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風が吹き渡る。
何かが、僕のなかから解放されていく。
こんなに心地いいのは久しぶりだ。
「な?来てよかっただろ?」
「うん。」
僕は嬉しさと感謝とそれから、ここまで僕を引っ張ってきてくれたオルニスへの感動を込めて、力一杯うなずいた。
「有難う。」
「なんのなんの。
まあ、僕も、ここには一度来てみたかったんだ。」
オルニスはなんだかとても楽しそうだ。
「だけど、そんな見取り図とか、よく見つけたねえ?」
「だって、宝の宝庫だよね、あの研究室は。」
宝の宝庫かあ。確かに。
「この時計は、遥か遥か大昔に作られたものなんだってさ。
この街が、最初にできたときくらい昔に。
だけど、ずっと止まってた。
直せるやつがいなかったんだ。
ルクスはそれを、直してほしい、って山の民たちに依頼したんだって。
それで彼らはこの街にやってきたんだ。」
へえ。
ルクスが直そうって思ったのか。
確かに、あんなにどこからでも見える時計なのに、止まってるより、動いてるほうがいいに決まってる。
「そんなに古いんだ、この時計。」
「千年以上は経ってるらしいよ。」
へえ。
「そんなに古い物を直せるなんて、山の民って、すごいね?」
「そうだよな。
図面もなんも残ってなかったらしいけど、彼らは、この部品のひとつひとつを見て、うまく動くように直していったんだ。
根気とか器用さとか、並大抵じゃないと思うよ。」
確かに。
オルニスは髭を捻りながら話す物真似をした。
「昔も今も、物の動く仕組みは同じだ。
ひとつひとつ辿っていけば、それを作ったやつがどういうつもりでそれを作ったのか分かるもんだ。
修理はそれをなぞるだけだ。
匠はそう言ってたけど。
僕はこの歯車を見ても、どれがどうなってるのか、さっぱりだよ。」
「僕もだよ。」
「まあ、そこは、適材適所、か。」
僕らは顔を見合わせて笑った。
「それにしても、この街って、そんなに古くからあるんだね。」
「ここはね、元々、平原の民の大きな国の都だったんだそうだよ。」
「平原の民の大きな国?」
「千年以上の歴史のある旧い国だよ。
だけど、最後の方の王様、ってのはひどかったらしい。
そいつらのせいで、街は荒れ果て、人の心も荒みきっていた。
その王様に虐げられていた人たちを、ルクスは助けて、その王様を追い出した。
助けられた人々は、ルクスに新しい王様になってくれって、頼んだ。
それを聞き入れて、ルクスは王様になったんだ。」
そうだったんだ。
遠い遠いところでルクスは困った人たちを助けて、そして王様になった。
それは風に聞いたけれど。
どんなふうに王様になったのかは、知らなかった。
「そうでなけりゃ、こんな立派な王城とか研究院とか、そんなにすぐにできるわけないだろ?
この石の建物は、みんな、前の王国の連中が、長い長い時間をかけて作ったものだよ。」
「…でも、誰かがそんなにまでして作ったものを、ルクスはもらっちゃった、んだ。」
ほしかった、わけじゃないと思う。
だって、僕ら、石造りの街は、本来あまり得意じゃない。
多分、みんなに頼まれて、断るに断りきれなかったんだ。
だけど。
「そのせいで、ルクスは、前の王様に恨まれてるんだね?」
食事会のときに言ってた、毒の話し。
僕はただ怖いばっかりで、正直、よく考えなかったけれど。
「その追い出された王様が、ルクスに毒を飲ませようとしたの?」
「王だけじゃなくてね。
その王に仕えていたやつらってのも、まあ、いるのさ。
いくらひどい王だとしても、千年続いた王国の長だ。
忠誠を誓う者だって、それなりにいる。
そいつらはきっと、ルクスのことを、憎い敵だと思ってるだろうな。」
そっか。
なんてことだ。
僕は首を振った。
「…なんだって、ルクスは、そんな王様なんかになったりしたんだろう?
