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この村はぐるっと周囲を取り囲む、境界、で護られている。
闇の壁は、村からはけっこう離れたところにあって、そことの間にはいくつか疑似アマンがある。
その疑似アマンは、楽園かと思うくらい穏やかな森だ。
ルクスたちは、狩のついでに、闇の壁を見に行くと言っていた。
多分、一緒に行った人たちって、うっかりしっかりコンビの言うところの、物好き、な人たちなんだろう。
もしかしたら、ルクスたちを、闇の壁まで案内してくれているのかもしれない。
闇の壁には、途中の疑似アマンで迷わされて、なかなか辿り着けないらしいから。
そこで、はっと気付いた。
もしかしたら、その疑似アマンは、村の人たちを、闇の壁から護っているんじゃないだろうか。
恐ろしい場所へ行ってしまわないように。
最近、ときどき、疑似アマンには、そういう、意志?みたいなものもあるんじゃないかと、思うときがある。
それでも、見に行っちゃうんだ。人って。
もちろん、それって、闇の壁、っていう根本を解決したいから、なんだけど。
それって、疑似アマンの意志には、逆らってる、ってことだ。
それがいいことなのか悪いことなのか、僕には分からない。
そもそも、いい、と、悪い、は、実はそう簡単に分けられないんじゃないかとも思う。
ここの村の疑似アマンは、楽園みたいなところで、もしかしたら、村のみんなを護ろうとしていて。
だけど、村の境界の内側には、疑似アマンはできない。
村の境界は、悪いモノ、が入ってこられないから。
つまり、疑似アマンも、悪いモノ、ってことになる。
闇の壁。
考えただけで恐ろしい。
なるべくなら、近付きたくない。
だけど、それがあると、この村の人たちは、この村の近辺より遠くには行くことができない。
この村は、今現在、楽園みたいで。
ここから外へ出て行く必要なんか、ないかもだけど。
だけど、王都には、村の人の家族がまだ残っている。
その人たちと、もう会えなくなるとしたら、それは、悲しい。
やっぱり、闇の壁は、なんとかしなくちゃ、なんだ。
行きたくない人は、行かなくてもいい、と思うけど。
行きたい人が、行けないというのは、よくないんじゃないかな。
その日の夕方。
ぐったりしたブブを抱えて、ルクスたちは帰ってきた。
「いったい、どうしたの?」
僕は何があったのかルクスたちに尋ねた。
「…よく、分からない。
突然、倒れて、こんなふうに…」
受け取ったブブは、からだじゅう熱かった。
ぐったりして目を閉じている。
なのに、僕の胸に顔をこすりつけて、か細い声で呟いた。
「…あ、るじ…さま…」
「かわいそうに。
よしよし。
ベットで休もうね?」
僕はブブを連れて寝室に行った。
だけど、ベットに下ろそうとした途端、ブブはものすごい力で僕の胸にしがみついて、びっくりするような声で叫んだ。
「いやーーー!
いやなのーーー!!」
びっくりして僕はブブをもう一度抱きしめた。
すると、ブブは、苦しそうな息を吐きながら、しくしくと泣き始めた。
ブブのからだは、燃えるように熱かった。
こんな熱を出して大丈夫なんだろうか。
とてつもなく不安になった。
なにかぶつぶつ呟いている。
聞き取りにくくて、耳を寄せると、ぽつぽつと聞き取れた。
「こ、わい…こ、わい…こわい…」
怖い?
