表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一つの楽園  作者: 村野夜市


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

221/242

221

試作品はかなりの数、あった。

よくもまあこんなにいろいろと思い付くなって、心底感心した。

匠って本当にすごい。


そして、張り切って実験を始めたんだけど。


結果、どれも、せいぜい、大きな部屋の端から端に聞こえる、くらいが限界だった。


「これだと、わざわざ道具使わなくても、大きな声で言えば聞こえる?って、感じ?」


思わず正直に言ったら、匠は、ぴくりと固まって、それから、いそいそと散らかした道具を片付け始めた。


…ごめん。


「…これは、エエルの力を増幅させる紋章だな?

 つまり、音のエエルの力を増幅させて、より遠くまで声を届けよう、という意図か。」


アルテミシアは道具に刻まれた紋章を興味深そうに眺めて言った。


「…あんた、忙しいんだろ?

 いつまでもこんなところにいないで、仕事に行ったらどうだ?」


匠はむっつりと呟いた。

それからアルテミシアの手に持っていた道具を、ちょっと乱暴に奪った。


「…いいや。

 こんな面白い実験をやってるのに、それを見逃す手はないだろう?

 これもあたしの立派な仕事だ。」


アルテミシアは匠の不機嫌なんてまったく気にしてないみたいだった。

そして、まだ片付ける途中の道具を指さして尋ねた。


「それより、こっちのは何だ?

 一見、からっぽの箱だな。

 さっきの実験じゃ、何も起こらなかったが。

 本当なら、何を起こすつもりだったんだ?」


………ときどき、アルテミシアって、ずけずけ言うな、って僕も思うよ。


それはさっき完全に不発だった試作品だった。


匠はむっとしたようにアルテミシアを見たけど、すぐにため息を吐いて答えた。


「エエルに音を記憶させられないか、って、思って。」


「音の記憶?

 そんなこと、エエルに可能なのか?」


「失われたはずの鐘の音が鳴った。

 あれは、エエルたちが、自分たちの記憶の音を再現したんじゃないか、って…」


「記憶の音を再現?」


「…わたしの仮説だ。

 まだ実証してない。」


匠はぶっきらぼうにそれだけ言って黙ったけど。

アルテミシアは、さらに興味を持ったみたいに匠に詰め寄った。


「君の仮説をもっと詳しく説明してほしい。」


「…だから、実証してない、って。

 仮説ってより、単に、わたしの想像、って言うか…」


「想像、上等だ。

 いいから、話せ。」


こうなったアルテミシアを振り切ることなんて、誰にもできない。

匠もしぶしぶ話し始めた。


「あの鐘の音、あれは、王都中の連中が聞いたそうだ。

 そして、昔、この王都にまだ鐘があったころ、あれを聞いた連中が、あれは間違いない、昔のままの鐘の音だった、って、証言したんだ。」


「その調査結果は聞いている。

 あれは、あんたたちの研究室からの報告だったのか。」


「だけど、鐘そのものは、ないわけだから、鳴ってない。

 だから、あの音は、エエルたちが、自分たちの記憶にあった音を鳴らした、んじゃないか、と考えたわけだ。」


「確かに。

 そう考えれば、辻褄が合うか。」


アルテミシアは興味深そうに考え込んだ。

その反応に気をよくしたのか、今度は匠のほうから話し出した。


「わたしは、昔の鐘そのものの音を再現してこそ、完全な修復だと思う。

 大きさだけ計って、新しい鐘を作って吊るせばどうだ、という意見もあったんだが。

 それでは、完璧じゃない。」


「君たちの修復への拘りには、つくづく感服する。

 それは、直す物、への畏敬を、常に忘れないからだな。」


アルテミシアはお世辞を言う人じゃない。

それはもう、研究院でも知れ渡っている。

匠は、ふん、と軽く鼻を鳴らしてそっぽをむいたけれど、ちらっと見えた耳は真っ赤だった。


「せめて、その音をわたしたちも知っていたのなら、新しい鐘を作る、ということも可能だったかもしれない。

 しかし、わたしたちのなかに鐘の音を聞いた者はいない。

 街の人たちに協力を願い出る、という意見もあったが。

 鐘の音を正確に表現する方法がない。

 たくさんの鐘の音を大勢に聞かせて、どれが正解かを尋ねる、ということを言う者もいたが。

 そんなにたくさん、鐘を用意することも難しい。

 あるいは鐘を製造したときの完璧な記録があれば、同じ鐘を再び作る、ということも可能になるかもしれない。

 しかし、その記録は、まったく、完璧でなければならない。

 材料の産地、配合の度合、錬成の方法や、かける時間、どのような職人が作ったのか、作られた季節は?工房は?

