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下に降りた僕らは、問答無用でアルテミシアの執務室に連れて行かれた。
ここはアルテミシアが仕事をするための部屋だけど、いつ探しに来ても、アルテミシアはここにいない。
アルテミシアはいっつも、研究院のどこかを歩き回っているから。
執務室にいるアルテミシアを、僕はそのとき初めて見た。
まず、入ってすぐのところに、アルテミシアの弓をかける大きな台がある。
部屋の突き当りには大きな仕事机に、座り心地のよさそうな椅子。
左右の壁には、鍵のついた大きな棚があって、何か得体のしれない物がたくさん並べられている。
手前には来客用ソファと大きなテーブルが用意してあった。
「その紋章は返してもらおうかな。」
アルテミシアは弓を台にかけると、まず真っ先にそう言った。
僕は慌てて紋章を外して、アルテミシアに手渡した。
紋章を外した途端、あんなに軽かったからだに、ずしりと重さを感じた。
魔法ってすごいな、って改めて思った。
そりゃあ、こんなのが自由に使えたら、便利だよね。
僕もこんな魔法を使えたらなあ。
って、きっと、みんな思うよね。
オルニスは少し残念そうに石の紋章をしばらく撫でてから、やっぱりアルテミシアに返していた。
アルテミシアは石を回収すると、執務室の棚のなかに大切にしまった。
それから、その棚に、しっかりと鍵をかけて、僕らをくるっと振り返った。
「先に、飛翔石の使い心地を聞いておこうかな。
まだあまり、実証実験はしてないから。
君たちに使ってもらったのは、貴重な機会なんだ。」
アルテミシアに尋ねられて、僕らは正直な感想を言った。
「すごく、からだが軽かった。
地面がなくてもふわふわ歩けるなんて、最高だよ。」
「もっと鳥みたいに飛べたらいいのに、って僕は思ったよ。
だけど、僕らには、鳥の動きは真似できないのかな。
だから、せっかく浮いているのに、結局、普通に歩く、しかできなくて、ちょっと残念。
もう一度使わせてくれるなら、今度は、飛んでみせるよ。」
僕らの感想をアルテミシアは、なるほどね、と頷いて、せっせと書き留めていた。
「これは貴重な試作品なんだ。
実用にはまだいろいろと実験を繰り返さないといけないんだけど。
それでも、ようやく、あたしたちの作り出した新しい魔道具なんだよ。」
へえ。
「魔道具って、作れるんだ。」
「ちゃんとした手順を踏めば作れるよ。
君の笛だって、そうだろう?
だけど、例えば、石の種類によっては、紋章の効果の現れ方も変わってくるし。
石と紋章には相性もある。
どのくらいの強さの魔法に、何回耐えられるのか。
紋章を刻む石の強度も確かめないといけない。
そういうことも、これから実験して確かめていくんだ。」
「だけど、それが作れたら、誰でもあんなふうにふわふわと歩けるようになるんだね?」
そんな光景を想像したら、もう、わくわくしてしまうよ。
街中のみんなが、ふわふわと歩いている世界。
僕もぜひひとつ、飛翔石をほしいなあ。
「そう。
ただ楽しい、だけじゃなくてね。
例えば、足腰の弱ったお年寄りに、抑制した飛翔魔法を発動させる魔道具を装備してもらえば、楽にまた歩けるようになる、とか。
そういう使い方も、ある。」
なるほど。
実際の役に立つんだ。
「それはすごいね!」
「なんてことを考えることができるようになったのも、そもそも、君のおかげなんだけどね。
君がこの世界にエエルをたくさん送ってくれたから。」
アルテミシアは執務室の隅にあるキッチンでお茶を入れると、お菓子と一緒に、お客用のテーブルに並べてくれた。
「さあ、お茶をどうぞ。」
そのまま、むかいの席に自分も座ると、ふむ、と何かを考えるようにして黙り込んだ。
今のところ、アルテミシアは怒ってないのかな?
僕はびくびくと様子を伺った。
いきなり雷を落とされることはなかったけど。
アルテミシアってば、じわじわと怒ることもあるからなあ。
普段から余計なことはあまり話さないアルテミシアなんだけど。
こういうとき黙ってられると、なんだか、怖い。
オルニスは、ふぅ、とちょっと息を吐くと、そそくさと先に座って、お茶をすすった。
「あ。美味しい。
君もおいでよ。
風もあったし、ちょっと冷えたよね?
温かいお茶が美味しいよ。」
そう誘われて、僕も慌ててオルニスの隣に座った。
お茶は本当に美味しかった。
流石、アルテミシアだ。
だけど、アルテミシアは怒ってたって、すごく美味しいお茶を淹れてくれるから。
このお茶の味だけじゃ、怒っているのかいないのか、よく分からない。
「これは木の実のクッキーだな。
うーん、絶品。」
オルニスはケロッとしてお菓子にも手をつけてるけど。
僕はときどき、そんな君のこと、すごく羨ましいよ。
「君も食べたら?
多分、これ、君の好きな味だろ?」
うん。多分、そうだと思う。
だけど、今は、僕は、クッキーに手を伸ばす余裕はなかった。
下をむいたまま固まっていると、ふふ、とアルテミシアの笑う声が聞こえた。
「反省は、した?」
「…うん。」
「君はいつも突拍子もないことをやり始める。
そんなこと、もうよっく分かってるけどさ。
いつもいつも、心臓が止まりそうな思いをするのは、あたしたちだ。」
「…うん。」
「なんてね。
君のことは、よく知ってる。
だからさ、君が今どんな気持ちなのか。
何を思って、危ないことをわざわざしたのか。
そんなの、いちいち説明してもらわなくても分かってるんだけどさ。」
「………うん。」
「多分、あたしたちは、君のこと、すごく大事なんだと思う。
だから、心配なんだ。
君が傷ついたり、痛い思いをしたりすることは、なるべく、避けたいって思う。
いい加減、君ももう一人前なんだし。
いつまでもそんな心配しているほうが、大きなお世話なんだけどさ。」
「ううん。」
僕は顔を上げてアルテミシアを見た。
「ごめんなさい。」
「謝らなくていいよ。
ただね、覚えておいて。
君のこと、あたしは多分、これからも、ずっと心配し続ける。
それはねえ、もう、あたしにだって、どうしようもないんだ。」
「…有難う、アルテミシア。」
「お礼もいらないよ。
ただね、仕方がない。
そう思ってくれたらいいよ。」
ふふふ、とアルテミシアは笑って、お茶を一口飲んだ。
僕は恐る恐る手を伸ばして、木の実のクッキーをひとつ取った。




