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どのくらい歩き続けたんだろう。
相変わらず明るくて気持ちのいい森は続いていた。
けど。
なんか、おかしい?
流石の僕も、そう思い始めていた。
「なあ?」
何度目か方角を確かめたルクスが、誰にともなく尋ねた。
「ここは本当に、疑似アマンじゃないのか?」
「…もしかしたら、疑似アマンかもしれない。」
アルテミシアより先に僕は答えていた。
ちょうど、僕もそう思っていたところだったから。
ルクスは、そうか、とだけ言って、いきなりその場に座り込んだ。
「さっきからお日様の位置が、ちっとも変わらねえんだ。」
そう言って梢のもっと先、高いところを見上げる。
アルテミシアと僕もその周りに腰を下ろした。
このまま歩き続けても、外に出られる、とは思えなかった。
そうなんだ。
森はずっと明るくて、だけど、本当なら、もうちょっと、明るさって変わってくるもんだから。
ここは、本当に、永遠に明るい、居心地のいい、森だった。
アルテミシアは辺りをきょろきょろと見回していた。
「疑似アマンに実際に足を踏み入れたのは二回目だ。
しかし、疑似アマンというのは、それぞれこんなにも違うものなのだな。」
アルテミシアは驚くというよりは、感動しているというふうだった。
「そうだ。
ふと思ったのだが、もしかしたら、ヘルバの家、あれも、疑似アマンの類なんじゃないか?
そうだ。
きっと、そうだ。」
ついでに何か思いついて、それにも感動してるみたいだ。
「もしかしたら、あたしたちは、知らないうちに、あちこちで、疑似アマンに足を踏み入れているのかもしれないな。」
「へえ。これが疑似アマンねえ。
もう、ここに、棲んじまおうか、ってくらい、居心地のいい森だけどな。」
「僕の知ってる疑似アマンは、もうちょっと、なんというか、ヤバい?感じがしたんだけど。」
「ここだって、じゅうぶんに、ヤバい、かもしれない。
俺、もう面倒なことは全部やめて、ずっとここにいようかなとか、思うもんな。
アニマの木をどうにかする、って仕事がまだあるのに。」
アニマの木をどうにかする、っか。
そもそも、どうにか、なんか、できるもんかな。
実際に試したわけじゃないし。
これから行って試そうとしてたわけだけども。
確かに、もういいっかあ、って気になってきた。
なるほど。
これが、ヤバい、ってことか。
そのくらい、その森は、居心地がよかったんだ。
「つまり、これは一種の罠か?」
アルテミシアは何やら腕組みをして考え込んでいる。
この事態も面白がってるみたいだ。
「居心地のいい疑似アマン。
そういうものも、存在するのか。
なるほどなるほど。
確かに、ヘルバの家も、居心地はいい。
なるほどなるほど。」
まあ、僕も、あの家に行くと、外に行きたくなくなるけどさ。
「でも、僕たち、やっぱり、ここから、出ないといけない、わけだよね?」
王都に行かないと、なんだからさ。
「だな?」
ルクスは僕を見てにやっと笑った。
まるで、僕が、もうずっと、ここにいたい、って、思ってるのを、見破ってる、みたいに。
「しかし、出口を、どうやって見つけるか…」
匠は疑似アマンに入るときには、ロープを使う。
入る前にどこかにしっかりとくくりつけておいて、それを手繰って戻るんだ。
だけど、僕ら、知らないうちに迷い込んでたから、その手は使えない。
だとすると、出口は、どうやって見つけたらいいんだろう。
「ヘルバの家には、ちゃんと、扉、があるんだよな。
つまり、出入り自由な疑似アマンなんだ。
あれは、見事だな。」
アルテミシアは、ひとり、やたらと感動していた。
「あのアニマの木は、ヘルバの絆の木だった、と言っていたな。
木とヘルバとの間には、長年培われた親愛の情、みたいなものがあったのかもしれない。
ヘルバは木を守り、木はヘルバを守っていたんだ。
だから、あんな疑似アマンになったんじゃないか?」
大昔、ヘルバの郷の仲間は、アマンへと渡っていった。
けど、ヘルバはそのとき、ひとり残った。
それは、見つけてしまった絆の木を、残して行けなかったからだ、って言ってた。
森の民には、この世界のどこかに必ず、絆の木があるという。
だけど、その木と出会う確率はとても低い。
生きてる間に出会うのは、ほぼ不可能。
だから、絆の木の伝説すら、ただのおとぎ話だ、って言う人もいる。
だけど、その木と実際に出会ったヘルバって人を、僕らは知っている。
だから、それは、おとぎ話ではなくて、やっぱり、本当にあることだ。
絆の木は、絆で結ばれた森の民と、同じときに生まれて、森の民の命の終わる同じときに枯れるという。
あの木はまだ枯れていないから、だから、僕らも、ヘルバはちゃんと生きてる、って信じていられる。
絆の木ってのは、そのくらい不思議な、特別な木なんだ。
ヘルバの絆の木は、元は、普通の木だったそうだ。
だけど、いつの間にかその根っこはアマンに伸びて、とうとう、アニマの木になってしまった。
それって、アマンへ渡った郷の仲間を、ヘルバが恋しいって思ってたからじゃないかな。
だから、木は、ヘルバに、アマンへの道を作ったんじゃないかな。
「…森の民はあまり痕跡を残さない民だ。
だから、はっきりとは分からないけれど、もしかしたら、あのあたりには、大昔、森があって、その森から、森の民が去った後に、山の民が街を作ったのかもしれない。」
「山の民?
