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どうにかしてエエルの溶け込んだ水を作らなくちゃ、って思ってたんだけど。
思ったより早くそれは手に入った。
王都の市場ってやっぱりすごい。
本当になんでも売ってるんだな。
この水が手に入ったおかげで、僕は、すぐにでもあの魔法を使うことができるようになった。
もっとも、そのためにはオルニスに力を貸してもらわないといけないけれど。
気持ちが先走って落ち着かなくて、宿に着くなり、僕は夕食の前に、オルニスにその話しを始めた。
オルニスはいきなり何を言い出したんだろうって、ちょっと驚いていたけど、僕の話しをじっくりと聞いてくれた。
「分かった。
つまり、君は七日の間、目を覚まさないけど、それは心配いらないんだ?
で、僕は、その間、君に毎朝、水を飲ませればいいんだね?」
「そう。
この瓶ひとつあれば、七日間もつはずだから。
お願いしてもいいかな?」
「それは、お安い御用だけど。
本当に、ずっと君についてなくていいの?」
「ああ、それは構わないよ。
僕はどうせずっと眠ってるだけだし。
朝いちばんに水だけ飲ませてくれたら。
あとは、君の好きにしていてくれていい。」
オルニスは、ふうん、って言って少し何か考えるようにしてから、分かった、って笑った。
「まあ、十日もあるんだしさ。
せっかくだから、街見物でも、とは思ってたんだけどね?」
「…僕は、街見物とか、あんまり行きたくないし。
どっちみち、十日間は、この部屋に引きこもってると思うんだ。
それならさ、大精霊のところに行ってこられたら、ちょうどいいし。
うまくすれば、ピサンリにだって、少し帰るのが遅くなるって、連絡できるかもしれない。」
オルニスは僕の顔をしげしげと見てから、ちょっと苦笑した。
「君ってさあ、本当に、仲間を大切にする人だよね。」
「え?そうかな?」
僕って、いっつも仲間たちには、我儘言ったり、僕のせいで迷惑ばっかりかけてるって思うんだけど。
「問題は、君に仲間だって認識されるまでが大変なことだね。」
「オルニスも僕の大事な仲間だよ?」
「僕はまあ、うんとラッキーな部類だったんだな。
改めて光栄に思うよ。」
オルニスはちょっと笑って肩を竦めた。
「分かった。
そんなことならお安い御用だ。
君も、そのほうがいいなら、反対はしない。
僕はせっかくだから街見物に行こうと思うけど。
そうしてもいいんだね?」
「もちろんだよ。
せっかくの君の時間を無駄にしたくはないんだ。
だから、たっぷり楽しんできてね。」
「まあ、以前、まだ君の家にいたときに、一度だけ、君が魔法を使うのは見ていたからね。
あのときはほとんどピサンリにお任せで、ただ僕は脇で見ていただけだけど。
一通り、やらないといけないことは分かってるし、あれなら、僕にもなんとかなると思うよ。」
「そうだったね。
心強いよ。」
僕らはこの十日間をお互いにとって一番いいふうに過ごせることになって、どっちも上機嫌だった。
その夜の夕食は、まあまあ美味しかった。
僕は食べ慣れない物は、あんまり得意じゃないんだけど、まずまず、食べられる物もあってよかった。
気分もよかったし、明日からに備えてたくさん食べなくちゃとも思ってたから、僕にしては、よく食べたんじゃないかと思う。
「この宿の料理は、この街じゃ美味しいって評判なんだよ。」
だけど、オルニスは僕の食べる量は少しご不満なようだった。
「ほら、もっと食べなよ。
こっちの、お代わり取ってやろうか?」
「あ。うん。もうお腹いっぱい。」
手を振って断ると、じろっと睨まれた。
「家だともっと食べてたよね?」
「そりゃだって、ピサンリのご飯だから…」
言わないようにしようって思ってたんだけど、思わず言ってしまったら、オルニスは大きなため息を吐いた。
「まあ、いいか。
目を覚ましたら、またお腹へらしてるだろうし。
そのときはもっと食べるだろ。」
「あ。うん。多分、きっと、そうなるよ。」
そのときは、オルニスにも納得してもらえるくらい食べられるかな。
お腹いっぱいになって、部屋に戻る。
この宿には沐浴場があって、旅の汗を流してすっきりもした。
オルニスには悪いけど、少しの間、集中したいから、ひとりにしてもらえるようにお願いしてある。
オルニスは快く夜の散歩に出かけるって言ってくれた。
ベットはふかふかで、寝具も清潔だ。
僕はいつでも倒れこんでいいようにベットに座った。
さて、と。
問題は、ここでエエルを感じられるか。
ヘルバの家なら、もう、どこにいたって、問題なかったんだけど。
だけど、ここも、問題はまったくなかった。
それこそエエルは、そこにもかしこにも、漂っていたから。
エエルたちの歌を聞く。
あまり聞き慣れない曲調だな。
というより、ぽつぽつとしていて、あんまり歌になってない感じ。
すごく幼い子どもが、うろ覚えの歌を歌っている、みたいな。
ここのエエルはもしかしたら、まだあんまり、この世界に馴染んでいないのかもしれない。
僕は少し考えてから、大精霊の歌を吹くことにした。
精霊にとっては、この世界の物理的な距離とか時間とか、あまり重要じゃないって言ってた。
だから、きっと、この歌は大精霊にも聞こえると思う。
目を覚まして。
僕を呼んでほしい。
君に、会いたいんだ。
願いを込めて土笛を吹く。
辺りの精霊たちは、最初、ちょっと驚いたみたいに息を潜めていた。
けど、すぐに、僕の笛に合わせて歌い始めた。
すごい、みんな上手じゃないか。
あっという間に精霊たちの歌は、幼い子どものうろ覚え状態じゃなくなっていく。
いや、それ以上だ。
こんなアレンジは聞いたことない。
それは大精霊の歌なんだけど、同じ歌じゃなかった。
きらきら、ちらちら、そよそよ、ざわざわ…
いろんな気配が、歌を賑やかに広げていく。
見事な和声がそこに作り上げられていた。
僕は歌の波に持ち上げられて、いつしか王都全体をはるか高いところから見下ろしていた。
ひゅうひゅうと耳元で鳴る風さえも、エエルたちの歌声だった。
さざめくような笑い声が絶えず鳴り響いている。
それすらも、歌の一部だった。
こんな楽しいのって、ありなのかな。
僕は誰より一番に、エエルたちの歌声に聞き惚れていた。
素晴らしい、なんて言葉じゃ言い足りない。
素晴らし過ぎる。
この魔法を、僕は心底好きだったんだ、ってことを思い出した。
思い出してみたら、なんで忘れてたんだろ、って思うんだけど。
うまくいくかどうかなんて、心配いらなかった。
もちろん、うまくいくに決まってたんだ。