20
館の外に出ると、さっきのフォォォォはもっとよく聞こえるようになった。
他にも大勢の声が聞こえるけれど、平原の言葉で、何を言っているのかは分からない。
ただどの声も、ひどく興奮しているようだった。
月明りはじゅうぶんに明るかったし、僕らは夜目も効く。
歩きなれた村のなかをふたりで歩くのに、不安なことはなかった。
僕らは声を頼りに足を急がせた。
近づくにつれて、ますます声は大きくなっていった。
よほどの大騒ぎらしい。
何を言っているのかは分からなくても、その声に、恐怖や怒りは感じられない。
むしろ、それは歓喜の叫びだった。
胸の中に湧き上がる期待を押し殺して、僕らはただ急いだ。
もしかして?と思ったけど、期待して違っていたらがっかりするから。
だから、この目で見るまでは、余計なことは考えないようにしようと思った。
だけど、その場所に近づくにつれて、期待は確信になった。
歓喜の声はもうよほど大きくなって、まるで、時季外れのお祭り騒ぎだった。
村の外のこんな遠い場所なのに。
館で眠っていた僕たちが気付くくらいだから、それはもう、すごい騒ぎだった。
こっそり岩陰から覗いたら、踊り狂う人々が見えた。
この数日で顔見知りになった人たちも大勢いる。
ピサンリや村長さんの姿もあった。
みんな、笑いながら、柄杓で水をかけあっていた。
ざんぶりと桶いっぱいの水を自分の頭からかぶって、大笑いをしている人もいた。
まるで子どものようにきゃあきゃあと楽しそうだった。
井戸の水が出た。
彼らの歓喜の理由は一目瞭然だった。
あんなふうに喜んでいる人たちを見て、僕らもとても嬉しかった。
だけど、僕らはあの人たちの前に姿を表すことはしなかった。
やっぱり、ルクスも起こして一緒に来ればよかったかな。
この歓びは三人一緒に味わいたいと思った。
目と目を見交わしただけで、アルテミシアも同じ考えだって分かった。
僕らは彼らに気づかれないように、そっと身を隠したまま引き返した。
帰り道、アルテミシアも僕も、何も言わなかった。
だけど、嬉しくて、にやにやしてしまうのは、止められなかった。
そうして、終わりの見えない仕事だと思っていた井戸掘りは、ある日、突然、完了した。
翌朝、まだ日の出前に、ピサンリが駆け込んできた。
もちろん、僕らに朗報をもたらすために。
アルテミシアと僕はもう知っていたけど。
今初めて聞いた、って顔をして、思い切り驚いてみせた。
ルクスは飛び上がって喜んだ。
それから、朝食もとらずに、井戸にむかって駆けだした。
もちろん、アルテミシアと僕もそれを追いかけた。
「水はいつ出たんだ?」
ルクスは走りながらピサンリに尋ねた。
ピサンリは僕らよりずっと小柄なのに、走るのは僕らより速いみたいだった。
「昨日、真夜中に。
すぐに報せに行かんで申し訳ない。
いやあ、嬉しゅうて水のかけあいになってしもうて。
とても皆さんの前に出られるような格好じゃなかったもんで。」
うん。見てた。
「いったん帰って着替えてきましたのじゃ。」
「俺たち、そんなこと気にしないのに。」
ルクスはちょっと拗ねた顔をしたけど、まあ、いいや、ってすぐに笑った。
「水はすぐに出なくなるわけでもないだろうしね。」
「そうじゃ。それに、周りを少し片づけてから、皆さんには来ていただきたかったしのう。」
だけど、行ってみると、少し片づける、どころじゃなかった。
井戸の周りには、とても一晩で作ったとは思えないほど立派な囲いができていて、その上には屋根もつけてあった。
屋根を支える四方の柱には、春夏秋冬、それぞれの花が彫りつけられている。
まるで、小さいけれど立派な建物のようだった。
「これ、一晩で作ったの?」
昨夜のあの騒ぎを知っている僕は、とてもあの時刻から朝までに、ここまでの物が作れるとは思えなかった。
「ええ、もう、みんな、嬉しゅうて。
朝まで徹夜して作りましたじゃ。」
徹夜したって、一晩で仕上がるとは思えないけどね。
本当に、よっぽど嬉しかったんだなあ。
「みなさんには是非、これを一番に見ていただきとうて。
というても、結局、村中総出で作りましたから、みんな見てしもうたんじゃが。」
あはははは、とピサンリは明るく笑った。
井戸の前には立派な椅子も三つ並べてあって、僕らはそこへ座るように言われた。
僕らが座ると、村人たちは井戸を挟んだところにずらっと全員綺麗に並んだ。
その一番前にゆっくりと歩み出たのは村長さんだった。
村長さんは、朗々と僕らの言葉で言った。
「賢者様の仰った通り、目出度く、こうして水も出ました。
我ら一同、感謝の念にたえませぬ。
仕事の捗らぬ我らに、呆れもせず、よくぞここまで、お導きくださいました。」
そこで村長さんがお辞儀をすると、後ろの村人も一斉にお辞儀をした。
いやそんな、呆れるなんてとんでもない。
それどころか、みなさんが僕らを信じて掘り続けてくれたことに、僕はずっと感動してました。
「それに、賢者様御自ら、我らと共に固い土に挑み、また、食事をお作りになり、我らを励ましてくださいましたこと、我ら、その御恩は生涯、いえ、子や孫らにも言い聞かせ、永遠に忘れますまい。」
いや、そんな、むしろ、そのくらいしか役に立てることがなかったから…
ところで、さっきからその、賢者様、って、僕らのこと?
いや、なんかそんな、僕らそういう柄じゃないですけど…
どうやら、聞き間違いではないらしい。
村長さんは、はっきりと言った。
「森の賢者様。
やはり、みなさま方は、素晴らしい、我らに幸福をもたらしてくださる方々です。
どうぞ、これからも、末永く、この村にお留まりくださいませ。」
そこまで言うと、村長さんはその場にひざと両手をついて、頭を地面に押し付けた。
後ろの村人たちも、ずらっと同じことをする。
いやだから、それ、やめてください、って。
どうしたもんかな、とルクスを見たら、アルテミシアもルクスのほうを見ていた。
ルクスはしょうがないな、という顔になって、席から立ち上がった。
「村長さんもみなさんも、まずは、その格好はやめて、立ってください。」
そこでちょっと言葉を切ってみんなが立ち上がるのを待っている。
みんなも、ルクスが黙っているからか、急いで立ってくれた。
「俺たちも、お役に立てて、嬉しいです。
それに、先に俺たちを救ってくださったのはみなさんのほうです。
あんな立派な家も用意してもらって、食事だって、毎日いただいている。
俺たちはまだその恩を十分に返せていないって思ってます。
ずっと、かどうかは、まだ分からないけど、しばらくはここにいますから、また何かお役に立てることがあれば、嬉しいって思います。」
流石、ルクス、こんなに大勢に注目されてるってのに、いつも通り堂々としている。
ルクスが言葉を切ると、一斉に拍手が沸き起こった。
そうやって、森のみなさん、から、森の賢者様、に昇格した僕らは、まだそのまましばらく、その村に滞在することになった。