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オルニスとの約束の四日後が来るまでは、遠くに声を伝える道具を作ることに没頭した。
隣り合ったエエルに歌の伝わっていく様子を匠に話したら、匠はすごく興味深そうに聞いていた。
だけど、彼がもっと興味を持ったのは、風のエエルが歌を拾って運んだところと、それから、何故か、鐘のない時計塔の鐘の音が鳴ったことだった。
だけど、四日はあっという間に過ぎて、僕はオルニスとの約束通り魔法に入らないといけなかったから、後はどうなったのか知らない。
オルニスは眠っている間の僕の世話を山の民たちに頼んでいったんだけど、その話しを聞いたアルテミシアは自分がやるって言いだした。
忙しいアルテミシアに世話してもらうなんて、気が引けるんだけど。
朝、水を飲ませるだけだから、全然、構わない、って言って譲らなかった。
起きてから回復する間の世話も、アルテミシアがやってくれるらしい。
なんか、滅茶苦茶気が引けるんだけど。
研究院じゃ、アルテミシアに逆らえる人なんていない。
いや、もちろん、アルテミシアは、誰かに理不尽な要求なんかしないから、逆らう必要なんて、誰にもないんだけど。
というわけで、僕の世話も、結局、アルテミシアにお願いすることになってしまった。
アルテミシアは僕のために部屋をひとつ用意してくれた。
ずっと滞在している客間じゃなくて、研究院の本館の、アルテミシアの寝起きしている部屋の隣の部屋だ。
そのほうが世話をしやすいから、って言われたら、断る理由もなかった。
そこは客間よりちょっと狭かったけど、居心地は悪くなかった。
アルテミシアの私室とは、続き部屋になっていて、廊下に出なくても、中にあるドアで直通できる。
だからこそ、世話しやすい、んだろうけど。
そのドア、鍵、ついてなかったんだよね。
もちろん、僕がアルテミシアに危害を加えるとか、そんなことはあり得ないんだけど。
というか、万にひとつ、なにかしようとしたって、確実に返り討ちに合うわけだけど。
なんか、ちょっと、僕、いいのかな、とか、思っちゃった。
そう言ってみたら、アルテミシアは、目をまん丸くして、なんでダメ?って聞き返すから。
いや、ダメって理由なんて、そんなのうまく言えないし。
結局、なし崩し的に、そこに移ることになった。
アルテミシアにとって、僕って、弟、みたいなものなんだろうなあ。
多分、永遠に。
嬉しいような。ちょっと淋しいような。
だって、ルクスになら、そんな隣の部屋に来いなんて、言わないよね?
いやいや。お世話してもらう分際で、そんな余計な贅沢、言ってる場合じゃない。
それに、弟って、思ってもらってるのって、実はすごく光栄なことなんじゃないか?
まあ、いいや。
そんなこんなあって、僕は久しぶりに魔法に入った。
魔法に入るときは、アルテミシアにも遠慮してもらった。
是非、いろいろ見せてほしい、って、研究院の人たちからも言われたみたいだけど。
アルテミシアは、僕のために、全部断ってくれた。
そして、もちろん、アルテミシア自身も、その場を外してくれた。
魔法に入ること自体は、そんなに難しくはない。
もうずっと、何度も何度も繰り返した魔法だし。
遠隔なのも、前にも一度やって成功したし。
僕は何の不安もなく、すんなりと魔法に入った。
集まるエエルは、前のときより、格段に増えていた。
どうやら、この間の祝福の余韻が、エエルたちの間にまだ残っていたみたい。
エエルは祝福とか大好きだから、たくさん寄ってくるんだ。
エエルたちの大合唱に乗せられて、僕は、大精霊の元へと送り込まれた。
大精霊はいつも通りヘルバの木のところにいた。
「お久しぶりです、お兄さま。」
そう言って、にこにこしていた。
僕は大精霊に久しぶりに会えて嬉しかったんだけど、今回は時間切れになる前に、オルニスとの約束を果たさなくちゃいけなかった。
例の秘密作戦だ。
手短に大精霊にその説明をすると、大精霊も協力してくれるって言った。
大精霊の転移の魔法で、僕らはヘルバの家の厨房に移動した。
そこでは、オルニスが、ピサンリに料理を習っている最中だった。
