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王都から馬で一日ほど行った辺りに、小さな村がある。
その村の近くで、最近、怪異が出るという噂になっている。
ルクスの頼み事というのは、その怪異について調べるということだった。
「かいい、っていうのは、何?」
「誰もいないはずの場所で突然笑い声がした、とか。
夜中に暗闇の中に何かの気配を感じた、とか。」
「なんか、それって、エエルっぽい?」
だからルクスは僕に行ってほしいのかな?
「まあ、笑い声くらいなら、たいした実害もないからな。
その程度の報告は、俺も気に留めていなかったんだが。」
ルクスはちょっと眉をひそめた。
「けどそのうちにだんだんエスカレートして、一晩中叫び声をあげたり、夜、暗い道を歩いていたら、後ろから突き飛ばされたりするようになった。」
「それは、困ったね?」
一晩中叫ばれたらよく眠れないだろうし、突き飛ばされたら怪我をするかもしれない。
「だけど、叫び声のするところを探してみても、突き飛ばされたとき振り返ってみても、誰もいない。
つまり、笑ったり、叫んだり、突き飛ばしたりしているやつは、人じゃない。」
「もしかして、それ、エエルがやってるとか思ってる?」
僕にはちょっと信じられなかった。
「エエルは、そんなこと、しないと思うんだけど…」
「エエル、じゃない、かもしれない。
だから、怪異、なんだ。」
「怪異、か。」
エエルは確かに悪戯をすることもある。
だけどそれって、ちょっと髪を引っ張ったり、その程度だ。
突き飛ばす、というのには、明らかに悪意を感じるし、そういうことをするエエルはいないはずだ。
「一度、調査隊は送った。
だけど、何も分からなかった。
調査隊のいる間は怪異らしきことは何も起こらなかったんだ。
もしかしたら、村のやつらの気のせいだったのかもしれないと、調査隊はそのまま戻ってきた。
しかし、その途端に、怪異はまた始まってしまった。
もう一度、調査隊を送ってほしい、と村からは言ってきているんだが。
その調査隊に、お前、入ってくれないか?」
「えっ?僕が?」
怪異の調査、なんて、僕、お役に立てるかな…
「お前はエエルの声を聞いたりできるだろう?
もしかしたら、お前なら怪異の気配も分かるんじゃないか?」
「えっ?
…怪異の、気配?」
うーん、どうだろう…
自信はない。
だけど、ルクスは、本当に困ってるみたいだった。
それに、その村の人だって、きっと困ってるだろう。
エエルと怪異とは別物だとは思うんだけど。
確かに、僕にはエエルの声は聞こえるわけだし。
もしかしたら、怪異の気配、くらいは、分かる、かも、しれない?
「…分かった。」
僕は頷いた。
「やってみるよ。
だけど、もし、何も分からなくても、ごめんね?」
「行ってくれるか。」
ルクスはほっとしたように笑った。
そんなふうにほっとするんなら、僕、役に立てるかは分からなくても、行くだけなら行くよって思った。
「お前の安全は保証する。
王城の親衛隊から精鋭の部隊をつけるから。」
「王城の、しんえーたいの、せいえーぶたい…」
僕はそれを繰り返した。
「って、あの鎧さんたちのこと?」
「鎧さん?」
ルクスは僕の言ったのを真似して、けらけらと笑った。
「あいつらは俺直属の優秀な剣士だぞ?
お前のことも、絶対に守ってくれる。」
「………あの。悪いけど。
僕、鎧さんたちは、その、いい、かな?」
僕は恐る恐る言ってみた。
「だって、僕、調査に行くだけなんでしょ?
だったら、そんなに危険なことも、ないかもだし。」
「だけど、相手は、得体の知れない怪異なんだぞ?」
「いざとなったら、エエルたちも、力を貸してくれると思うし…
それに、僕、あの、鎧さんたちは、なんとなく、苦手なんだ…」
「苦手?なんで?
あんなに頼りになるやつらもいないってのに。」
「………僕、怪異より、鎧のほうが、怖い。」
ルクスは目を丸くして僕を見た。
「相変わらず、謎なやつだな。」
「………ごめん。」
「けど、まあ、そうだな。
確かに、お前の言うことにも一理ある。
前に調査隊を送ったときには、怪異は鳴りを潜めてしまった。
なのに、調査隊が帰った途端に、またぞろ、騒ぎだした。
ということは、だ。
親衛隊をぞろぞろ引き連れて行けば、また同じことになる可能性もある。」
「っそ、そうだよ!
それじゃあ、僕の行く意味がないよ!」
僕もこの際とばかりに力説した。
「調査、なんだから。
目立たないように、こっそり、行くよ。」
「ふむ。なるほど。」
ルクスは真剣に考えてくれているみたいだった。
「あ。だけど、僕もちょっと心細いから、オルニスにはついてきてって、頼んでもいいかな?」
僕は恐る恐る、そう言ってみた。
ルクスは、ちょっと首を傾げて、思い出しているみたいだった。
「オルニス?
ああ、あいつか。
あいつ、俺の命令なんて、聞くかな?」
「命令なんてしなくても、僕、頼んでみるよ。
オルニスは優しいから、聞いてくれるんじゃないかな。」
きっと聞いてくれると思うよ。
「じゃあ、そっちはお前に任せた。
必要なものがあれば、王宮の兵士に言ってくれ。
準備させるから。」
「…うん。分かった。
そんなには、ないかも、だけど。」
オルニスは旅は慣れているし、そんなに遠くじゃないから、荷物だってそんなにはいらないと思う。
「悪いけど、なるべく早く、行ってほしいんだ。」
ルクスは急ぐみたいに言った。
「うん。分かった。
みんな、困ってるんだもんね。」
僕は頷いて、慌てて席を立った。




