223
流石にまだ魔法を使うには僕の体力が回復しきってないし。
鐘を鳴らすのは三日後、ってことになった。
その間に、僕も、エエルにどうやって頼むかをゆっくり考えるとしよう。
その翌朝。
いったいどこからその話しを聞きつけたのか、いきなり研究室にやってきたアルテミシアが、鐘を鳴らすなら、見学したい者が大勢いるんだ、と言いだした。
「是非是非、いろいろな現象を測定したいんだ。」
両肘のところをぶんぶん振り回して、そう強く訴えられたら、ダメだとは言いにくい。
「…だけど、うまく鳴るかどうかは…」
自信はないんだけどな。
アルテミシアは何故か自信たっぷりに言い切った。
「大丈夫。君ならやれる。」
いや、だからさ。
その自信はどこからくるんだろう。
「決行は明日なんだな?
その前に準備しないといけないことが、山ほどあるな。
じゃあ、頼んだぞ。」
アルテミシアはそれだけ言うと、さっさと行ってしまった。
いやもう、あれは、頼みに来た、んじゃなくて、通達に来た、んでしょ。
「いやあ、いつもながら、あの人はすごいな。」
匠にまで、そう言われてたよ?
これは、いよいよ、ヤバい、って思った。
山の民たちだけなら、まあ、仲間だからさ。
うまくいかなかった~、ごめん~、で済むとも思ってたけどさ。
研究院の人たち総動員して、いろいろやるだなんて…
僕、そんなつもりじゃなかったんだけどな。
なんかおおごとになってきて、今さらながらびびっているんだけど。
だいたい、あの鐘がなんで鳴ったのか、僕にもイマイチ、よく分かってないんだってば。
同じことを繰り返したらいいかな、なんて、単純に思ってたわけだけど。
よくよく考えたら、オルニス、今ここにいないわけだし。
そもそも、同じことを繰り返す、なんてできないじゃないか。
それに、同じこと繰り返しても、必ずしも同じ結果にはならない、って、普段から匠の実験でイヤってほどよく分かってるんだってば。
ううう。いかんいかん。なんか、僕、パニックになってきた。
いったん、落ち着こう。
うん。深呼吸。すーはーすーはー…
僕は中庭に出てちょっと歩いてみることにした。
研究院の中庭は、縦横に格子状に道を作ってあって、その中に整然と木が植えてある。
木と木の間にはベンチもあって、休憩してる人たちも多い。
ベンチの代わりに花壇を作ってあるところもあって、そこには季節の花が咲き乱れている。
中庭の端には、アルテミシアの畑もある。
ここの木は、あまりにも整然としていて、森、ってより、やっぱり、街、なんだけど。
それでも、木があるのは、ちょっと落ち着く。
真っ直ぐな道も、いかにも、街っぽいんだけど。
木の根を踏み荒らすよりはいいかな、とも思う。
その道をゆっくりと歩くと、木漏れ日がちらちらして、そこはちょっと森を思い出す。
だから、僕は、ここを歩くのは、わりと好きだった。
歩きながら、僕は思い出していた。
そもそも、あのときは、何があったんだっけ。
実験がうまくいかなくて、行き詰っていた僕は、オルニスに気分転換をしようって言われて外に行った。
だけどどうせ行くなら、もう一度、基本に立ち返って、エエルたちの観察をしよう、って思った。
けど、王都じゃエエルをたくさん見られる場所はあまりない。
そう言ったら、オルニスは、僕をあの時計塔に連れて行ってくれたんだ。
時計塔の上でオルニスと話した僕は、そのオルニスに祝福を送りたくなった。
僕の呼びかけに、たくさんのエエルたちが応えてくれて、それはそれは大きな魔法になった。
みんな、オルニスを褒め称え、励ました。
そして、あの鐘が鳴った。
あの鐘は、誰かがどうにかして鳴らないようにしてあった、と僕は感じた。
まさか、鐘そのものを失くしてあったとは思わなかったけど。
だけど、無い鐘が鳴ったのは、多分、エエルたちが、あの祝福に、あの鐘の音が相応しい、って思ったからだ。
オルニスは多分、たくさん、辛い思いをしてきただろう。
故郷の森は枯れて、仲間とも離れて。
僕らを探して、長い間、ひとりで旅をしていた。
オルニスの辿った道は、僕の旅より、格段に険しかっただろうって思う。
だけど、オルニスには、その陰がない。
辛いことは、オルニスの心に、暗い影を作ることはなかった。
むしろそれを乗り越えたオルニスの瞳は、明るく清んでいる。
どこまでも自由で、そして強いオルニスを、僕は心から讃えたくなったんだ。
それだけのことを成し遂げながらも、そんなことは大したことないさ、とけろっとしているオルニスを、本当に、すごい、って思うから。
讃歌。
唐突に僕はその言葉を思い付いた。
そうだ、あの歌は、讃歌だ。
歩き続ける者を褒めて励まし、心から声援を送る。
あの歌を、もう一度、歌ってみよう。
オルニスはここにはいないけれど。
この世界のどこかにいるオルニスにむかって。
いや、オルニスだけじゃない。
オルニスみたいに、歩き続けているすべての人たちにむかって。
エエルたちは、きっと、応えてくれる。
そして力を貸してくれる。
これは、鐘の音を鳴らすための実験じゃなくて。
これも、誰かへの、不特定多数の見知らぬ人たちへの、祝福だ。
結局、僕にはやっぱり、これしか、できないんだと思う。
みんなのために、役に立つ道具を作りたいって思うけど。
それができるのは、匠たちなんだ。
匠たちだって、すごいよね。
きっと、僕の知らないいろんなことが、彼らにもあるんだと思う。
彼らが何を思っているのか、まだ、僕にはそんなに分かってないけど。
修復への拘りとか、物を作ることへの誇りとか、まだその片鱗くらいしか見てないことでも、正直、すごい、って思ってる。
そうだ。彼らもまた、褒め称えられるべき人たちだ。
なんだ。簡単じゃないか。
絡まった糸がいきなりするするとほどけるように、ずっと悩み続けたことがほどけていく。
そっか。
僕は、みんなを褒め称えればいいんだ。
だって、褒められるような人ばっかり、だもの。
研究院の人たちも。
王都で暮らすたくさんの人たちも。
みんな。みんな。
淡々と繰り返す毎日のなかに、讃美はたくさんある。
街を歩いていると、すごいなって人たちで溢れている。
結局、僕にはそれしかできないんだから。
だから、精一杯、僕はそれをするだけなんだ。
明日、何をすればいいのか分かった気がして、僕は思わず嬉しくなって、スキップしていた。
ちらちら揺れる木漏れ日が、そんな僕を祝福してくれた気がした。




