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十日は本当、あっという間だった。
ルクスとの約束の日が近づくにつれて、僕は、もう少しここにいたい、って思ってしまっていた。
山の民の研究室に入り浸るようになってから、アルテミシアはあまり僕に構わなくなった。
というより、とにかく忙しいから。
僕だけじゃなくて、みんなのために、アルテミシアにはやることはたくさんあるんだ。
約束の前の日。
アルテミシアは僕にルクスの伝言を伝えるために、久しぶりに会いにきた。
朝、けっこう早い時間だったから、僕はまだ起きたばっかりで、こんな格好でごめんって言ったら、何を今さら、って軽く笑われた。
「あたしたち、一緒に暮らしてたこともあるじゃない。
君の寝起きなら、もう何回も見ているよ。」
「それはそうだけどさ。
今は、違う、から…」
僕は寝ぐせの髪を必死に抑えつけていた。
何回抑えつけても、ぴょんと跳ねる髪に手こずっていたら、アルテミシアはそっと櫛を取り出して直してくれた。
ちょっと背伸びをするようにして僕の髪を直してくれるアルテミシアを、僕は幸せな気持ちで眺めていた。
「そうだよね。
こっちこそ、こんな朝早くからごめん。
だけど、こんな時間しか、あたしも都合、つかなくってさ。」
「ううん。
来てくれて嬉しいよ、アルテミシア。
こんな格好でも許してもらえるなら、僕のほうは、いつだって会いにきてくれていいよ。」
アルテミシアに髪を触られていると、すごく幸せな気持ちになる。
うんとうんと小さいころに戻ったみたいだ。
「ルクスは、明日の午後のお茶の時間を、あたしたちのためにあけてくれたんだ。
それを伝えにきたんだよ。
結局、食事じゃなくて悪い、って言ってたけど。
それだって、ルクスはかなり無理をしてくれたんだ。」
「そっか。有難う。
もちろん、僕はお茶だって大歓迎だよ。」
僕がそう言ったら、アルテミシアは嬉しそうににっこりした。
「最近、君はリトスたちと、なんだか楽しそうにしているよね?」
ここのところ会ってなかったけど、アルテミシアは僕のこともよく知っているみたいだった。
「うん。実はね?」
僕は山の民たちと、遠くに声を届ける魔法の道具、を作ろうとしてるんだ、って打ち明けた。
「匠?笛使い?あだ名で呼びあってる?
いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
ちょっと意外そうにアルテミシアは目を丸くした。
確かに、僕が誰かとこんなに早く仲良くなれるなんて、すごく珍しいって自分でも思う。
このところの彼らとのやり取りを話したら、アルテミシアは、へえ、へえ、っていちいち驚きながら聞いてくれた。
「そうだ。
この僕の笛なんだけどさ。
これも、魔道具だったんだって。」
僕は彼らがこの笛に興味を持ってしばらくの間大騒ぎだった話しをした。
「まあ、魔道具だろう、とはあたしも思ってたけど。
それをこんな短期間に解析してしまうとは、流石だね。」
アルテミシアは感心したみたいに頷いた。
「その笛は君の魔法にとても重要なアイテムだろう?
つまり、この世界の平穏にとっても、とても大事な物、ってわけだ。
この世界の宝物なんだよ。」
へえ。
僕は改めていつも首からかけてる笛を眺めた。
僕にとって、この笛は、とても大事なものだったけど。
そっか。みんなにとっても、この笛は、大事なものだったんだ。
「わかった。
大事にするよ。」
「そうしてよ。
もう、どこかに置き忘れたりしないようにね?」
アルテミシアはちょっと笑った。
そうだ。
そもそも、出立の日、僕はこの笛を忘れて。
それで、僕らはここに残ることになった。
それが運命だったのかは分からないけど。
笛を取りに戻る、という選択を僕らはして、そうして今、ここにいる。
「そうそう。
明日のお茶会には、オルニスも来るんだって。」
アルテミシアは突然そんなことを言った。
「へえ。そうなんだ。」
それは、なんだかちょっと意外な感じがした。
「ルクスはさ、あたしたち三人水入らずで、って思ってたみたいだけど。
あの子のほうから、どうしても、来たい、って言ってきたみたいだ。」
へえ。
オルニスってば、ルクスに何の用だろう?
