210
僕は急いでルクスの方へ駆け寄った。
「ああ。堅苦しい挨拶なんかは、いいから。」
手を振るルクスに、昔みたいに抱きつこうとして、一瞬、躊躇った。
「あ、れ?」
なんか、おかしい。
僕は立ち止まって、ルクスの顔をまじまじと見つめた。
「ルクス、もしかして、小さくなった?」
「バーカ。お前が大きくなったんだ。」
ルクスは思い切り呆れたように言って、それから、手を伸ばして僕の頭をくしゃくしゃにした。
「なんだ、しばらく見ない間に、ひょろひょろと、背ばっかり大きくなりやがって。」
この間から感じてた、なんとなくの違和感の正体にようやく気づいた。
そっか。目線の高さだ。
この間のルクスは、なんだかすごい王様の格好をしてたから、気づかなかったけど。
いつの間にか、僕は、ずっと見上げていたルクスの背を追い越していた。
「僕、背、伸びてたんだ…」
ピサンリはもうずっと前から僕より背は小さかったし。
ずっとピサンリ以外とはほとんど会ってなかったから気づかなかった。
オルニスとは、前に会ったとき、そんなに長く一緒にいたわけじゃないし。
久しぶりに会ったときも、そんなに変わった感じがしなかったんだけど。
もしかしたら、オルニスも背が伸びていたのかも。
そういえば、アルテミシアは、ずっと僕と背は同じくらいだったんだけど。
この間、僕の髪を直すのに、背伸びしてたっけ。
「背だけなら、もう、立派に一人前だな。」
ルクスは僕の背中をバンとたたいた。
その勢いで、僕は思わずちょっとふらついた。
するとルクスは心配するみたいに眉をひそめて言った。
「だけど、もうちょっと食って、肉、つけないとな?
お前、昔っから細すぎるんだよ。」
僕はルクスの分厚い掌を見て、あはは、と小さく笑った。
どんなに頑張っても、僕の手は、あんなふうにはなれそうもないなあ。
すごいご馳走の並ぶテーブルに当たり前のようについてから、ルクスは横にあったもう一つのテーブルに気づいた。
「おや?そっちはなんだ?」
「ああ、これ、オルニスがもらってきたピサンリのお土産だよ!
アルテミシアの…」
まだ話しの途中なのに、ルクスは遮るように言った。
「瓶詰なら、そのまま持って帰れるな。
今日はこっち食えよ。」
「…アルテミシアの木の実のパイも…」
「あ。お前の好物か!
じゃあ、それは、こっちに持ってこいよ。」
ルクスが合図をすると、どこに隠れていたのかお仕着せの人が現れて、アルテミシアのパイだけ取って、ルクスの前に並べた。
「こんなもんばっか、いつまでも食ってるから、お前、ちっとも太らないんだな。」
ルクスはアルテミシアのパイを見て、小さく笑った。
確かに、所せましと並んだ絢爛豪華なご馳走のなかでは、木の実のパイは、なんだか小さく肩を竦めているように見えた。
「…今日は、お茶会だ、って…」
それは僕の精一杯の抵抗だった。
だけど、そんなのもちろん、まったく効果はなかった。
「そうなんだ。この時間しかあけられなかったからな。
けど、お前には、是非、このうまい料理を食べさせたかったんだ。
いいから、食えよ。」
オルニスは、ちょっと肩をすくめると、そそくさと席に着いて、僕に隣に来いと言うように、椅子を叩いた。
アルテミシアは軽く苦笑して、ルクスの隣の席に座った。
僕も仕方なく自分の席に着いた。
すると、お仕着せの人たちは、黙ったまま僕らのカップに飲み物を注いでいった。
ルクスはカップをさっと差し上げると、一息に飲み干した。
すかさず、お仕着せの人がカップを満たす。
一口飲んで、僕は、うっ、と顔をしかめた。
「これ、お酒?」
「ああ。お前ももう子どもじゃないだろ。
だけど、一応、昼間だからな。
そんなに強くないやつにしておいた。」
「やれやれ。」
そう呟いた小さな声が聞こえた気がして、恐る恐る隣を見たら、オルニスが知らん顔をして、ご馳走を手前の皿に取り分けていた。
「ほい。
これ、君の分。」
そう言って手渡してくれたのは、僕にもなんとか食べられそうなものばかりのったお皿だった。
ちょっと助かった、って思った。
オルニスはそのまま自分の分も皿にとり始めた。
「好きなものだけ食べるといいよ。」
アルテミシアはひそひそとそう言ってくれた。
だけど、とてもじゃないけどこのご馳走は、よほどの大食漢が揃ったとしても、平らげるのに三日くらいかかりそうだと思った。
「なんだ。遠慮なんかするなよ。
ほら、これ食ってみろ。
これも。こっちも。」