ここは僕らの故郷じゃないし、多分、ルクスだって、ここには棲み辛いだろうに。」
思わずため息が出る。
王様なんて引き受けなければ、毒を飲まされる心配もしなくてよかっただろうに。
「やっぱり、ルクスってば、頼まれたら断れないんだろうね。
困ってる人たちを見たら、放っておけないんだ。」
だから、きっと、そんな恨みを買う羽目になっても、みんなのために、王様になっちゃってるんだ。
「…ルクス…
僕は、ルクスの力になってあげられないかな…」
そんな目に合っても。
ルクスはそれでも、みんなのために頑張ってる。
アルテミシアも、そんなルクスを支えようとしている。
僕も、何かしたいって思った。
「…僕、ルクスにひどいことしちゃった。
よく分からない、遠い人になっちゃった、とか思ってた。
ルクスの気持ちとか、全然、考えてなかったよ。」
「まあ、君は、事情を知らなかったんだから、仕方ない。
ルクスだって、君にその話しはしなかったんだし。」
「きっと、僕に余計な心配をさせないようにしようって思ってくれたんだ。
僕は怖がりだから、そんな話しを聞いたら、怖くてたまらないだろうから、って。
だけど。」
僕はオルニスにむかって丁寧にお辞儀をした。
「教えてくれて有難う、オルニス。
君が教えてくれなかったら、僕、ずっとルクスのこと、誤解したままだった。
ルクスは変わってしまったって気がしてたけど。
そんな辛い目に合ってたら、変わって当然だよ。
僕は、友だちなのに、ルクスのこと、全然、分かってなかった。
だけど、うん。僕、やっぱり、ルクスのために、自分にできることを精一杯やるよ。」
決意を込めてオルニスを見たら、オルニスは何かを確かめるような目をして僕の顔をじっと見た。
そのまましばらく、僕らはじっと黙っていた。
すっと、涼やかな風が、僕らの髪を揺らして過ぎた。
すると、先にオルニスが、ふっと力を抜くように笑った。
「そっか。それが君の選択なら、僕は、何も言わない。」
「僕は、本当は、ルクスは森に帰りたいんじゃないか、って思うんだ。」
僕はオルニスが笑ってくれたのにちょっとほっとして、正直に言った。
「だけど、僕らの森は、多分、もう、ない。
僕らには、帰るところが、ないから…」
ちゃんと、そこへ行って、確かめたわけじゃないけど。
多分、僕らの森はもう、白く枯れてなくなってしまっただろうと思う。
帰るところのない僕らは、どこへ行っても余所者だけど、それでもどこかで生きていかなくちゃいけない。
「帰る森なら、僕だって、もう、ないさ。」
うつむいていた僕は、オルニスがそう言ったのにはっとして、顔をあげた。
「あ。…ごめん、オルニス…」
そうだった。
オルニスの森は、僕らのところよりも先に、白枯虫にやられたんだ。
帰るところがないのは、オルニスだって、同じだった。
「いや。
あれがなかったら、僕も、君たちと出会うことはなかったし。
こんなふうに生きることもなかった。
だけど、僕は今の僕を、割と気に入ってるんだ。」
こっちを見たオルニスの瞳は、からりと清んで明るかった。
「そっか。
そう思えるのはよかった。」
僕は心からオルニスに感心した。
「オルニス。僕には大した力はないけど。
それでも、君に、僕にできる精一杯の祝福を送るよ。」
「そいつはまた、有難いね。
大賢者様の祝福ときたら、さぞかし効果がありそうだ。」
オルニスはふざけた調子で言った。
「…君まで、そういう言い方はやめておくれよ…」
僕が顔をしかめたら、オルニスは、ふふふ、と笑った。
「ごめんごめん。
だけど、君の祝福は素直に嬉しい。
君は、僕の一番の親友だから。」
「そう言ってもらえると、僕も嬉しい。」
親友、かあ。
なんかちょっとくすぐったいけど。
僕は心を込めてオルニスに祝福を送ることにした。
祝福なんて、なにかの効果が目に見えるものじゃないけど。
それでも僕は、たとえ何の役にも立たなくても。
祝福を送ろう。
僕の友だちに。知り合ったばかりの人に。見も知らない人に。それから、この世界に。
小さなことだけれど、それなら、僕にもできるから。