前に会いに行ったときは、ものすごく緊張してたり、の割にそそくさと帰ってしまったり。
ときどき、オルニスって、何を考えているのかよく分からないところがある。
まあ、悪い人じゃないし、ピサンリとも仲良しだし、僕も何かとお世話になってるのには間違いないし。
僕にとっては、オルニスも、ルクスやアルテミシアやピサンリと同じくらい、大切な人だけど。
「この間会ったときには、何も言ってなかったなあ。」
一緒に行くならそう言えばいいのに。
もっとも、あのときは、オルニスとの話しの途中で匠に手伝えって言われて、いつの間にかオルニスは帰ってしまってたんだっけ。
「なにか、ルクスに言い忘れたことでもあったのかな?」
もっとも、王様に直接にしか話せない進言、ってのは、あのときとっさにオルニスの思い付いた適当な言い訳だし。
他に、伝えたいこと…
「あ。ピサンリからの伝言とか?」
「そういえば、オルニスはピサンリのところへ行ってくれたんだっけ?」
アルテミシアは思い出したみたいに言った。
「そうなんだよ。
ピサンリからのお土産もたくさんくれてさ。
アルテミシアのところには、オルニスは来てないの?」
「来てないな。
もっとも、ここのところあたしも忙しかったから、捕まらなかったのかもしれない。」
それは、そうか。
アルテミシアは僕のところには来てくれるから、僕は会うことができているけど。
普通に、こっちから会いたいと思って探したって見つからない、って伝説になってるらしい。
山の民たちが言ってた。
「アルテミシアが忙しいのって、僕のために時間をとってるせいもあるよね?
本当、ごめんね?」
「べつに。
あたしにだって、少しくらい、自分の友だちを優先する権利はあると思うんだ。」
有難う、って言ったら、アルテミシアは、ちょっとだけ笑ってくれた。
「そうだ、ピサンリの瓶詰、たくさんもらったから、アルテミシアにもおすそ分けするよ。」
僕は戸棚にしまってあったのをいそいそと取り出してきた。
「新作もあるんだって。
味見してほしい、って言ってたみたい。
あ、感想はオルニスに言えば、またピサンリに伝えてくれるよ。」
アルテミシアはちょっと苦笑して言った。
「ピサンリは君に食べてほしかったんじゃないの?」
「アルテミシアにだって食べてほしいって思ってるよ。
あ、じゃあ、明日のお茶会に、これ、持って行くのはどうかな?
ちょうどオルニスも来ることだし。
みんなで食べて、感想を言えばいいよ。」
アルテミシアは、ふふ、ってちょっと笑って僕を見た。
「君には懐かしい味なんだろ?
全部君が食べればいいのに。」
「ルクスだってアルテミシアだって、ピサンリの料理は懐かしいでしょ?
いいじゃない。みんなで食べたほうが美味しいに決まってる。
あ、じゃあさ…」
僕はちょっとアルテミシアを見上げた。
「あ。その目をするってことは、あれかな?」
アルテミシアは僕の言う前に、ふふふと笑って、いきなり、いいよ、って言った。
けど、すぐに、あ、っとちょっと困った顔になった。
「材料、あったかな。
買いに行くのは、ちょっと時間が厳しいな…」
「いいよ。
材料、僕が買いに行く!」
そりゃもう、僕のお願いなんだもの。
だけど、アルテミシアは心配そうに僕を見た。
「君が?
大丈夫かい?」
「大丈夫だよ。
言葉も分かるようになったし。
ここの市場なら、全部揃うよね?」
「それは、揃うと思うけど…」
「心配なら、オルニスについて行ってもらうよ。」
「オルニスに?
って、君は彼の居場所を分かっているの?」
「ここのところオルニスも山の民の研究室に入り浸りなんだよ。
今日も、多分、そこにいると思う。」
ふうん、とアルテミシアは言った。
「材料、揃ったら、どこに持って行けばいい?」
それは尋ねておかなくちゃって思った。
なにしろ、こっちから探したって見つからないって伝説のあるアルテミシアだ。
アルテミシアはちょっと苦笑した。
「厨房の隣にある食糧庫に置いといてくれればいいよ。」
「分かった。」
それならお安い御用だ。
美味しい木の実のパイのために、僕もちょっとくらい頑張らなくちゃね。




