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森へ帰るとなったら、ルクスもアルテミシアもきっと一緒に来ると思ってたんだけど。
その話しをしたら、どっちも一緒には行かないって言った。
ルクスはここのところ、例の本の解読の調子がいいから、この勢いを止めたくないらしい。
アルテミシアは、村の人たちと一緒に、冬の保存食を作る約束をしてしまったそうだ。
……仕方ない、かな?
それに木を伐るだけなら、森の入り口のところで済む話しだし。
僕らの郷まで帰るってわけでもないし、ね…
ちょっと寂しい、って気もしないでもなかったけど。
でも、ピサンリと一緒だから、まあ、いいっか、って思えた。
馬車には往復の食料やら水やら、野営のための薪やら防寒具やら、どっさりと荷物が積んであった。
その準備はピサンリが全部やってくれたんだけど。
荷物を山と積んだ馬車を見て、僕はひどく驚いた。
「二人だけなのに、食料って、こんなに、要る?」
「このくらいは、必要じゃろう。」
「木を載せてこないと、なんだよ?
ちゃんと載るかな?
それに、あんまり重いと、馬が可哀そうじゃない?
僕らも馬車に乗るんだよね?」
「大丈夫、だいじょーぶ。
お前様は、背は高いが、そんなにひょろひょろじゃし。
わしは、みっちりつまってはおるが、背はないからのう。
それに、食料も水も、帰りまでにほとんどなくなる。」
確かに食料や水は途中で消費するだろうけど…
「だいじょうぶ、だいじょーぶ。」
なんか、だんだん、大丈夫、がいい加減になるなあ…
心配はしたけど、いざ、出発してみると、案外、大丈夫だった。
「この馬は、村で一番力持ちなのを借りてきたんじゃ。
なにせ、今年は一段と立派な木を持ち帰らねばならんからのう。」
ピサンリはもう本当に張り切ってしまっている。
でも、僕もわくわくしてきてしまうのを抑えられなかった。
森との間に広がる荒れ野に道はない。
ごろごろと石ころの転がる荒れた土地だ。
草もあんまり生えていないし、木はもっとない。
冬にむかう今は、少ししかない草もほとんど枯れて、どこまでも茶色い地面しか見えなかった。
そんなところをどうやって進むんだろうって思ったけど。
ピサンリはお日様の方角と、あと、いくつか目印になる岩を使って進む方法を教えてくれた。
「日の出と日の入り、そうして、お日様が一番高くなる時刻。
ここにこうして棒を立てて、この棒の影がここの印と重なるように進むのよ。」
なるほど。
馬車には方角を知るための棒が立ててあって、その周りにはいくつか印がつけてある。
それはまるで、あの本に描いてあった不思議な絵に、どこか似ている気がした。
「この印って、たくさんあるね?」
「あちこち、行先によって違う印を使うのじゃ。
こっちのは、ほれ、河へ行くときに使う印じゃ。
それに、季節によっても、見る印は変わる。
もっとも、森には一年に一度、今の季節しか行かんから、印はひとつしかない。」
ピサンリは印を指さしながら教えてくれた。
「どうして森には一年に一度しか行かないの?」
「森は森の民の大切な住処。そうおいそれと行ってよいものではないからのう。
ただ、一年に一度、新しい年の生まれ変わりを祝う木は、特別な森の木をいただくのじゃ。」
冬至が新しい年の生まれ変わりの特別な日だと思うのは、平原の民も僕らも同じようだった。
「もらってきた森の木も、無駄にはせんぞ?
翌年に家を建てる予定があれば、その家の一番大切な柱にする。
小さな枝は削って家で使う道具を作る。
葉は土に梳き込み、畑の肥料にする。
隅から隅まで、余すところなく、使わせていただく。」
平原の民の家は、土を捏ねてお日様に干した煉瓦を積み重ねて作ってある。
けれど、家の中には柱もあるし、匙やらお椀やら木製の道具もよく使っている。
あれって、お祭りに使った木で作ってあるんだ。
「いくつか、目印になっとる岩もある。
ほれ、あそこのは、鶏岩、と言うて、朝、鬨を告げる鶏に似とるじゃろう?
