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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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なんとか日没までには、ピサンリのところへ戻ってこられた。

ピサンリは朝よりも具合はよくなっていて、それは本当によかった。

森でもらってきた水を飲むと、ピサンリの具合はもっとよくなった。

森の水には、からだを癒す力もあるみたいだった。


ピサンリは僕に土笛を返してくれた。

一度も吹かなかった、と言って笑っていた。

けれど、これのおかげで、心強かった、って。

そう言ってもらって、なんだか、僕は嬉しかった。


夜には保存食を一緒に齧った。

そういえば、朝から何にも食べてなかったなって、そのときになって思い出した。

僕らは、そんなに食べなくても生きていけるけど。

僕がこんなに食べないなんてことは滅多にないことだった。


元気になったピサンリに、僕は森の話しをした。

ピサンリは僕の話しを聞いて、うーん、と唸った。


「白く枯れた森を浄化できるのは、赤い炎だけじゃ、と。

 昔、じいさまから聞いたことがある。」


「赤い、炎?」


それって、火で焼くってこと?

僕はぶるぶるとからだを震わせた。


「っだ、ダメだよ!

 森に火をつけるなんて。」


それがどんなに恐ろしいことか。

僕らにとって、それは常識だった。

ちゃんとした竈の設備のないところでは、野営するときにも、僕らは火はなるべく使わない。

それが当たり前だった。


「森を、焼くなんて、できないよ。」


僕は何度も首を振った。

そんな僕を、ピサンリはちょっと気の毒そうに見ていた。


「わしだって、初めてその話しを聞いたときには、そんなことはできんと思うた。

 そもそも、森が白く枯れるなんてこと、想像すらできんかったしのう。

 しかし、じいさまは、はっきりとそう言うたのじゃ。

 そうしなければ、白く枯れる病は、他の森をも侵していく。

 それを食い止めるために、枯れた森は焼き払うしかないのじゃ、と。」


確かに。

あれが森を白く枯らす病なのだとしたら、その病をどこかで食い止めなければ、病は他の森にまで拡がってしまう。

だけど、だとしても、たとえ白く枯れているとしても。

森を焼くなんて、やっぱり僕には無理だと思った。


ピサンリは震える僕の背中にそっと手を置いた。

その掌のあたたかさに、はっと我に返った。


「森の民にとって、それはとても辛く苦しいことなのじゃろう。

 それは理解する。

 どうしたってできないのならば、それは仕方あるまい。」


…仕方ない?

だよね?

だって、できないもの。

できないのなら、無理にやらなくてもいいんだよ。

仕方ないから。


……


だけど、本当に、それで、いいのかな?

僕に、何も願わなかったあの優しい森。

森の民に森を焼くなんてできない、ってことは、森もよく分かっている。

それに、白く枯れた森は、彼らにとっては同じ仲間だもの。

たとえ枯れてしまったとしても、その病を感染さないために、仲間を焼くなんて。

彼らだって、願えないんだ。


だけど、白く枯れる病は、もうすぐそこまで迫っていて。

あの優しい森も、もう直に、白く枯れていく…


僕は思い出す。

もう森じゃなくなっていたあの郷のこと。

もしかしたら、あの郷の人たちは、彼らの森を焼いたんだろうか。

そうして、彼の地へと旅立つ決意をしたんだろうか。


それがどんなに辛いことだったか、想像するだけで息が苦しくなる。

だけど、少しでも、まだ無事な森は守りたい。

方法は本当に、それしかないのかな。


ずっと、考えはぐるぐると同じところを回っていた。


はっと気づくと、僕は、あの白く枯れた森にいた。

いつの間に、こんなところへ来てしまったんだろう?