ルクスは僕の皿を見るとちょっと顔をしかめて、あっちこっちから肉を取って僕の皿に山盛りにした。
僕はなんだか、血の気が引いていく気分だった。
それを見ていたオルニスは、横からこっそり僕の食べられないものを持っていってくれた。
だけど、ルクスにそれがバレたら、またお肉をのせられると思って、僕は、視線だけで、オルニスに感謝を示した。
「俺、今日は、朝からなんも食ってないんだ。」
ルクスはそんなことを言いながら、せっせと目の前のご馳走をやっつけ始めた。
大きな骨付き肉の塊を、手に持って、そのままかぶりついている。
感心するほど気持ちのいい食べっぷりだ。
あれなら、この大量のご馳走も、一日あったら平らげられるかなと思い直した。
「次から次へと客が来る。
けど、食事会、と言いつつ、何も食えない会合ばっかりだ。
いつ毒を盛られるか、と思っていたら、どんな食い物を目の前にしても、手をつける気にはならないからな。」
「え?毒?」
思ってもみない言葉がルクスの口から飛び出して、僕はびっくりした。
「どうして毒なんて…」
ルクスはこともなげに説明した。
「王都を追われたやつらは、まだ奪還の機会を狙ってるんだ。」
「王都を追われた?奪還?」
「やつらは、俺を殺せば、またここに戻ってこられると思ってる。」
「ルクスを、殺す?」
聞き返すのすら恐ろしい言葉に、声が震えた。
いちいち聞き返されるのにうんざりしたみたいにルクスは僕を見た。
「今はそんな話しはいいだろ。
せっかく、気を許せるやつらと飯、食ってるのに。
飯がまずくなる。
いいからお前も黙って食え。」
「あ…、うん、ごめん。」
不機嫌そうなルクスに僕は慌てて謝った。
「そうだ!
ルクス、せめて、これ、食べてよ。
ピサンリの作ったものなら、安心だし。
オルニスの泊まってる宿のご主人も、この料理は大絶賛だったそうだよ。」
僕は思い出して、ピサンリのミッドナイトシェードを取ってきた。
瓶の蓋を開けると、懐かしい香りがする。
うんうん。これこれ。
途端に、すごくお腹がすいた気がした。
僕はミッドナイトシェードを一匙すくうと、あいていた小皿にのせてルクスに差し出した。
「ああ。じゃあ、そこに置いておいてくれ。」
ルクスはちらっとだけお皿を見て、テーブルをあごで指した。
ルクスの両手は肉の脂にまみれて、ぎとぎとだった。
僕は言われたとおり、テーブルに小皿をのせた。
ルクスは、くんくん、と鼻をならすと、ちょっと顔をしかめた。
「ミッドナイトシェードって、こんな匂いだったっけ?」
「うん。いい香りだよね?」
「…いい香り、かねえ…」
ルクスはもう一度顔をしかめると、そのまま肉の続きを食べ始めた。
「パイを取り分けようか?」
アルテミシアがとりなすように声をかけてくれた。
「うん。やったー!」
僕はちょっとわざとらしいくらい歓声をあげた。
アルテミシアはにこっとして、パイを贅沢に切り分けると、少し大きめに切り分けた一切れを僕のお皿にのせてくれた。
それから、ちょっとウィンクして、声をひそめて言った。
「今日は君はお客さんだから。特別。」
「いいの?」
「いいんだよ。
ルクスも、しっかり食べろってうるさいからね?」
僕はなんだかちょっと他の人に悪い気もしたんだけど。
やっぱり嬉しくなってしまった。
そしたら、オルニスも自分の皿を出して催促した。
「アルテミシア。僕にもちょうだい。」
「分かったよ。
君の分も、お客様用ね?」
アルテミシアはオルニスにもちゃんと大きく切り分けていた。
がっちゃーん!
突然、大きな音がして、僕らみんなびっくりした。
見ると、お皿がひとつ、床に落ちていた。
「あ。悪い。」
ルクスが短く謝った。
落ちたのは、僕の取り分けたミッドナイトシェードののったお皿だった。
お皿は粉々に砕けていて、そこにのっていたミッドナイトシェードももう食べそうになかった。
なんだか、ちょっと、胸がずきっとした。
だけど、そんなのは気のせいだと思い直して、僕は、ルクスに尋ねた。
「残念だね。
もう一度、取り分けるよ。」
「いや。もう俺、それはいいや。」
ルクスはぱたぱたと手を振った。
「…でも…」
「いらない、って言ってんだろ。」
ルクスはちょっとむっとしたように強く言った。
僕は慌てて口を噤んだ。
「あとは持って帰って、一緒に食べようや。」
オルニスは瓶を僕の手から取り上げると、にこっとしてみせた。
僕は、分かった、って、頷くしかなかった。




