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やっぱりアルテミシアのクッキーは美味しいなあって思いながら少しずつかじっていたら、アルテミシアは、さて、と言った。
「個人的な心配はともかくとして。
君たちにはいろいろと聞きたいことがあるんだ。」
「なんでも言うよ。
なんでも聞いて。」
僕はせめてもの罪滅ぼしに力を込めて言った。
「まずは、なんだってあんな場所に上っていたんだい?
あそこは確か、時計塔の整備のための部屋だったと思うんだけど。」
「うん。オルニスがそこの図面を見つけてさ…」
僕は時計塔に上った経緯を話した。
エエルたちを観察するために、どこか広い場所を探したこと。
オルニスが、あそこならちょうどいいって言って連れて行ってくれたこと。
僕はそこで、オルニスのために祝福の魔法を使ったことを。
アルテミシアは、いちいち、頷きながら、僕の話しを聞いてくれた。
「そうか。あの感じは祝福だったのか。
そうだな。夏至祭りでよく郷長がやってたっけ。
なるほど。あれが、君の魔法なのか。」
「僕って、結局、あれしか魔法は使えないんだと思う。
昔やってた活性化も、大精霊のところでやるエエルを送るってのも、みんなどこか似てるんだ。」
アルテミシアは、ふぅん、と言って僕を見た。
ちょっと目が合って、僕は、なんか、照れくさくて、へらへらっと笑い返した。
そしたら、アルテミシアは、仕方ないなって顔になって笑ってくれた。
「郷長になるにはさ、祝福ができること、ってのが絶対条件だったんだ。」
突然、アルテミシアは、そんなことを言い出した。
「実は祝福の魔法って、すごく難しい。
ヘルバの紋章術でも、祝福は不可能だ。」
「え?そうなの?」
僕は逆にそれしかできないんだけど。
「やっぱり、君は郷長の器だったんだな。」
「…次の郷長はルクスだって決まってたよ。」
「ルクスには祝福はできない。」
アルテミシアはそう言ってから、ちょっとため息を吐いた。
「まあ、今はその話しはいいや。
それより、エエルの観察だっけ?それはうまくできたの?」
「ああ!
そうなんだ。
僕さ、匠たちと音を伝える魔道具を作ろうとしているんだけど…」
僕はあのとき観察したエエルたちの様子を、できるだけ細かくアルテミシアに話した。
「超高速伝言ゲーム?」
アルテミシアはそこを繰り返してから、ちょっと、ふふって笑った。
「なるほどねえ。
それで、どうなの?
その観察は役に立ちそう?」
「うん。
帰ったら匠にこの話をするよ。
僕にはどう役に立つかは分からないんだけど。
匠ならきっと、この話を聞いて、何かの役に立ててくれると思うんだ。」
「…君は、彼のことを信頼しているんだね?」
「だって、匠ってすごい人だからね?
いや、匠だけじゃなくて。
山の民って、みんなすごく面白くてすごい人たちだよ。」
なんか、すごいすごい、ばっかり言ってる気もするけど。
でも本当、すごい、としか言いようがないんだから、仕方ないよね。
「その魔道具、あたしも、期待しているんだ。
それができたら、すごく便利だと思う。」
「本当?そうだったの?」
アルテミシアに期待されてるなんて。
そんなの、頑張らなくちゃって、思っちゃうじゃないか。
「あの場所は、これからも実験のために上る必要があるのかな?」
「…うん。
危ないって、のは分かるんだけど…
僕も正直ちょっと怖かったし。
だけど、あの場所が、この王都でエエルたちを観察するには、一番いい場所なんだ。」
「そっか。」
アルテミシアは短く頷いた。
「じゃあ、もう少しあの場所の安全性を高めるとしよう。
そっちはあたしに任せておいて。」
「じゃあ、また、あそこへ上ってもいいの?」
「ダメだって言っても行くだろうから。
それなら、ダメだって言わなくていいようにするしかないよね?」
アルテミシアはちょっと苦笑した。
僕は思わずテーブル越しに、昔みたいにアルテミシアに抱きついた。
「有難う、アルテミシア!」
大きなテーブルだったけど、僕の腕はちゃんとアルテミシアに届いて、ぎゅっと抱きしめることができた。
だけど、そうやって抱きしめたアルテミシアは、昔よりちょっと小さいなって思った。
「…本当に、君は、知らない間に大きくなったねえ。」
アルテミシアはちょっとため息を吐いて笑った。
「あの場所は、あたしも、調査のときに、一度上ったきりなんだ。
風が強くて危ないなって思った。
だけど、あんなふうに周囲の壁を下ろす仕掛けがあるなんて、知らなかった。」
「そうなんだ。
山の民は知ってたみたいだけど。」
僕がオルニスを振り返ると、さっきから夢中でクッキーを頬張っていたオルニスは、うんうん、と頷いた。
そっか、とアルテミシアは頷いた。
「山の民ってのは、古い仕掛けも器用に直すって聞いたからさ。
ダメ元で、あの時計の修理をお願いしたんだ。
そうしたら、見事に、何年も止まったままだった時計を直してしまった。
その修理のときに、彼らはその仕組みを見つけたのかもしれないな。」
「彼らはそういうのすごく得意なんだ。すごいよね?」
あ。また、すごいって言ってしまった。
アルテミシアも、苦笑している。
「だけどね?」
アルテミシアはそう言ってから、僕の顔をじっと見つめた。
僕は、何を言われるんだろうって、ちょっと息を呑んで、次の言葉を待った。
「時計は動くようになったけれど、鐘は、直せなかった。
というか、鐘自体、失われていたんだ。」
「えっ?
…でも、鐘の音、鳴った、よね…?」
「鳴った。
それで、あたしたちも、驚いて飛び出したんだ。」
よかった。
あの音、僕だけに聞こえた音じゃなかったんだ。
「だけど、ないものが、どうやって鳴った、んだろう?」
アルテミシアは僕に尋ねたけれど、僕も首を傾げるしかなかった。
その僕の反応を見て、アルテミシアは小さくため息を吐いた。
「まあ、君だって、そんなこと聞かれても困るか。」
「…鐘がないのに、鐘の音だけしたの?」
あの音、今も耳の奥に残っている。
長い時を刻んだ古くて温かい鐘の音だった。
どうしてない鐘が鳴ったのかなあ。
僕はそれも匠に相談してみようって思った。




