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ときどき休憩をして間食をとったり馬を休ませたりしながらも、僕らの旅は順調に進んでいた。
やっぱり、平原の民と一緒だと安心だ。
夜は火を焚いて、ピサンリが料理の腕をふるってくれた。
あんなにあった食料も、順調に減っていった。
なんだか、僕もピサンリにつられて、いつもよりたくさん食べてしまった気もする。
二日目の昼には、遠くに黒い帯みたいなのが見え始めた。
森だとピサンリは教えてくれた。
右を見ても、左を見ても、森はずっとどこまでも長く続いているようだった。
そこまで来ると、あとはひたすら、その森を目指して、ピサンリは馬を走らせた。
馬もゴキゲンに元気よく走ってくれた。
だけど、近づいてきた森の様子を見て、ピサンリも僕も、次第に口数が少なくなってきた。
近づいてよく見ると、たくさんの木が、立ったまま白く枯れているのが分かった。
森の端に馬車を止めると、僕らは、歩いてその森に入っていった。
雪なんか降ってないのに、地面も木も、辺り一面、真っ白だった。
「なんだか、いたましいのう…」
ピサンリが思わずつぶやいた言葉に、僕も頷いた。
枯れた木は、僕だって見たことはあるけど。
こんなふうに、一面、真っ白になって枯れたことなんか、今まで一度もなかった。
白の色を、こんなふうに、冷たくて悲しい色に感じたのは初めてだった。
「…じいさまの、言った通りじゃ…」
ピサンリは目の前の光景を見つめたままで呟いた。
「この世界からエエルが失われるとき、まず初めに、森の木々が白く枯れる。」
「え?
ええる?って、なに?」
それは聞いたことのない言葉だった。
ピサンリは、そうさのう、と考え込むようにして答えた。
「生きとし生けるもの、すべてが必要とする力じゃ。
人も、獣も、森の木々や、草たちも。
鳥や魚や、とにかく、命あるありとあらゆるものに必要なものじゃ。
いや、命はなくとも、岩にも山にも、この世界のありとあらゆるものに必要なものじゃ。」
???
それって、いったい、どういうものだろう?
「エエルが世界に満ち溢れるとき、そこに在るものはすべて幸せになる。
いわば、この世界に満ちる活力のようなものかのう。
世界に存在するものは、このエエルを少しずつ消費していく。
生き物だけでなく、生きていない物も、エエルを消費する。
万物が、ただそこに在るためだけに、エエルは必要なのじゃ。」
「それが、足りない?
だから、木が枯れたの?」
「じいさまはそう言うておった。
まず真っ先に、森の民の棲む森の木が枯れるのじゃと。
すると、その森から森の民が姿を消す。
森の民を失った森はますます荒廃が進み、やがて、それは平原へと拡大する。」
森の崩壊が始まって、僕らの仲間たちは、生まれ故郷の森を捨てて、彼の地へと旅立った。
それは確かに、本当のことだ。
そして、それは、あの本にも書いてあった。
そうやって、世界の崩壊は始まるのだ、と。
でもそれって、その、エエル、ってのが、足りないからなんだ。
ずっと、世界の荒廃ってのは聞いていたけど、その原因、ってのは聞いたことがなかった。
だけど、原因が分かってるんだったら、対処の仕様もあると思った。
「だったら、その、エエル?っての、どうにかなんないの?
増やす、とか、作る、とか…」
「この世界の万物には、エエルを生み出す力がある。
しかし、消費される量が生み出される量を越えれば、少しずつ、エエルは枯渇する。」
それは当たり前だけど。
「もっとたくさん生み出す方法ってないの?
