28
その夜。
白い粉のないところまで引き返してから、僕らは荒野で野営をした。
真夜中ごろ、ひどくうなされるピサンリの声に目を覚ました。
けほけほと咳も止まらない。
額に触れるとひどい熱を出していた。
応急処置用の薬は持ってきていたから、とりあえず、熱さましと咳止めを飲ませてみる。
大荷物だ、って文句言ったけど、やっぱり、ピサンリがいろいろと用意しておいてくれてよかった。
やっぱり、あの白い粉を吸い込んだせいかな。
僕もなんだかちょっと、喉が痛い。
だけど、ピサンリは、僕を助けて走ってくれたから。
きっと僕よりもっとたくさん、あの粉を吸い込んでしまったんだろう。
震えているピサンリに、ありったけの防寒具をかける。
寒い寒いと呟くけれど、額はとても熱い。
荒れ野じゃ水は貴重品だけど、熱を冷ますために、使うしかなかった。
森が前の通りの森だったら、水を手に入れるのは難しいことじゃないけど。
今のあの森じゃ、どうだろう。
ここにアルテミシアはいない。
それでも、なんとかしなくっちゃ。
ここにいるのは、ピサンリと僕だけなんだから。
いつもみたいに、誰かに頼ってばかりじゃダメなんだ。
木の歌を聞けば、水の場所も分かるかもしれない。
いつもアルテミシアやルクスがなんとかしてくれてたから。
あんまりやったことはないけど。
きっと、やってみれば、できると思うんだ。
だけど、歌を歌う木は、どこに行けば会えるだろう。
少なくとも、あの白く枯れた森には、歌う木は一本もいなかった。
前に寄った、平原に近い郷には井戸もあったけど。
郷の位置が分からない。
森は視界の左右にずっと広がって見える。
いや、もしかしたら、あの郷は、もう通り過ぎてきたところにあるかもしれない。
ここから郷を探すよりは、森へ行く方がいい。
もっとずっと奥へ行けば、まだ無事なところもあるかもしれない。
一晩中、ピサンリは苦しんでいた。
夢にうなされて目を覚ますけど、その目はぼんやりとして、ちゃんと起きてはいなかった。
僕は、ピサンリの額を冷やすための布を取り替えながら、ずっとピサンリの手を握っていた。
励ます他に、僕にはできることはなかった。
長い夜が明けて、朝が来たとき、これほどほっとした夜明けは初めてだと思った。
ピサンリの熱はまだ下がらないけれど、目はちゃんと覚めて、話しかけたら、返事してくれた。
「すまないのう。こんな迷惑をかけて。」
「迷惑だなんて。
僕のこと助けてくれたせいなんだから。」
しきりに謝って無理して起きようとするピサンリを、僕は押しとどめた。
それから、これは大事なことだから言っておかなきゃならなかった。
「だけど、ごめん、ピサンリ。
水を、使ってしまったんだ。」
「…水、か…」
ピサンリは呆然と呟いた。
荒野では水がどれほど貴重かは、僕も身をもって知っていた。
「だから、僕、水を探してくるよ。」
僕は、遠くに見える森の影のほうを振り返った。
「あの、森に?」
そう尋ねるピサンリの声は震えていた。
僕はそんなピサンリを励ますように、わざと笑って頷いた。
「森は僕らの領域だもの。大丈夫。
昨日は入り口のところで、引き返しちゃったけど。
もっと奥へ行けば、あの白く枯れた木ばっかりじゃなくて、元気な森もあると思うんだ。」
前に森を旅したとき。
平原の傍の森は荒廃が進んでいたけれど。
僕らの郷のあった、森の奥の方は、まだ、それほどでもなかった。
だから、今も森の奥へ行けば、なんとかなるんじゃないかという期待もあった。
「だからさ、ピサンリ、ひとりにして心細いかもしれないけど、今日はここで休んでいてくれないかな?」
「…それは…しかし…」
ピサンリはどう答えたものか迷っているようだった。
まだ熱の下がらないピサンリは、僕と一緒に行くのは到底無理だ。
だけど、どうしたって水は要る。
「なにかあったら、これを吹いて。
この笛の音なら、きっと僕に届く。」
僕は、いつも首にかけている土笛を取って、ピサンリに差し出した。
ピサンリは笛を見て驚いた顔をした。
「これは、大事なものじゃろう?」
「だから、預けて行くんだ。
僕が戻るまで、これを預っていて?」
ピサンリはちょっと情けない顔になって、僕を見た。
今にも泣き出しそうにも見えた。
「僕のこと、頼りないって思ってるかもしれないけど…」
いや、思ってるだろうけど。
「大丈夫だよ。
森なら、僕には、いくらでもやりようがある。」
するとピサンリは泣き笑いのような顔になった。
「いや、すまない。
森の賢者様を捕まえて、心配じゃなどと言うのは、失礼なことだと、分かってはいるのじゃが…」
ピサンリは、ずずっと盛大に鼻水を啜ってから続けた。
「今のわしじゃ、足手まといにしかならないことも、自覚しておる。
水がなくなったのも、わしのせいじゃ。
それなのに、そのためにお前様を危険な目にあわせるなど…
情けないにもほどがある。
申し訳なさで、いっぱいなのじゃ。」
「気にしないで。
そもそも、ぼんやりしていた僕を助けるために、ピサンリはこんなことになったんだ。
僕こそ、ピサンリを酷い目にあわせてごめんなさい。」
僕はピサンリに笑ってほしくて、精一杯笑顔になってみせた。
「だけど、謝ってばかりいたって、先には進まないから。
ちゃんとごめんって言ったら、後は、今のこの困った状況をどうにかすることを考えるべきだ、って。
ルクスはいつもそう言う。
…ほら、僕、小さいころから、ルクスにもアルテミシアにも、謝らないといけないようなことばっかり、だったからさ。」
本当、いつも一番情けないのは、僕なんだよね。
「ではせめて、馬を使ってくだされ。」
ピサンリはそう言ったけど、僕はそれには首を振った。
「僕、馬車は扱えないし、馬にも乗れない。
だから、歩いて行くよ。」
僕は馬の傍に立って行くと、その額に額を押し当てて呟いた。
「君はここにいて、ピサンリのことを守ってあげてね?」
馬はただじっとしていて、僕が額を離すと、分かった、というように頷いてみせた。
ピサンリはそんな僕を見て、また泣きそうな顔をしていた。
「申し訳、ありません、じゃ…」
「だからさ、もう、謝るのはなしにしようって。」
僕はピサンリに思い切り笑ってみせた。
「すぐに戻ってくるから。
ピサンリは今は休んで、からだを治すこと。
それに、ちゃんと元気になって、お祭りの木を持って帰らなくちゃなんだから。」
「分かりました、じゃ。」
ピサンリも、僕に合わせて、無理をするように笑ってくれた。
「じゃ。」
このままぐずぐずしていたら、ひとりで行こうっていう僕の決心もぐらぐらになる気がしてきて。
僕は、カラ元気を振り絞って手を上げると、あの森へむかって歩き出した。




