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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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走って、走って、走り抜けて。

とうとう、息が続かなくなって。

そしたら、なにかの拍子に、足がぐるんぐるんにもつれた。

転んだついでに、そのまま地面に、ぜいぜいと息を切らしてへたりこんだ。


とにかく、息が苦しい。

焼けるみたいな胸の中に、せっせと息を送り込む。


苦しい苦しい苦しい。

とにかく、息が、苦しい。

頭の中もうそれだけで、いっぱいいっぱい。


ブブが小さな手で僕の背中を撫でてくれている。

それを感じるけど、ブブに何かを言う気力すらわかない。


息を吸う。

貪欲に。

息ができる。

それが、嬉しい。

吸い込む度に、からだが楽になっていく。

あ。生きててよかった。と、唐突に思う。


ふと、湿った土の匂いがした。

おや、と思ったけど、気にせず吸い込んだ。

吸える空気なら、もうなんでもかまわない。


しばらくそうしていて、ようやく、呼吸が落ち着いて、辺りを見回した。

見覚えは、…なかった。


なんとか危険な場所からは離脱したものの。

気が付くと、僕らは見知らぬ森にいた。


でも、森、だもの。

大丈夫!

………かな………


怖い怖い怖い。

あのとき、頭の中にはその言葉だけがぐるぐる回っていた。

だけどさっきは息が苦しくて、そのおかげか、すっかり、その言葉は消え去っていた。

あのとき感じた恐怖は、到底忘れられそうにないけど。

とにかく、今の頭の中は、それだけに埋め尽くされている、状況じゃなかった。


アルテミシアもブブも僕より先に呼吸が落ち着いて、辺りを見回していた。

というか、ふたりとも、全然、呼吸を乱してない?

つまりは、ふたりに手を引っ張られて必死に走ってた僕だけ、あんなに息を切らせていたみたい。

つくづく、運動不足って、ダメだね?


「あるじさま、だいじょうぶ?」


ブブは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


「あー…はは…大丈夫、だよ。」


僕は力なく笑ってみせた。


「さっきはすまなかった。

 じゅうぶんに、道は分かっているつもりだったが。

 あたしも、危うく、あれ、に、取り込まれかけていた。」


あの場を支配していた恐怖の感情を、アルテミシアは、あれ、と表現した。


「前に来たときにも、あれ、の存在は、うっすらと感じたんだ。

 あれ、が、つまり、残留思念、なんだな?」


「じゃないかな。」


そしてそれは、エエルによって増幅されているんだ。


「壁、までは辿り着けなかったけど。

 きっと、あのまま進めば、その壁があるんじゃないかなあ。」


「前に来たときには、ちらりとだけど、壁そのものもこの目で見た。

 つまり、もう少し先まで行けたんだ。

 だけど、今回は、前よりもっと、あれ、が濃くなってて、進むのも容易じゃなかった。」


「実際、濃くなってたのかも。

 だって、その間も、エエルは供給され続けてたわけだから。」


僕はあのねっとりとからみつくゼリーのような空気を思い出した。

あれは、増幅された残留思念なんだろうか。

あんなふうにゼリーになって、それがさらに固くなって、いつの間にか壁になる。

闇の壁というのはそんなふうにできたんじゃないかな。


僕はふたりにその話しをしてみた。

アルテミシアは、うーん、と唸って頷いた。


「なるほど。確かに。そう考えると説明がつくな。」


ブブは残留思念は時間の経過とともに薄れていくって言ったけど。

あれは放置してたら、ますますエエルに増幅されて、そのうちとんでもない壁になるかもしれない。

いや、壁というより、もう、山、か。

誰も踏み込めない、恐怖に支配された、山、だ。


なにせ、あの近くには、アニマの木があって、その木は残留思念に呑まれたまま、エエルを供給し続けている。

さっきは、その木の存在を確認できなかったけど。

アニマの木の主の話しなら、きっと多分、それは間違いない。


「とにかく、いったん戻って、ルクスにもこの話しをして、相談しよう。」


アルテミシアは自分に確認するように言った。


「これは、楽園に残るかどうか、なんて悠長なことを言っている場合じゃないな。

 あの山が、この先ますます大きくなれば、あたしたちの会ったあのアニマの木も、いずれ呑み込まれるかもしれない。

 そうなれば、ますますエエルの供給量は増えて、恐怖の山は飛躍的に膨れ上がるだろう。

 いずれは、トゥーレの村や、もしかしたら、王都や、そのむこうの世界まで、呑み込まれる可能性だって、考えられる。

 恐怖の山の膨れ上がる先には、アニマの木もたくさんある。

 そして、アニマの木が取り込まれる度に、エエルの供給量は増幅していく。

 やがては、この世界全体が、恐怖の山になってしまうかもしれない。」


世界が恐怖の山に呑み込まれてしまう。

その想像をして、僕はぷるぷるとからだを震わせた。


「なんだか、とんでもない話しになってきたね。」


「せっかく、世界の崩壊は免れたってのに。

 一難去ってまた一難だな。」


アルテミシアはふるふると首を振った。


「あの山は、人の命は奪わないかもしれない。

 けど、あの中にいると、人は、精神を恐怖に支配されて、気力も何もかも失くしてしまう。

 それは、生きている、とは言えない状況だ。」


このことを話したら、きっとルクスは、なんとかする、って言い出すに違いない。

だけど、どうしたらなんとかなる、んだろう。

なんとかしたい、とは、僕だって思うけど。


いや、それ以前に。

そもそも、僕ら、無事に村に帰りつけるのかな。


「ねえ、アルテミシア。

 アルテミシアは帰り道って、分かるの?」


僕がそう尋ねたら、アルテミシアはちょっと目を見開いて僕を見た。


「え?

 っあ、ああ、うん。」


その目は、君は分からないのか、って言ってるみたいだった。

直接言葉にしてそうは言わなかったけど。


そっか。アルテミシアは分かるのか。流石だね。


「もう少しして、月が出たら、出発しよう。

 幸い今日は満月だから、一晩中、方角が分かりやすい。」


「月?」


「ルクスはお日様のほうが得意なんだけどね。

 あたしは、月を見て進むほうが得意なんだ。」


まあ、だから、ルクスとあたしとふたりいれば、昼も夜も、先に進めて便利だったんだよ、とアルテミシアは笑った。


それから、僕らは月の出るのを待って、無事に村へと帰り着いた。
















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