だけど、今、あの街の住民は、ほとんど平原の民だよね?」
「おそらく、山の民の去った後に、棲みついたんだろうな。」
そんなことって、あるもの?
「あちこちに残っている石造りの街は、ほとんど全部、山の民が作ったものだ。
たとえば、王都もそうだ。
王都の時計塔は、典型的な魔導装置だ。
今は王都の民も、ほとんど平原の民だけれどね。」
へえ~。
「滅びは、はっきりと確認されたのが、これまでに三回、あるんだ。
これは仮説なんだけど。
そのときに渡ってきた精霊たちが、順番に人になっていったんじゃないだろうかと考えられている。
一回目が、あたしたち森の民。
二回目が、匠のような山の民。
そして、三回目が、ピサンリたち、平原の民。」
へえ~。
もしかしたら、ヘルバは、その歴史を、直接その目で見たかもしれないな。
「みんな同じ、人、だけれど、種族が違えば、いろいろ違う。
背丈も、体格も。好みや、暮らし方も。生きる長さや、年を取る速さも。
前は言葉も違っていた。」
そこはルクスが魔法の木の実で、お互いに通じるようにしてしまったけどね。
「森の民は、世界にあまり干渉しないようにしつつ、森で暮らす。
この世界の一部に溶け込むのが理想だ。
山の民は、世界の不合理と戦い、仕組みを作って暮らす。
何者にも屈しない不屈の精神が、彼らの誇りだ。」
確かに確かに。
「平原の民は畑を耕し、家畜を飼って、暮らしを豊かにした。
三つの種族の中では、一番、魔法からは遠い種族だ。
おそらく、魔法の大半を封じてしまったからだろう。
その代わりに、人の力で、暮らすことを選んだんだ。」
ルクスは興味をひかれたようにアルテミシアを見た。
「そういうのも、研究院で研究されてるのか?」
「そうだ。」
「へえ。
面白そうだな。
俺も、もうちょっと研究院へ行って、いろんな話し、聞いときゃよかったな。」
僕、ずっと研究院にいたけど。
もうちょっと、僕も、お話しを聞いておけばよかった、って思うよ。
「しかし、だとすると、これから、四つ目の新しい民が生まれてくるってことか?」
「もう生まれている。
アルボルは、その四つ目の種族だ。」
そうなんだ。
確かに、アルボルは、森の民とも山の民とも平原の民とも、どこか違って見えたけれど。
それって、精霊から人になったばっかりだからだと思っていた。
そうか。アルボルは新しい種族なんだ。
「精霊は人になるときにエエルを大量に消費する。
そして、人になれば、それ以上過剰なエエルを放出しなくなる。
世界に溢れたエエルを調整するために、あたしたちは、精霊を人にする、ということを考えていた。
だけど、実際には、人がそこに介入する前から、少しずつ、精霊は、人、になっていたかもしれない。」
僕は大精霊の言ったことを思い出した。
もし、今、この世界にエエルが過剰になっているなら、なんらかの制御機構が、また現れるのではないでしょうか。
つまり、精霊が人になるってのも、もしかしたら、世界に働く制御機構のひとつなのかもしれない。
だけど、そこで、アルテミシアはちょっと暗い顔をした。
「ただ、過去の例だと、異種族の関係は、あまりうまくいかないことも多い。
種族間の争いは、新しい種族が登場するたびに起こった、と考えられている。」
「要するに、山の民は、森の民を追っ払い、平原の民は、山の民を追っ払って、その土地に棲みついたってわけだ。
そうして、森の民は、森に引きこもり、山の民は、山を棲み処に選んだ。」
あんまり平和的解決、じゃなかった?
「なら、これから、また、その争いが、起きる、ってこと?」
「…分からない。
起きてほしくはない、とは思う。」
アルテミシアは首を振った。
「まあ、何か不都合があれば、その原因を、異種族に、手っ取り早く押し付けられるからな。
いざとなったら、種族の違いなんてのも、便利なものだ。」
ルクスはどこかちょっと諦めてる口調だった。
ルクスも、森の民だから、って言って、王都を追われたんだよね。
種族が違っても、例えば、匠やピサンリのように、仲良くなれる人はいる。
だけど、それ以外の人は、やっぱり、いまだに、僕は苦手だ。
いやそもそも、同じ種族だとしても、知らない人は苦手なんだけど。
背丈や暮らし方。流れる時間の速さや目指そうとするもの。
違う種族の人たちとは、それ、全部、違っている。
争いたくはないけど、なるべくなら、ちょっと離れたところにいられたら、安心な気もする。
美味しい、嬉しい、楽しい、悲しい、辛い、淋しい…
そういう感情は、同じだと思うから、もしかしたら、なにか、分かりあえることもあるかもだけど。
いつか、アルボルは、平原の民を追っ払うようになっちゃうんだろうか。
あんなに純粋な素直な子どもなのに。
研究院のみんなに、とても可愛がられているのに。
争いなんて、起きてほしくない。
だけど、容赦なくアニマの木は増えていて。
精霊たちもたくさん渡ってきていて。
そして、第四の種族も生まれ始めている。
僕らはその中にいて、ちっぽけな力で、どうにかしなくちゃ、って足掻いているけど。
世界ってのは、僕らの力が及ぶより早く、ぐるぐると巡ってしまうのかもしれない。
疑似アマンの森に足止めをされて、僕らはそんなことを話していた。
もしかしたら、あれは、最後のチャンスだったのかもしれない。
僕たちが、森に留まるための。
だけど、僕らは、結局、その森から外へ出ることを、選んでしまうんだ。