それとも、エエル、をもっと節約するとか。」
足りないってんなら、そのどっちかしかないと思う。
「だいたい、その、エエル、ってのは、どういうものなの?」
そこのところが、やっぱり、イマイチよく分からない。
うぅーむ、とピサンリも首を傾げた。
「エエルは目には見えん。
音を聞くことも不可能。
手に触れることも、匂いを嗅ぐこともならん。
しかし、それは確実に存在するし、この世界にとって必要なものじゃ。」
そんなこと言われたって、分からないよ。
大体、エエル、なんて、聞いたこともなかったし。
聞いても、想像もつかないし。
「エエルのことは、実はわしにもよう分からないのじゃ。」
ピサンリに申し訳なさそうに言われて、僕は、ついピサンリに詰め寄ってしまっていたのに気づいた。
「あ。ごめん。
ピサンリを責めてるわけじゃないんだ…」
でもさ、分からないことづくめで。
なのに、目の前で、現実に木が枯れてて。
世界の崩壊とか、ともすれば、他人事のように感じ始めていたのに。
いきなり目の前に突きつけられたみたいで、焦ってしまったんだ。
「どうにか、できないのかな…」
そこで、ふと、思い出した。
もしかしたら、あの本にその方法って、書いてあるんじゃないかな。
うっかりそれをピサンリに言ってしまいそうになってから、慌てて自分の口を押えた。
だめだ。
そんなことを言ったら、ピサンリはきっとその本を見たいって言うだろうし。
だけど、もしうっかり見せてしまったら、ピサンリにも禍が及ぶかもしれない。
帰ったら、このことをルクスたちには話さなくちゃ。
僕らが森を出たとき、こんなふうに枯れた木は見なかった。
でも、森と平原との境目にあったはずの郷の周りは、もう森ではなくなっていた。
もしかしたら、あの辺りの木は、もうとっくに、こんなふうに枯れてしまったんだろうか。
あの郷の人たちは、森への最後の恩返しに、この枯れた森を綺麗にして行ったのかもしれない。
だから、あの郷の周りには、もう森はなかったんだ。
枯れた木はもう歌わない。
彼らが何を思っていたのかも、もう分からない。
そっと手を触れようとしたら、触ったところからぼろぼろと崩れていった。
「〇×〇!!!」
突然、ピサンリがなにか叫んで、僕を突き飛ばした。
びっくりして尻もちをついた僕が、ちょうどさっきまで立っていた辺りに、崩れた木が倒れてきた。
倒れた木はその衝撃で粉々になった。
そこで僕ははっとして周りをもう一度見回した。
この辺りの地面は、真っ白い粉に覆われている。
地面についた僕の手も、その真っ白い粉にまみれていた。
これって、ここの木の崩れた痕なんだ…
まるで、ここは木の墓場だった。
こんなに恐ろしいものがあるとは思わなかった。
喉の奥から悲鳴が漏れだした。
「っ!!!!!」
その僕を、ピサンリはいきなり抱え上げて走り出した。
いったい何が起こったのか、分からない。
下ろしてくれと暴れる僕を無理やり抑えつけて、ピサンリは走り続けた。
ピサンリの背中をかすめるようにして、次々と木は倒れていった。
あともう少しピサンリが遅かったら、僕らはその下敷きになっていた。
木は音もなく倒れ、そのまま崩れて、ただ白い粉になる。
悪い夢を見ているようだった。
もしかしたら、当たっても、怪我もしないかもしれない。
そのくらい白くなった木は脆く崩れてしまった。
辺りにはもうもうと吹雪のように粉が舞った。
なんとなく、吸い込んじゃいけないような気がしたけど、どうしようもなかった。
ようやく森から脱け出し、馬車のところまで戻ると、ピサンリは僕を下ろしてくれた。
僕を抱えて全力で走ったせいで、息があがって、ぜいぜいと両手を膝のところについていた。
僕らの後ろで、静かに、白い森は崩壊していった。
僕は、目を見開いて、その様子をただ見ていた。
そして、はっと気づいた。
ずっと、僕らがゴキゲンに走ってきたあの荒野。
その地面も、もうずっと、白い砂みたいな地面だったんだ。
森は、いつの間にか森は、もうこんなに、なくなっていたんだ。




