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とにもかくにも、ひと眠りするか。
アルテミシアは、話し合いの様子を見てから行く、と言って、食堂へ行ってしまった。
朝食を終えた僕は、ブブと一緒に部屋に戻った。
そういえば、ルクスのベットは昨日使った形跡がない。
ルクスも昨日、一晩中起きてたんだ。
もしかしたら、あの話し合いは、昨日からずっと続いてるのかもしれないな、と思った。
そういえば、みんな赤い目をして、疲れた顔をしてたっけ。
だけど、あの話し合いは、アルテミシアの言うように、どこまでいっても結論の出ない、不毛な話し合いかもしれない。
なのに、どうしてみんな、それをやめないんだろう。
ブブの説得も今は諦めて、僕はベットに入った。
ブブは、器用に僕の肩から下りて、ごそごそと当然のように腕の中に入ってきた。
「おやすみ。」
お日様はもう高く上っていて、部屋の中は明るいけど。
疲れていたから、このまま眠れそうだ。
気が付くと、僕は荒野にいた。
どっちをむいても、ごつごつした岩と、ごろごろと転がる石ころしかない。
草も木も生えていなかった。
どんな場所にも、生き物はいるはずだけど。
ここには生き物の気配がなかった。
息を潜めている、のでもない。
本当に、何も、いないんだ。
どこからか乾いた風が吹く。
ぴゅう~と風の吹き渡る音がする。
ここにあって、音をさせるものは、その風だけだった。
と、ふと、ブブはどこにいったんだろう、と思った。
一緒にいたはずなのに。
きょろきょろと見回すと、唐突に、そこに、ブブがいた。
「ブブ!」
「あるじさま!」
ブブは僕に飛びつくと、しがみついてきた。
受け止めると、背中が小さく震えていた。
「こわい…こわい…」
ブブは小さな声でそう繰り返した。
僕は、よしよし、ごめんね、と言った。
「喚びだしてしまったから…」
そう言ってから、そうなのか?と思う。
僕は、ブブを、喚びだした、のか?
そんなこと、できたっけ?
だけど、そこでは、大真面目に、それが事実だった。
ブブがなにを怖いと言っているのかも、僕には分かっていた。
この場所そのもの、だ。
ぴゅう~、という風の音に、なにか、人の声のようなものの混じっているのに気付く。
それは、低い唸り声になったり、高い叫び声になったりする。
聞いていると頭が痛くなって、僕は耳を塞いでうずくまった。
「あるじさま!」
ブブは、多分、自分だって辛いはずなのに、両手で僕の耳を塞いでくれた。
ブブのあったかくて、ちょっと湿った、柔らかい小さな手の感覚が、僕の正気を呼び戻した。
「…ごめん、ブブ…
ここから離れなくちゃ…」
「わかった。」
ブブがそう応えた。
と思ったときには、僕は、どこか森の中にいた。
長閑で、明るくて、平和な森。
さっきの荒野とは打って変わって、ここは安全で安心できる場所だった。
「…ここは?」
「トゥーレ。」
ブブの答えを待つまでもなく、僕は、ゲストハウスの屋根を見つけていた。
そこは、トゥーレの境界の内側、悪いもの、の入って来られない場所。
あの荒野に吹く風は、決して、ここには入ってこない。
それにしても、さっきのあの叫び声はなんだったんだろう。
高く、耳を劈き、低く、重苦しい。
どこかそれは、闇の塊にも似ている、と思った。
だけど、闇の塊なわけじゃない。
いうなれば、もっと、存在自体は希薄な感じ。
「あれは、いったい、なんというものなのかな。」
誰に問いかけるというわけじゃない。
ただのひとり言だった。
けれど、ブブはそれに答えてくれた。
「しねん。」
「しねん?」
咄嗟になんのことだか分からない。
すると、ブブは言い直した。
「ざんりゅうしねん。」
「残留思念?」
よくそんな難しい言葉知ってたね、と言いそうになって、いやいや、と思い直す。
ブブは、小さい子に見えるけど、小さい子なわけじゃない。
もしかしたら、僕よりもっと、大人、な存在なのかもしれない。
「エエル、ざんりゅうしねん、ぞうふくする。」
ブブは続けて言った。
「エエルは、残留思念を、増幅する?」
僕はブブの言ったことをそのまま繰り返しただけだけど。
ブブは、大きく頷いた。
「エエル、ひとのかんじょう、そまる。」
「エエルは人の感情に染まる?」
「くるしいいろ、つらいいろ、こわいいろ…」
「苦しい色。辛い色。怖い色。」
具体的にそれがどんな色かは知らないけれど、どうしてか、僕にはそんな色が想像できた。
「そうか。つまり、あの風は、人の感情に染まった、エエル。」
精霊の放出するエエル。
今、この世界には、そのエエルが溢れている。
溢れたエエルが、人の残留思念に染まって、あの暗い風になっている、というわけか。
「くらいいろのエエル、おもくしずむ。
しずんだエエル、かべになる。」
「暗く染まったエエルは、重たくなって沈む。
そうして沈んだエエルが、壁になって、立ちはだかる。」
僕ははっとした。
これはもしかして、ブブが、あの闇の壁のことを、僕に教えてくれている?
「あるじさま。」
ブブは僕の手をぎゅっと握った。
「あるじさま、どうしても、いく。
ブブも、いく。」
「僕がどうしても行くんなら、ブブも行く、ってことだね?」
僕はブブの手を握り返した。
小さくてとても柔らかくて、ちょっと湿った手。
こんなに小さいのに、握るとすごく安心した。
「ざんりゅうしねん、けす、ほうほう、ない。」
「残留思念を消す方法は、ないんだ。」
「ながいあいだ、かぜ、ふきちらす。
ざんりゅうしねん、うすくなる。」
「長い時間をかけて残留思念が風に吹き散らされるのを待つしかない?」
だけど、闇の壁が風化して消え去るには、いったいどのくらいの時間がかかるかは分からない。
その間ずっと、村の中で待っているしかない、ということなのかな。
僕らなら、その選択肢もありかもしれない。
千年でも、二千年でも、僕らなら、待てる。
だけど、彼らには、それは待てない時間だろう。
それにしても、闇の壁の正体を分かったのは大きい。
きっとブブはこれを調べてきてくれたんだ。
これは夢だけど、ただの夢じゃない。
多分、ブブが、僕に何かを伝えるために見せているもの。
その証拠に、あれだけの恐ろしい場所にいたのに、僕には何のダメージも入ってない。
それって、ここが、ブブの護ってくれている世界だからだ。
「ブブ、ねむい。」
ブブは僕の手を引っ張ってそう言った。
僕はブブを見下ろして、ちょっと考えてから、抱き上げた。
僕の胸にしがみついて、ブブは安心したみたいに目を瞑る。
よしよし。少しおやすみ。
僕は小さい子をあやすように、ブブの背中をたたいてゆすった。
すぐにブブは、気持ちよさそうな寝息を立て始める。
ふぁあっ。
僕も、眠いや…
そのへんに適当に座って木にもたれる。
多分、きっと、問題ない。
おやすみ…
誰にともなくつぶやいて、僕も、いつの間にか眠っていた。




