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お茶会も済んだことだし。
予定なら、ピサンリのところへ帰るはずだったんだけど。
僕はもうしばらく、王都に残ることにした。
匠と一緒に作ろうとしていた、遠くに声を届ける道具は、まだできていなかった。
匠はいろいろと方法を思い付くんだけど、いざそれを実行しようとしても、なかなか思った通りにうまくいかない。
何か、もう少し何か、工夫が必要なんだと、僕らは考えていた。
だけど、この道具があれば、僕だけじゃなくて、いろんな人にとってすごく便利だ。
それは僕にも容易に想像できた。
山の民の研究員たちも、故郷の山に、親や、きょうだいや、大切な人がいる。
その人たちと直接話せたら、ってみんな思ってる。
手紙を書いて届けてもらうことも、不可能じゃなかったけど。
王様の伝令をみんながみんな使えるわけじゃないし。
普通は、そっちの土地へ旅をする人に託すことになる。
だけど、何日かかるか分からないし。
それどころか、無事に届くかどうかも分からない。
知人に託せれば、まだましだったけど。
見も知らない人にしか託せないことだって多い。
相手からの返事なんて、まず、期待できないし。
届いたかどうかの確認すら、できない。
だからこそ、みんな、この道具の完成を本当に期待していたんだ。
僕はまだ、大精霊のところに戻れば、一方的にだけど、ピサンリの様子を見ることはできた。
オルニスにピサンリのところへ行ってもらうことだってできる。
それって、ものすごく恵まれてたんだって、そのときになって気づいた。
僕がピサンリのところに帰りたいみたいに、みんなにだって、会いたい人がいる。
せめて、声が聞こえたら。こちらの声を届けて、相手の返事も聞くことができたら。
きっと、幸せになれる人はたくさんいるんって、思ったんだ。
ピサンリに会いたい。帰りたい。って気持ちは強かったんだけど。
その気持ちが強いからこそ、この道具だけは、なんとか完成させたかった。
それに。
せっかく王都にきたんだもの。
なんだか、変わってしまったルクスのこと淋しいって思った、って。
それだけじゃ帰れない、って気もしていたんだ。
オルニスのまったく似てない物真似の、何事も、お前様の納得のいくようにしたらよい、って言葉。
今はまだ、何も納得いってないのに、このままおめおめ帰れない。
美味しい瓶詰を作って届けてくれたピサンリに、会わせる顔がない。
だけども。
実験は毎回失敗で、いろいろと煮詰まってしまって。
こういうときは、気分転換も必要だ、ってオルニスに言われて。
僕は広い場所に出て、もう一度、音のエエルたちのことを観察してみようって思った。
ほら、あの、困ったら原点に戻れ、ってやつだよ。
きっと、なにか、見落としていることもあるんじゃないかな。
「僕も一緒に行くよ。
なんだか今日は風を感じたい気分なんだ。」
いつも自由なオルニスは、そう言って僕についてきた。
「わたしは、ここにいてもいいか?
この装置に、もう少し、改良できるところがありそうなんだ。」
匠はそう言って、部屋に残った。
エエルたちの観察をするには、人の気配の少ない、広い場所がよかった。
人ってのは、絶えずいろんな音をさせているから、人が多いと、その音に紛れて、エエルの歌が聞こえにくくなるんだ。
それに、狭いところでは、そこにいるエエルたちも限られていて、観察しにくい。
だけど、王都に、人の少ない場所なんて、ほとんどなかった。
広い場所、ってのも、案外、少なかった。
「いっそ、街から出て、平原にでも行ってみる?」
オルニスのことだから、もし、僕が、うん、って言えば、すぐにでも馬車を用意しそうな勢いだったけど。
そこまでするのはおおごとだし、だいたい、ちょっと気分転換に、って出てきたのに、帰りが遅くなり過ぎたら、余計な心配をかけてしまう。
いや、いっそ、そのために、何日かかけて、外へ行くか?
