。
「食べたら、もう少し眠るとええ。
辛いときは、とにかく眠ってやり過ごすのよ。」
眠くはないんだけど。
そう思いながらも横になる。
座っているよりは楽だった。
「そうそう。お祭りの木も一本、いただいてきたぞ?」
ピサンリはひとりでしゃべり続けた。
「先頭の馬車に載せてある。
帰ったら、急いで冬至祭りの支度じゃ。」
冬至祭りかあ。
僕は去年の冬至祭りを思い出した。
まだ、僕らは郷にいて。
郷のみんなも、そこにいた。
「灯を、灯すんだ。」
僕はぼそっと言った。
ほう、とピサンリの言うのが聞こえた。
「僕らのお祭りはね。
森じゅうの木に、明りを灯すんだよ。」
「それは、綺麗じゃろうなあ。」
ピサンリはのんびりと言った。
「森の民の祭りを見てみたいのう。
いつかまた、森に森の民は帰ってくるじゃろうか。」
「…どうかな…」
彼の地へ旅立った森の民は、もう帰ってこない。
僕らの間じゃ、そう言われていた。
「今年の祭りの木は、賢者様方に、森の民風の飾り付けをしてもらいますかのう?」
「森の民風って、取り立てて、特別なことはなにもないよ。
ただ、明りを灯すだけだから。」
燭台を取り付けておいて。あとは、日没と同時にそこへ灯をつけていく。
飾り付けなんて、ただ、それだけなんだ。
「ほう。
それならば、平原の祭り風をみなさんに見ていただくとしましょうかのう。
わしらのは、小さな木彫りや、色とりどりの糸で作った花を、たくさんたくさん、飾り付けるのじゃよ。
それから、家の中にものう。
草を編んで動物の形にしたり…小枝や草を使って、小さな森を再現したり…」
「なんか、そっちのほうが、楽しそうだね?」
「そうですかのう?
そんなことを言われたら、わし、張り切ってしまいますのう。」
ピサンリは、あはは、と笑った。
その笑い声を聞いていたら、ほんのちょっとだけ、からだが楽になった。
「祭りはいいのう。
ご馳走も、今年は一段と腕によりをかけて作ろうかのう。
しかし、村じゅうのみなが、賢者様方に食べていただきたいと、それぞれの得意料理を持ってくるじゃろうから。
賢者様、今から少しからだを鍛えて、たくさん食べられるようにしとかんといかんぞい。」
「たくさん食べるのに、からだを鍛えないといけないの?」
妙なことを言うなあと僕はピサンリを見た。
ピサンリは、はは、と軽く笑った。
「お前様はそんなひょろひょろで、食事もほんのぽっちりしか食べられんからの。」
「僕、べつに、そんなにひょろひょろでも、食べないわけでもないよ?」
そりゃ、ルクスは僕よりよく食べるけどさ。
平原の民は、もっともっと食べるけどさ。
僕のこれは、普通、だよ。
「郷のお年よりは、もっと食べないし。
何日も水しか飲まない人だっているんだから。」
「そういえば、じいさまも、そうじゃったのう。
もっともあのお人は、水ではなくて、酒ばかり飲んでおった。」
「…それ、なんか、からだに悪そう…」
「わしも、そう思うての。
あれこれと、じいさまの好物をこしらえては、持って行ったのじゃが。
いっつも、ほんのぽっちりだけ食べて、あとはわしに食えと言う。
本当に、困ったお人じゃったのう。」
ピサンリは本当に困ってる風はなくて、どこか懐かしそうに、ふふ、と笑った。
「お前様を見ていると、ときどき、じいさまを思い出すのよ。
森の民だということ以外は、取り立ててどこも似ておらんのじゃが。
なんじゃろう、放っておけん感じというかの。」
「それって、世話が焼ける、とか、そういうこと?」
「世話が焼ける?
ふむ。そうじゃのう。」
ピサンリはまた、あははと笑った。
「わしは、存外、世話好きなんじゃろうの。
じいさまも、お前様も、世話を焼いていても、いっこうに苦にならん。
むしろ、もっともっと、何かしてやりたい、と、思いますのう。」
あははは、と僕はちょっと苦笑した。
なんだか、お世話をされてるのも、申し訳ないんだけど。
「気にせんでええ。
もっと、お世話させてくだされ。
わしは喜んでやっておりますのじゃ。」
と…、そう、言われましても…
ピサンリは僕の気持ちを軽くしようとして、こんなふうに言ってくれてるのかもしれないな。
僕、やっぱり、もうちょっと、しっかりしないと。
「もうちょっとしっかりしよう、なんて思わんでええ。
お前様は、じゅうぶんに、ようやっておられるよ。」
まるで、心の中を読んだみたいにピサンリにそう言われて、僕はびっくりした。
それから、あはは、とさっきよりちょっと普通に笑えた。




