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翌日にはアルテミシアの言ったとおり、僕のからだはずいぶん回復していた。
それにしても、アルテミシアの薬って、すごくよく効く。
というか、ますます進化してるみたいだ。
アルテミシアの家族は薬草を使うのが得意で、郷でもみんなから頼りにされていた。
その技をアルテミシアも引き継いでいて、時間があれば、薬草を探しに行ったり、研究院にも、薬草畑を作っているらしい。
それに王都の市場には、余所の土地の薬もよく売っていて、たとえば石を砕いた粉だったり、金属だったり、そういう僕らには馴染みの薄い薬も、ここに来てから試しているらしい。
趣味だ!って言って笑ってるけど。
僕ら、アルテミシアのその趣味には、けっこう、お世話になっている。
動けるようになった僕は、朝から山の民たちの研究室に行った。
昨日はまだちょっとぼんやりしていて、何もできなかったけど。
今日からは僕もばりばり参加しなくちゃ。
ピサンリと話したときのことを、匠に話さなくちゃって思ってた。
あれって、きっと、匠たちにとって、大事な情報、だと思うから。
みんな、エエルを直接感じることはできないから、僕の感じるエエルのことを、なるべく、印象の薄まらないうちに、きちんとみんなに伝える。
それが、僕にできる、一番の大事なことだと思うんだ。
朝、かなり早かったんだけど、匠はもう研究室にいた。
というか、匠は私室には戻らずに、何日も、ここで寝泊りしている、って聞いたことある。
流石の山の民たちのなかでも、だんとつの、仕事中毒だ。
「よう、笛使い。
もう起きていいのか?」
僕の顔を見るなり、匠はそう尋ねた。
けど、その返事を聞く前に、簡易キッチンの前に立っていた。
「朝飯、付き合ってくれ。」
そう言いながらもう支度を始めている。
竈の火を掻き立てて、鉄板を置くと、玉子と分厚く切った塩漬け肉を焼き始めた。
匠の朝食メニューはいつも決まっている。
余計な手間はかけたくないからだ、って匠は言う。
食材も研究室にいつも常備してある。
僕も、これまでに何回かご馳走になっていた。
脂の焦げる匂いといい音がする。
肉はあまり得意じゃなかったんだけど、匠の作るこの朝食は、不思議と僕も美味しいと感じる。
こんがり焼けた肉と玉子を、薄く切ったパンにのせたら出来上がり。
熱々のをお皿にのせて、ほい、と差し出された。
僕はいつも通り、物でいっぱいの大机に、腕でごそっと物を避けて、小さな空間を作ると、そこに朝食を並べた。
匠は熱々のお茶を淹れると、片方にたっぷりお砂糖を入れた。
「砂糖、いらないのか?」
「うん。僕、お茶はお砂糖、入れない。」
ふうん、と言ったきり、もう知らん顔をして、匠は朝食にかぶりつく。
僕も真似して大口を開けてぱくぱくと食べ始めた。
朝食にはベリーを少しつまんできたんだけど、匠の作ってくれた朝食もきれいにお腹に入った。
匠のお料理はすごく大雑把なのに、とても美味しい。
「そうだ、ピサンリ?とは話せたのか?」
いきなり顔を上げると、匠のほうから、その話しを始めた。
僕は口の中の物を急いで飲み込んで頷いた。
「うん。
ようやく話すことができたよ。
だけど、ちょっと、もどかしかったんだ。」
僕はそのときのことを詳しく話した。
匠は、朝食を食べながら、耳はしっかり僕の話しを聞いてくれていた。
「音のエエルが正確に伝えられるのは、短い言葉…
長くなると、間違える…」
匠は僕の話しを繰り返して、むぅ、と唸る。
以前はこんなふうに唸られると、毎回ちょっと怖いって思ってたけど。
最近じゃ、これって、単なる匠の癖で、別に怒ってるわけじゃない、って分かってきた。
「魂になってるやつって、音は出せない。
だから、エエルに頼んで、言葉を音に変えてもらう、だったか?」
匠は確認するように僕を見た。
「うん。そうだよ。
魂になっちゃってると、僕からは見えるし聞こえるけど、ピサンリには僕の姿を見たり、声を聞いたりはできないんだ。」
「だけど、あんた、大精霊とは普通に話すんだろ?
それって、どうやって話してるんだ?」
「うーん、よく分かんないけど。
とにかく、音、じゃないのは確か。」
「音じゃない言葉を音に変える…
魂の言葉から、音へ変換するときに、なにかネックか…
一時的に記憶した言葉を…」
匠は残りの朝食を一口で平らげると、ずずっとお茶も飲み干した。
「それって、鐘の音を昔のままに再現するのと、ちょっと、似ているか?」
「え?
…そうなのかな…」
「そのエエルは、お前の声を再現してるんだな?」
「うん。そうだよ。」
「ということは、だ。
そのエエルはお前の声の記憶があって、その声に言葉を当てはめて、再現してるんだろ?」
首を傾げる僕に、匠は軽く肩をすくめると、何やら横に置いてあった装置をかちゃかちゃといじり始めた。
「…エエルの記憶…エエルの記憶、か。
そうか。
なあ、エエルって、何かを記憶することはあるんだな?」
「あるんじゃないかな。
例えば、浄化とか、一回やり方を覚えたら、そのままずっと繰り返してくれたりするし。」
「そうか。そういうことか。
そうだ。そういうことだ。」
匠はひっきりなしに手を動かしながら、ぶつぶつとひとり言を言った。
こういうのも、前はちょっと怖かったけど、今はすっかり慣れて、気にしないでいられる。
朝食の食器を片付けていたら、他のみんなもそろそろやってきた。
「なんだ、朝から美味そうな匂いがするな。」
「また徹夜か。匠。いい加減にしろよ?」
「ここはお前の家じゃないんだぞ。」
「朝っぱらから美味そうな匂いをさせるのはやめてくれ。
朝飯食ったはずなのに、また腹が減るだろう。」
みんな口々にいろいろ言いつつ、それぞれの作業にとりかかる。
いったん仕事に入ると、みんな、素晴らしい集中力で仕事を進めていく。
すると、とことことひとり、こっちにやってきた。
「なあ、笛使い。
あの時計の鐘の音なんだが。
もう一度聞かせてもらえないかな。」
スパイス茶、って、これも彼らのひとりの名前なんだけど、が僕にそう言った。
「あ。うん。いい、けど。
エエルたちに頼んでみるよ。」
って、どう頼むかな。
あのときは、オルニスの祝福をしていて、ついでに鳴っただけなんだけど。
まあ、やってみれば、なんとかなる、かな?
「なんだなんだ、また、鐘、鳴らすのか?」
話しを聞き付けて、わらわらとみんなが集まってきた。
集中してる割には、意外と他人の話しを聞いているのも、彼らの不思議なところだ。
「それなら、是非、俺も、そのとき時計塔にいたいな。」
「近くで見てもいいのか?」
「大勢いたら、邪魔か?」
周りから一斉に責め立てられる、みたいになってしまった。
「…うーん、多分、大丈夫?かな?」
「そうか。いいことを聞いた。わたしもそれ、混ぜてくれ。」
匠もやってきてそう言った。