ふわり、と白い粉が舞い上がった。

僕は白い粉を吸い込まないように、ぎゅっとマントをかき寄せて口元を覆った。


歌のない、音のない森を、僕は進んでいった。

ずっと信じて歩き続ければ、いつかは元気な森に辿り着くはず。

そう思って歩き続けた。


けれども、行っても行っても、白く枯れた森は終わりにはならなかった。

前に来たときには、この辺はまだ無事だったのに。

そう思って辺りを見回した僕は、思わず悲鳴を上げていた。


その木には見覚えがあった。

僕に応えて、泉の場所を教えてくれた森だった。


森は真っ白になって枯れていた。

僕は土笛を取り出して吹いてみた。

ここの森の歌は知っていた。

この歌を聞けば、森は目を覚まして応えてくれるんじゃないかと思った。


だけど、応えは返ってこない。

いくら笛を鳴らしても。

歌より、葉っぱより、上手に吹けるはずなのに。


涙が溢れた。

僕のせいだと思った。

僕は、彼らを助ける方法を知っていたのに。

無理だ、できない、って、彼らを見捨ててしまった。


僕は声を上げて泣いた。

こんな泣き方、いつ以来だろう。

だけど、こんなふうに泣いていたら、いつも、誰かが来てくれた。

父さん母さんはいなくても。

ルクスもアルテミシアも、郷のみんなも、いてくれたから。


だけど、ここには誰もいなかった。

そうか、ここは枯れた森だから。

森の民ももう棲めない森だから。


誰も、いなくなってしまった。

ルクスも、アルテミシアも。

父さん、母さんも。

郷のみんなも。


枯れた森には、もう、誰も棲めない。


…森を、焼くのじゃ…


唐突にピサンリの声が聞こえる。

僕の手には、いつの間にか、小さな松明が握られている。

その先には、赤い炎が揺れていた。


嫌だ。できない。


松明を取り落とした僕は、即座にその火を踏み消した。

ダメだ。できない。


……それしか、方法は、ない……


いや、他にも方法はあるかもしれない!


そうだ!

エエル!

エエルを見つければいいんじゃないの?


だけど、エエル…

どこにあるの?

どうしたら見つけられるの?


ふわり、とからだが持ち上がった。

僕は、からだはそんなに大きくはないけど、流石に風に吹き飛ばされるほど軽くはない、はず。

なのに、僕のからだは、軽々と持ち上がっていた。


高いところから見下ろすと、遠くにはまだ無事な森があった。

濃い緑に僕の心はほっとする。

だけど、手前は一面、白くなっていた。

そして、その白は、少しずつ、少しずつ、緑の森へと拡がっていった。


「嫌だ!やめて!!」


僕は叫んだ。

力の限り叫んだ。

だけど、白く枯れる病は、非情に森を侵していった。


……どうしたら、いいんだろう……


涙も声も枯れ果てた。

僕はただ呆然と、目の前の光景を見ているだけだった。


いつまでも。

何もしないで。


…大丈夫か?

……おい、大丈夫か?


はっと気づいた。

ピサンリと目が合って、僕は思わずその胸に縋りついた。


「どうした?

 怖い夢でも、見たのかのう?」


そう言いながら、ピサンリは僕の背中を撫でてくれた。


夢?

そっか、夢、か。


考え事をしていて、いつの間にかそのまま眠ってしまったんだ。

だから、あんな夢を見たのかもしれない。


僕は、ほっとした。

心底、ほっとした。


あれは、現実、じゃない。

まだ、起きて、いないことだ。

今は、まだ……


よしよし、とピサンリは子どもにするみたいに僕の背中を撫で続ける。

僕はピサンリの胸に額を押し付けて、大きく深呼吸をした。


とにかく、今はまだ、あの森は大丈夫なはず。


優しい森。

僕らに癒しの水を分けてくれた。


僕は、土笛を出して、彼らの歌を吹いた。

ピサンリは、いったい何を始めるのかと、ちょっと驚いていたけど。

僕の笛を聞いて、いい曲じゃのう~、と笑った。


そうだよ。いい歌なんだ。

彼らは森の民には何も願わない。

森の木々は、森の民よりよほど物知りだから。

多分、どうすれば、白く枯れる病を食い止められるか、知っているんだろうけど。

それでも、それは願わない。


そんな彼らに、せめて今夜は、この歌が届くように。


枯れたと思った涙が、また溢れだしてくる。

僕はただ、夜が明けるまで、ずっと笛を吹き続けていた。





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