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匠はその後も自動演奏装置の改良を繰り返して、とうとう、時計の仕組みそのものに組み込んでしまった。
時計の動きに合わせて、日の出と日没の時間になったら、勝手に讃め歌を演奏し始めるんだ。
もう人がハンドルを動かす必要もない。
本物の自動演奏になってしまった。
オルニスはちょっと残念そうだったけど。
讃め歌のメロディならもうすっかり覚えているから、鼻歌でもなんでも歌えば、エエルたちには気付いてもらえるし。
エエルたちの気配を感じることにもすっかり慣れて、些細な風でも感じ取れるようになっていたから。
歌いたければ、歌えるんだ、って思い直したみたい。
ところが、それからしばらくして、その自動演奏装置の本当の凄さを思い知ることになった。
その日、初めてオルニスが寝坊した。
で、オルニスに起こされなかった僕も、完全に寝坊した。
いつもならもうとっくに時計塔に上っている時刻。
うっすらと明るくなっていく中、僕らは時計塔へと全速力で走っていた。
いつもなら、上ってくるお日様を、まだかな~まだかな~、って楽しみに待ってるんだけど。
今日は、もうちょっと待ってください、まだ、出てこないで、って必死に思っていた。
けど、時間というものは無情なもの。
というか、それは当たり前なんだけど。
刻々と時間は過ぎて、やがて、塔の上から自動演奏の讃め歌が響きだした。
「うわっ、ヤバいっ!」
僕ら同時に叫んで、よりいっそう速く走ったけど。
時計塔に上る前に、讃め歌は終わってしまっていた。
ようやく辿り着いた時計塔の上。
へたり込んだ僕らの耳に、エエルたちの鐘の音が響き渡る。
「…よかった。ちゃんと鐘は鳴った…」
僕ら、同時にほっとしたんだけど。
そこで、オルニスは、はっとしたように僕を見た。
「ちょい待ち。
ってことは、笛を吹かなくても、鐘は鳴るってこと?」
そのときになって、僕もようやくその事実に気付いた。
「そう、みたい、だね?」
あ、ははははは…
その事実はすぐにアルテミシアに報告された。
その日の日没。
僕らは時計塔に全員集合して、固唾を呑んで見守った。
時間通りに、自動演奏装置はきっちりと鳴り始める。
まるで、匠の仕事みたいな正確さだ。
僕は笛を構えてはいるけど、あえて鳴らさなかった。
自動演奏装置の讃め歌に合わせて、エエルたちの歌声もする。
エエルの歌は他のみんなには聞こえないけど。
オルニスは風を感じるみたいに両手を広げ、匠は、くんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいた。
そうして、日没の刻。
鐘の音は見事に王都に鳴り響いたのだった。
「なぁんだ。これで、明日からもう、早起きしなくてもいい!」
オルニスは飛び上がって喜んだ。
どうやら早起きもそろそろ辛くなってきてたみたい。
アルテミシアは匠の肩に手を置いて、しみじみと言った。
「君は、本当に素晴らしいな。
これで、時計塔の修理は完璧だ。」
そっか。
鐘を鳴らせなかったから、時計塔の修理はまだ、完全には終わってなかったんだ。
仲間たちに取り囲まれて、匠はぐすぐすと鼻をすすっている。
ちょっと泣いているのかもしれない。
「よぉし!今日はお祝いだ!
もう明日のことは気にしなくていいんだし。
今日は、倒れるまで飲むぞぉ!!!」
何故か一番張り切ったのはオルニスだった。
オルニスの言った通り、その夜は、ドワーフ工房で宴会になった。
匠は、ピサンリのごはんをたくさん作ってくれたし、みんなの持ち寄りのご馳走も山積みだ。
アルテミシアは木の実のパイを持ってきてくれた。
研究院の人たちも、次から次へと、差し入れを持って、お祝いを言いにきてくれた。
そのうちに、工房じゃ人が入りきれなくなって、テラスに場所を移して、宴会はさらに盛り上がった。
そこへ、王様からのお祝いだ、って、すごいご馳走も届いた。
みんな、大喜びして、宴会は際限なく盛り上がっていった。
王様のご馳走、を見た僕は、ちょっと前、ルクスの準備してくれたお茶会を思い出した。
そのご馳走は、あのときあまり食べられなかったご馳走と、よく似ていた。
きっと、多分、これは、この土地の一番のご馳走なんだと思った。
あのとき、これを準備してくれたルクスの気持ちを、僕は、踏みにじってしまった。
心の奥底から、ルクスに、ごめん、って言いたくなった。
鐘を鳴らす時間じゃなかったけど、僕は笛を吹き始めた。
この辺りのエエルたちは、もうすっかり僕の笛の音に慣れているから、すぐに反応があった。
だけど、今日、吹くのは、王都のエエルたちの歌じゃなかった。
僕らの故郷の森が歌っていた、懐かしい歌。
王都のエエルたちは、最初少し戸惑っていたけれど、すぐに馴染んで、一緒に歌ってくれた。
これが、僕らの故郷の歌なんだ。
どう?
これも素敵な歌でしょう?
わいわいと賑やかだったテラスは、しんと水を打ったように静まり返った。
みんな、僕の笛の音に耳を傾けてくれてるみたいだった。
そんな、みんなに聞かせるようなものじゃないんだけどさ。
でも、そうだな。聞いてもらえたら、嬉しいかも。
遠く、離れた、僕らの故郷。
もうそこにはない森の歌。
白く枯れて失われてしまったけど。
僕らはそこで生まれたんだ。
僕の笛に合わせて、アルテミシアが歌い始めた。
アルテミシアの歌を、僕は久しぶりに聞いた。
みんな、息を呑んで、歌に聞き入っている。
そうだ。アルテミシアって、素晴らしい歌い手なんだよ。
多分、きっと、ここにいるほとんどの人は、アルテミシアの歌を聞いたことなんてなかったんだろうな。
今のアルテミシアは、研究院のお仕事や、紋章の研究に明け暮れていて、とても忙しい。
歌ってるところなんて、ほとんど見られない。
だけど、アルテミシアは、間違いなく、僕らの森一番の歌い手だから。
その清んだ声は、僕の笛より、ちょっと申し訳ないけど、自動演奏装置の音楽より、ずっと素晴らしいと思う。
あとは、ここにルクスの竪琴があったらな、ってちょっと思ったけど。
忙しい王様に、それはちょっと無理な注文かもしれない。
僕はだから、竪琴の代わりに、いつもルクスが伴奏してたみたいに、笛を鳴らした。
笛の音は、竪琴よりちょっと目立つけれど、それでも慣れた歌だから、なんとか形にはなった。
いつかまた、ルクスの竪琴とアルテミシアの歌を聞きたいなあ。
あれほどに美しい歌を、僕は他に知らない。
どれほどの楽器も歌い手も、ルクスとアルテミシアの歌には敵わない。
ルクス、ごめんね。
今度会ったら、ちゃんと謝ろう。
そして、僕らの淋しい王様に、祝福あれ。