 すべてを完璧に再現してこそ、まったく同じ物を作ることは可能かもしれない。

 いや、たとえすべてを完璧に再現したとしても、まったく同じ物になるという保証はない。」


「なるほどなるほど。

 素晴らしい試行錯誤だ。」


「鐘の音は記録には残せない。

 あるのは、それを聞いていた人たちの記憶だけだ。

 しかし、人の記憶は、どうにかしてそれを探ることも不可能だ。

 つまり、正解の鐘の音は、失われた鐘が発見される以外に、知る方法はない。

 いや、発見されたとしても、保存の状態によっては、同じ音を鳴らすかどうかも分からない。」


「確かに、なかなか難しい問題だ。」


匠はお手上げだとばかりに首を振った。


「新しい鐘を作って鳴らせば、最初は皆、それに違和感を持つだろうが、次第に慣れて、やがて、それが正解の音になってしまう。

 わたしたちは、記憶の塗り替えはしたくなかったんだ。」


匠はため息を吐いた。


「つまりは、結局、いったん鐘は諦めるしかない、という結論に至ったわけだ。」


「流石だ。君たちの修復には、一種の執念のようなものを感じるな。」


「当然だ。

 …時計塔の修理は、わたしたちがそもそもここに呼ばれた最初の理由だったからな。

 けれど、鐘の音を再現できなかったのは、ずっとわたしたちの心残りだった。

 完璧な修復こそが、わたしたちの誇りだ。

 中途半端に修理するくらいなら、いっそ、完璧を目指すまで、保留することも厭わん。

 しかし、鐘を鳴らしてこそ、あの時計塔の修復は完了するんだ。

 つまり、あの時計塔の修復は、いまだ、未完成だ。」


匠は一度重々しく頷いてから、顔を上げて僕らの顔を順番に見た。


「その鐘の音が!鳴ったんだ!

 誰もが、あの音は、千年鳴り続けたあの鐘の音そのものだと口を揃えて言う。

 これが奇跡でなくて、いったい何だ。

 やはり、わたしたちの笛使いは、奇跡を起こす者だった。

 エエルたちは、笛使いに応えて、鐘の音を鳴らしてみせた。

 つまり、エエルには、音を記憶し、再現する力がある。

 と、そう考えたわけだ。」


「なるほど。一理あるな。」


アルテミシアは深々と頷いた。


「もしエエルたちに音を記憶させる道具を作れたら。

 そして、それをいつでも再現できるようになれば。

 声を運ぶ、ということが可能になる。

 まあ、声の手紙、だ。」


「声の手紙か。」


「遠くに声を届ける、というのとは少しずれているかもしれないが。

 しかし、これも、役には立つと思った。

 高速で声を運ぶ方法を見つければ、その場の会話も可能だ。

 …しかし、音を記録するエエル、というのが、いまだによく分からない。

 この箱も、研究室で実験したときには、音の記録に成功したんだ。

 しかし、ここで再びそれをやってもうまくいかなかった。」


「エエルは気紛れだ。

 研究院の連中は口を揃えてそう言うよ。」


「まったくだ。

 しかし、笛使いは、そのエエルたちと自在に交流するんだ。

 わたしは、笛使いが戻ってくるのを、心待ちにしていた。」


ふたりの会話を聞きながらうとうとしかかっていた僕は、いきなりふたりに見つめられて、急いで目を開けた。


「っと、しかし、今日は本格的に動くには、まだ無理なようだ。」


「とっときの薬を飲ませたからな。

 明日には、もっと動けるようになるさ。」


ふっふっふ。

ふたりしてこっちを見て笑っている。

その目、ちょっと、怖いよ?


匠は普段は無口なんだけど、研究のことを話し始めたら止まらない。

アルテミシアの相槌も絶妙なんだと思う。

結局、その日はふたりとも僕の枕元にいて、延々と、研究の話しをしていた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