そういう目印を辿っていけば、まず、迷うことはない。」
なるほど。平原の民には平原を旅する方法がちゃんとあるんだ。
「あとは、夜になれば、星を見る。
星と星を線で繋ぎ、その線をまっすぐ地面に下ろして測れば、どのくらいの距離を進んできたのか分かる。」
すごいなあ。
話しを聞きながら僕は感心するばかりだった。
「平原の民は物知りだね。」
「平原で生きる者が、平原での暮らし方に詳しゅうなるのは、当然と言えば当然じゃ。
しかし、わしは、もっとすごい物知りを知っておる。
わしに森の民の言葉を教えてくれた森の民のじいさまじゃ。」
「ご老人から言葉を習ったんだ。」
だから、ピサンリの言葉はおじいさんみたいなのかな?
「わしが幼いころ暮らしておった街の家の近所にの、そのじいさまは住んどった。」
ピサンリは懐かしそうな目になった。
「平原の街に住んでいる森の民なんて、いるんだ?」
「じいさまは、自分はもう森の民ではない、と言うておった。
とっくの昔に、街の民になっておる、と。
だから、いつか命尽きるときまで、この街にいる、と。」
そっか。そういう森の民もいるんだ。
「わしは、初めは、森の民、というより、そのじいさまのことが好きじゃったのだと思う。
物知りで、笑うと顔がしわくちゃになって。
酒が好きで、そのために平原の街に移り住んだと言うとった。
森には、街のような酒はないらしいの?
いったいどのくらい長生きしとるのか分からん、古い大きな木のような人じゃった。
近所の子どもらは、じいさまのことは気味悪がって、あんまり近づかんかったが。
わしは、毎日のようにじいさまのところへ行って、遊んどった。
じいさまには、言葉だけじゃなくて、いろんなことを教わった。
森の民というものは、なんとも不思議な人たちじゃと、つくづく思ったものじゃ。」
「え?
それじゃあ、僕のことも不思議だと思う?」
「不思議じゃろうよ。
草が歌うと言うてみたり。
笛を吹いて、鳥を集めてみたり。」
あれは集めているわけじゃなくて、勝手に寄ってくるんだけど。
草の歌は、人によって聞こえ方が違うってだけなんじゃないかなあ。
「人なんてものはのう。
自分にはない力を持つ相手のことは、みぃんな不思議に思う。
と、これは、じいさまの受け売りじゃけど。
森の民にとっては、平原の民こそ、不思議な人々じゃ、と。」
「うん。
それは僕もそう思うよ。」
大きく頷いてみせると、ピサンリは、くっくっと笑い出した。
「じいさまは、そんなに森の民ことが知りたければ、もっと森に近いところへ行けと言っての。
村のことを教えてくれた。
自分はもう正確には森の民ではないから。
本物の森の民を直にその目で見てこいと。
だからわしは、村にやってきたのよ。」
本物の森の民かあ。
それって、僕らもそうなのかな?
「じゃあ、じっさいに僕らと出会って、どう思った?」
「いや、やっぱり不思議な人々じゃったと、つくづく思ったのう。」
ピサンリはそう言ってからからと笑った。
「けど、思ったより、不思議ではない、とも思うた。」
「そっか。
うん、それ、僕も、ピサンリのこと、そう思ったよ。」
僕はずっと平原の民は恐ろしい人々だと思っていた。
でも、ピサンリのことは、全然恐ろしくない。
「本物を直に自分の目で見て、そのときに自分の頭で考えたことを大切にしろ、と。
じいさまは、よく言うとった。」
ピサンリは、多分、老人ではないし、生きている時間も僕らとそう変わらないと思う。
それでもどこかお年よりっぽいのは、その言葉を教えてくれたおじいさんの影響なのかもしれない。
なんだか、面白そうなおじいさんだなあと、僕も思った。