何か夢でも見ているんだろうか。
もう一度ベットに下ろそうとしたら、また、さっきみたいに叫ぶかもしれない。
僕はそのままブブを抱いて、椅子に腰掛けた。
背もたれにもたれて、お腹の上に乗せるようにして、ゆっくりとブブの背中を撫でる。
すると、少しずつ、ブブの泣き声はおさまって、すぅすぅと眠り始めた。
そこへ冷たい水の入った手桶と手拭を持って、アルテミシアが入ってきた。
僕は、ブブを抱きかかえていて、身動きできない。
アルテミシアは手拭を濡らすと、ブブの額に乗せてくれた。
そのまま隣に椅子を持ってきて、アルテミシアは腰掛けると、僕に話しかけた。
「さっき、ブブ、叫んでいたね?」
「下まで聞こえた、よね?」
あんな大きな声で叫んだんだもの。
「ベットに寝かせようとしたら、いやーーー、って叫んだんだ。」
それからものすごい力で、僕の胸にしがみついた。
よく見ると、今もブブは、僕の服を、ぎゅっと握りしめていた。
「君の胸が一番安心なんだろう、ブブは。」
アルテミシアは、横からブブの顔を覗き込んで、そっと、顔にかかった髪を避けてやった。
ブブは口を開けたまま眠っている。
その顔は、さっき、いやーーー、と叫んだときより、また少し、穏やかになっていた。
「怖い、って、寝言を言ってた。
夢でも見てるのかな。」
僕がそう言ったら、アルテミシアは眉をひそめて首を傾げた。
「もしかしたら、怖い思いをさせてしまったかもしれない。」
「怖い思い?」
アルテミシアはため息を吐くと、思い切ったみたいに話し始めた。
「今日、森の中で、ブブは突然立ち止まって、行きたくない、って言ったんだ。
だけど、あたしたちは、闇の壁を調べないとと思ってたから、そのまま無理やり連れて行った。
そうしたら、突然、さっきみたいに叫んで、そのまま気を失った。」
「でも、ブブは、行きたくなかったら、自分で逃げだすよね?」
「…ごめん。
逃げられないように、ルクスが捕まえていたんだ。
あんな場所で迷子になったら大変だ、って思って。」
確かに、迷子になったら大変だ。
小さいころ、僕もしょっちゅう迷子になってたから、ルクスはいっつも僕の手首のところを捕まえていた。
歩きにくかったし、ちょっと痛かったから、いやだったけど、迷子にならないためだと思って、我慢した。
だけど、ブブは、小さいころの僕とは違う。
たとえ迷子になったって、自分で道を探せるし、ちゃんと僕のところに帰ってくる。
でも、ルクスやアルテミシアは、ブブのそういうところは分かっていない。
ブブは見た目は小さい子どもだから、幼い子にするように、してしまったのかもしれない。
僕は、そっとブブの手首を撫でた。
よしよし。痛かったね。いやだったね。
ルクスに悪気はないんだよ。
君のためだと思ってしたんだ。
ブブは大丈夫だから、好きにさせてあげてほしい、ってちゃんと言っておくべきだった。
「朝のうち、ブブは、大活躍だったんだ。
こっちに来て、って叫んだかと思うと、突然、飛び始めて。
ついて行ったら、そこにアニマの木があったんだ。」
アルテミシアは申し訳なさそうにしながらも、話してくれた。
「それはそれは、立派な木だったよ。
匂い立つように、辺りには、とてもいい香りが漂っていて。
それで、はっとしたんだ。
この森には、もっとかすかだけど、同じ匂いがする。
それは、この木の香りだったんだ、って。」
アルテミシアはその香りを思い出すように、目を閉じてゆっくりと呼吸をした。
「あれは、なんだろう、不思議な香りだった。
どこかで嗅いだ覚えはないのに、どこか懐かしくて。
満ち足りているのに、どこか、もの淋しい。
そうだな。
子どものころ、夏の夕暮れ、遊び疲れて帰ってきた家、みたいな感じ?
春先の冷たい風のなか、満開の花を見たときに、ふっと淋しくなる、そんな感じ?
いや、ちょっと、違うか…」
上手く言えないなあ、とアルテミシアは首を傾げた。
香りを説明しようとしたアルテミシアの言葉を聞いていて、僕は、ふと思い出した。
「アルテミシアの感じたのは、エエルの香りかもしれない。
匠も、エエルを香りとして感じる、って言ってた。」
子どものころの夏の夕暮れ、遊び疲れて帰ってきた家。
春先の冷たい風のなか、満開の花を見たとき、ふっと淋しくなる。
そんな感覚を、僕もよく知ってる。
僕は、それを、歌に聞こえるけれど。
「そうか。
あれが、エエルか。」
ふーん、とアルテミシアは頷いた。
「あの匂いを、あたしはもうずっと前から知っていたと思うんだ。
ただ、気付いていなかった。
だけど、気付いた途端に、忘れられなくなった。」
アルテミシアは何かに納得するみたいに頷いた。




