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この地を護るアニマの木にとって、闇の壁はきっと脅威となるだろう。
回りくどいのは得意じゃないし、僕は直接、尋ねてみた。
「あの。
暗い気持ちに染まったエエルが積み重なって、壁のようになってしまっているところ、知りませんか?
そんな壁があったら、この土地を楽園にするのに支障になると思うんだけど…」
「暗い気持ちに染まったエエルの、壁?…」
アニマの木の主はしばらく考えてから答えた。
「そのようなものに、心当たりはありません。」
そっか。
けど、僕は、聞き方を変えて、もう少し尋ねることにした。
「じゃあ、なにか、最近、変だな、と思うようなことって、ありませんか?
なにか、ちょっとした、違和感とか。」
違和感?とアニマの木の主は繰り返して、はっと、頭を上げた。
「それは、ええと…
何からお話ししたらいいのか…」
アニマの木の主は、また少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「わたしはこの場所から動けませんから、遠くのことを知るには、音に頼るしかありません。
いろいろな声が、いろいろなことを、わたしに伝えてくれます。
鳥や虫、それから風、森の木々の葉擦れの音…
わたしたちは、いろいろな音で、話しているのです。
そうやって話していて、あるとき、わたしはこの森にもうひとり、わたしととてもよく似た境遇の方を見つけたのです。」
え、と僕は聞き返した。
「それって、この森に、アニマの木はもう一本ある、ってこと?」
「ええ。おそらく。
わたしたちは、どことなくお互いに似通っていて、話しもよく合いました。
そのうちに、毎日、朝昼晩、休むことなく、話しをするようになりました。」
「毎日、朝昼晩、休みなく話す?
それって、なにかの、修行?」
思わず聞き返してしまったけど。
アニマの木はかすかに微笑んで、ええ、それはそれは、楽しい修行です、と返した。
「けれど、最近になって、その方の声が、聞こえなくなったのです。」
「声が、聞こえなくなった…?」
「ええ。
あれほどに、毎日、話しをしていたのに。」
アニマの木の主の声には、心配と淋しさが滲んでいた。
「そのアニマの木って、どこにあったか、分かる?」
「場所は分かりません。
ただ、声の聞こえてきた方角は、こちらでした。」
アニマの木の主の指し示した方角を見たブブは、いきなり青ざめて首を振った。
「あっち、だめ。
あっち、こわい。
こわいの、いる。」
こわいのが、いる。
つまり、そっちに闇の壁はある。
そして、そこには、もう一本のアニマの木があったんだ。
「もしかしたら、そのアニマの木は、残留思念に呑まれたのかもしれない。」
そう言ったのはアルテミシアだ。
アルテミシアは、アニマの木の主の声は聞こえないけれど、僕らの話すのを注意深く聞いていて、話しの内容はだいたい分かっているみたいだった。
アルテミシアは厳しい顔になって、眉をひそめた。
「もしも、そこにアニマの木があったら…
残留思念には、休むことなく、エエルが供給し続けられていることになる。
すると、ますます闇の壁は、大きく、強くなる。」
「なんてこと!」
思わず叫んでしまった。
アニマの木のもたらすエエルの量は、それはそれは大きい。
なんなら、ヘルバの木、たった一本だけで、世界の崩壊を止められるくらい、エエルを供給することができたんだから。
だけど、それだけのエエルを、全部、暗く重い思念に染められてしまってるとしたら…
そんな壁、いったい、どうしたらいいんだ?
僕は力なくへらへら笑ってみせた。
「だけど、そんなこと、あり得る?」
あり得るかどうか、より、あってほしくない、という気持ちが強かったからかもしれない。
僕には、にわかには信じられないと首を振った。
「まさか、だよ。」
「それは、調べてみるしかない。」
アルテミシアは淡々と宣言した。
そうか。やっぱり調べるのか。
そりゃ、そうか。
あんまり行きたくない僕と違って、アルテミシアは、もう今すぐにも調査に出かけるつもりなようだった。
「なるほど。それはひとつの可能性だ。
しかも、かなり、信憑性は高い、とあたしは考える。
先入観に凝り固まるのは禁物だ。
けれど、仮説を立てて調べることで、より早く、真実に辿り着く、ということもある。
何に視点を置いて、何を優先すべきか、はっきりするからな。」
それから、アルテミシアはブブと僕の顔を交互に見て告げた。
「君たちは、来なくていい。
行くならあたしひとりで行く。」
「そんなこと、させられないよ。」
「あるじさま、いく。
ブブも、いく。」
僕らは同時に叫んでいた。
アルテミシアはちょっと苦笑して首を振った。
「大丈夫だ。
あたしは道を覚えている。
ぎりぎり、危険な領域には近付かないように、調査をする。」
「だけどさ、そのアニマの木、が、危険な領域の中にあったら、どうするの?
調査、できないじゃないか。」
「そのときは深追いせずに引き返して、違う手を考える。」
「だったら、僕らも行ったって、大丈夫なはずだよね?」
う。と、アルテミシアは一瞬、黙った。
その隙に、アニマの木の主が言った。
「調べてくださるのですか?」
そうだ。
その相手は、おそらく、アニマの木の主にとっては、すごく大切な仲間だろう。
それなのに、どうなっているのかも分からなくて、調べに行きたくても、ここから動くこともできなくて。
それは、とても、辛いことだと思う。
「ならば、微力ながら、わたしも、お力をお貸ししましょう。」
アニマの木の主は、ふるふるとからだを震わせた。
すると、きらきらと眩しく光る木の葉が三枚、ひらひらと落ちて来た。
「この葉には、わたしの力をこめてあります。
どうか、これをお持ちください。」
これじゃあもう、アルテミシアは、僕らに来るなとも言えない。
アニマの木の主の力のこもった葉っぱを一枚ずつもらって、僕らはそこをあとにした。