けど、わざわざそんなことをしても、何か、収穫があるとは限らないし。
ぐるぐる考え始めた僕の横で、くすくすとオルニスの笑う声がした。
「ときどき、君はもっと自由に、思うままにやればいいのに、って思うよ。
もっとも、そんなふうに君が優しい人だから、僕は君のこと、放っておけないんだけど。」
は、い?
「…僕は優しいってより、決められないんだ。
それって、僕が弱いからだよ。
本当に優しい人は、もっと強いものだと思う。」
そう。ヘルバや、ピサンリみたいに。
それから、ルクスや、アルテミシアみたいに。
僕には、あのみんなの強さは、ない。
「だから、君のほうが、僕の何倍も優しい人だよ。」
オルニスは、ちょっと驚いた、みたいに、目をまるくしてから、ふふっと肩を竦めた。
「まあ、いいや。
君に優しいって思われてるなら、そう思わせとくとしよう。
そのほうが、僕にとっては都合いいから。」
なんかね、わざとそういう言い方するところも、実はオルニスの優しさなんじゃないか、って、最近、思うようになったよ。
「しかし、広いところ、かあ…」
僕は手を庇にして、ぐるっと上を見上げた。
「街ってのは、建物がぎっしりだからね。
ここにいても、街のエエルたちの歌しか聞こえないんだよね。
いっそ、この建物の上に抜けてしまえば、広いのかもしれないけど。」
「建物の上?
屋根の上ってこと?」
「屋根の上?
いやいやいや、そんなとこ、上ったら危ない、よね?」
なんとなく嫌な予感がして尻込みする僕に、オルニスは特大の笑みを浮かべた。
「いやいやいや。
大丈夫、大丈夫。」
「何が大丈夫?
大丈夫じゃないよね?」
「大丈夫。大丈夫。」
オルニスは大丈夫と繰り返しながら、僕を連れて研究院に引き返した。
それから、山の民たちに、例の奇妙な棒を借りてきた。
「このスティックはさあ、彼らのすごい発明品だと思うよ。
軽いし、長さも形も自由自在に変えられるんだから。」
それは以前、王都に入るための行列に並んだときに、山の民たちが取り出して、椅子からテーブルやらに作り変えていた棒だった。
オルニスはそのスティックを何本か抱えて、僕と一緒に研究院の階段を上り始めた。
「まさか、研究院の屋根に上るつもり?」
「この街で一番高いところって言ったら、王城か研究院でしょ。
だけど、王城の屋根に上ったりしたら、なんか、兵士に追いかけられそうだし。
でも、ここなら、追っかけてくるやつらもいないよね。
後でアルテミシアに言っとけば、大丈夫でしょ。」
「あ、後で、って…
後で言ったら、きっと、怒られるよ?」
「先に言ったら、ダメだって言われるかもだし。」
「き、君は、怒ったアルテミシアの恐ろしさを知らないから。
だから、そんなこと、簡単に言えるんだ…」
「怒りやしないよ、もうアルテミシアも。」
オルニスはちょっと僕を見て、にこっと笑った。
「君は、わざと危ないことをするために、屋根に上るんじゃない。
これは立派な研究活動なんだから。」
「っけ、けんきゅーって…
いやいや、それなら、っへ、平原に、行こう?
うん。馬車に乗ってさ。」
「そんな手間かけなくても、こっちのほうが早い。」
「って、手間、かけさせるのは、申し訳ない、けど…
けど…けど…」
反論できなくなってるうちに、僕らは研究院の最上階の、階段の突き当りまで来てしまっていた。
そこには、外に出られそうな小さな扉があった。
「こんなところに、戸がある。」
僕は扉のノブに手をかけて、ゆっくりと押してみた。
扉に鍵はかかってなくて、それは簡単に開いた。
途端に、強い風がびゅうと吹き込んできた。
びっくりして扉をもう一度閉じようとしたけど、風にあおられてなかなか閉まらない。
すると、オルニスは、僕より先に、その扉から外に出てしまった。
「ちょ!オルニス?」
僕は慌ててオルニスを追いかけた。