「やあ!オルニス!」
「やあ!オルニス!」
大精霊の依頼を受けた音の精霊たちは、僕の声を上手に伝えてくれた。
言葉はなるべく短く切って、はっきり言ったほうがいい。
長くなると正確に伝わらない。
それから、余計なことは、言っちゃいけない。
ひとり言なんて絶対禁止。
この間の失敗を思い出しながら、僕はゆっくりと言った。
「山!」
あ。しまった。いきなり、間違った。
これじゃない。
滅茶苦茶気合入れて言ったのに、間違えるなんて、なんてことだ。
オルニスはきょとんとして辺りを見回している。
ピサンリはちょっと怯えた顔になっていた。
だけど、すぐにオルニスはにやっと笑うと、いきなり、川!と言った。
ピサンリは、ぎょっとしたようにそんなオルニスを見ている。
それからオルニスは、適当に宙を見て、言った。
「それ、つまんないから、却下したやつだよね?」
「ごめん。」
「あ、そっち、あんまり長く喋れないんだっけ。
いいよ、僕が喋る。」
うーん。本当、助かるよ、オルニス。
「そこに、いるんだろ?」
オルニスは、僕のいるのとは明後日の方を見てそう言った。
「違う。」
「え?いないのか?」
「いる。」
「あ、つまり、そっちにはいない、ってことか。
じゃあ、どっち?」
「泉。」
「あ。泉のとこにいるわけね。」
僕はちょうど泉の辺りの中空をふよふよと漂っていた。
隣には大精霊もいる。
彼女は目を丸くして、楽しそうに僕らのやることを見守っていた。
オルニスはピサンリを連れて泉に近づいた。
「この辺?」
「うん。」
「それで、合言葉は?」
あ。まだそれ必要?
言おうとしたら、先にオルニスが言った。
「待った。僕が先に言う。
木の実の…」
「パイ!」
「ミッドナイト…」
「シェード。」
オルニスに先に言ってもらったら、間違わずに済んだ。
オルニスは嬉しそうに口笛を吹くと、ピサンリに、今僕がここにいることを説明してくれた。
どうやら、これ以前に一度、説明はしてあったみたい。
ピサンリは、まだどこか信じられないようだったけど、ちょっと恐る恐るだけど、泉のほうを見て言ってくれた。
「賢者様、帰っておいでなのか?」
「うん。僕だよ。」
僕は、涙が出そうなくらい嬉しかった。
ようやっと、念願のピサンリとの会話が叶った。
「あんまり長くはいられないんだろ。
いいから、余計な話しはなしだ。」
オルニスはそう宣言した。
大精霊といられる時間はとても短いことも、僕はオルニスには話してあった。
「詳しいことは王都にお互い戻ってからまた話そう。
それよりも、今は、ピサンリと話しをしなよ。」
ピサンリはオルニスに背中を押されて、一歩前に進み出た。
それから泉にむかって、懐かしそうな顔をして言った。
「賢者様。元気にお暮しか。」
「うん。」
「そうかそうか。それはよかった。
なんでも、研究院のそれはそれは大切なお仕事を手伝っておられるとか?」
「いや、そこまで、たいしたことはやってないけど…」
「イヤ、コマ…シタトハ、ナイ、ド…」
しまった。長すぎた。
「いやいや、大したことでしょうとも。」
エエルの伝えてくれた声はずいぶんたどたどしくなっていたけど、何故か、ピサンリにはちゃんと伝わっていた。
「賢者様。
賢者様のことは、わしの誇りじゃ。」
なんか、そんなふうに言われると、照れくさいよ?
「有難う。」
短く答えないとと思うと、どうしても、こんな言葉になっちゃう。
もっと自由にたくさん話せたらいいのに。
時間切れになる前に伝えたい言葉はたくさんあるのに。
言葉は限られて、すごくもどかしい。
だけど、何か、言わなくちゃ。
「ご飯、美味しかった。」
「ゴハン、シカッタ…」
結局、僕はピサンリにそれだけしか言えなかった。
けど、ピサンリは、それはそれは、明るい顔をして笑った。
「そうかそうか。
またオルニスにたくさん持って行ってもらいましょう。
たくさん食べて、しっかり寝て、どうか、お元気で。」
そう言いながら、ピサンリはほろほろと涙を零した。
笑ってるのに、涙は止まらなかった。
僕はまだまだピサンリに伝えたいことがたくさんあったけど。
そろそろ時間切れになってしまった。




