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ピサンリが行かないことで、旅への気持ちはだいぶしぼんでしまったんだけど。

そんなことはおかまいなしのオルニスは、毎日もう、とても楽しそうに旅の支度をしていた。


「僕、こんな贅沢な旅は始めてだな。」


馬車に積み込まれた装備を、オルニスは感心したように眺めて言った。


「穀物に干した果物。塩漬けの野菜や肉もある。

 木の実に燻製に、蜜漬けまであるじゃないか。

 おいおい、店でも出すつもりか?」


「なるほど。それもいいのう。

 お帰りになられたら、この馬車で市場へ行って、屋台でもやるかの。」


ピサンリの屋台なら、大繁盛間違いなしだろうけど。


「ピサンリは、もう一生、この街から離れられないんだね?」


言葉にしてそう言うと、僕はますます落ち込んだ気持ちになった。


ピサンリは仕方ないなあという顔をして僕に笑いかけた。


「わしはもう、一生分の旅はしたからの。

 あとはこの地に落ち着いて暮らしましょうや。」


「ピサンリって、旅が好きでしょう?」


森の民に会いたい。

昔、ピサンリは、その気持ちだけで、旅に出た。

会えるかどうかも分からない。

どこに行けば会えるのかも分からない。

それでも旅に出られるのは、それだけ、旅そのものを楽しめる人だったからだと思う。


「泉の番人、誰かほかの人に頼めないかな?」


「じいさまの残した大切な泉じゃからの。

 もうしばらくは、わしが、大事に守っていきたいのよ。」


しみじみとそんなことを言われたら、反論もできない。

そもそも、僕が代われたらいいのに、それもできないんだし。

僕には何か言う資格なんかないんだ。


紋章ってのは、どうしてあんなに難しいんだろう。

僕もできないけど。

むしろ、できる側の人のほうが、圧倒的に少ないんだよね。

ピサンリの代わりを探そうったって、そうそうすぐには見つからない。

見つかっても、その技を習得するには、また時間もかかるだろう。

だけど、泉の手入れは、一日も欠かせない。

今は、ピサンリにそれをお願いするしかなかった。


「まあまあ。元気出せよ。

 そんな憂鬱、出発すれば、すぐに吹き飛んでしまうって。」


そうかな。


今はオルニスの陽気ささえも、少し煩わしかった。


けど、放っておいても、日は経っていくわけで。

僕のからだは順調に回復していった。


結局、流されるように、僕はオルニスとふたり、出発した。


見送ってくれるピサンリの姿が見えなくなるまで、僕は手を振り続けた。

だけど、石の街は、角を曲がってしまえば、すぐに視線は通らなくなる。

あっけないくらいにすぐに、ピサンリは見えなくなった。


オルニスは馬車を操りながら、ゴキゲンに鼻歌を歌っている。

ちょっと恨めしく思いながら、僕はオルニスの隣で膝を抱えて座っていた。


「お茶でも飲むか?」


オルニスはピサンリが持たせてくれた水筒を持ち上げて言った。

そこには僕の大好きないい香りのするお茶がたっぷりと入れてあった。


「…さっき、朝食を食べたばかりじゃないか。」


僕は首を横に振った。

オルニスは水筒を置くと、僕のほうをちらっと見て言った。


「忘れ物はないか?」


「…ないよ。

 ピサンリの準備は完璧だから。」


最初、郷の出立のときに。

大事な笛を忘れて取りに戻ったことを思い出した。

だけど、今回は、その笛も、しっかりと首にかけてあった。

ちなみに、笛をかける紐も、新しいのと取り替えてあった。

ピサンリが市場で見つけてきてくれた、綺麗な色を使って幾何学的な模様を編み込んだ紐だった。


「忘れ物でもあったら、取りに戻るのに。」


ちょっと恨めしくなって言ったら、オルニスはあははと笑った。


「もう、戻らないよ。

 足りない物は、行った先で調達すりゃあいい。

 それも旅の醍醐味だ。」


そんな醍醐味、いらない。


「…調達、できないものだったら?」


たとえば、ピサンリとか。


「そりゃあ、ないことを楽しむんだな。」


つまり、ピサンリの有難みを、じっくりと実感しろ、ってことか。


楽しめそうにはないけど。

ピサンリへの感謝を思い出すにはちょうどいい旅かもしれないって思った。


僕がつっけんどんな受け答えばかりするからか、そのうちにオルニスもあまり話しかけてこなくなった。

僕としては、そのほうが助かったから、あとはそのままずっと、むっつりと押し黙っていた。


オルニスは、黙っていられないのか、ずっと歌を歌い続けていた。

オルニスの故郷の歌なのか、知らない歌だったけど、森の歌の節回しはどこか似ているから、なんとなく懐かしい感じもした。


街を出るとそこは一面の草原だった。

人の行き交うところだけ草がなくなっていて、白い道がどこまでも続いていた。


僕らの馬車は、その道に沿ってがたごとご走り続けた。

ときどき、徒歩の旅の人を追い越したり、むこうから来た馬車とすれ違ったりもした。


「旅してる人、たくさん、いるんだね。」


久しぶりに口をきいたら、ちょっと声がかすれて咳き込んでしまった。

オルニスは黙って僕に水筒を差し出す。

今度は有難く、受け取って飲んだ。


「こっち側に来たのは初めてなんだろ?」


「うん。」


さっきまでずっと不愛想だった僕に、オルニスは普通に話しかけてくれた。


「昔はこの辺は全部、石ころだらけの荒地だったんだけどね。

 すっかり、草っ原になったなあ。」


「そうなんだ。

 それも、エエルが増えたから?」


「そうだな。

 エエルは命を促すからな。」


命を促すかあ。オルニスは面白い言い方をするなと思った。


大地は一斉に歌っていた。

優しい歌だ。

底を支える低音は大地の歌。

そこに、可愛らしい草たちの合唱が乗っかる。

ところどころ、虫や小さな獣、この草原に生きるものたちの歌が、いい感じのアクセントになっていた。

みんな生きてることを精一杯謳歌してる、そんな感じだった。


「やっぱさ、街のなかよりこんなところのほうが、エエルの影響、ってのは感じるよな。」


「そうだね。

 街にいても、遠くから歌声は聞こえていたけど、ここだと、もう思いっきり歌のど真ん中、って感じ。」


石の街にも歌はあるんだけど、もう毎日ずっと聞こえているから、すっかり慣れてしまって、あって普通って感じ。

だけど、余所の土地にくるとまた歌は変わる。

草たちの歌は久しぶりに聞いた。


「君はエエルを歌として感じるんだっけ。」


「…ちょっと特殊らしいよ。

 先祖返り、なのかもしれない。」


「僕は君みたいにエエルに敏感じゃないんだけど。

 この草原は、すごく明るく輝いて見えるよ。」


「オルニスは、エエルを光として感じてるのかもしれないね。」


「ふうん。

 そっか、これが、エエルなのか。」


僕らはそんなことをぽつぽつと話した。


馬車の旅はのんびりしていて、僕はオルニスの隣でときどきこっくりこっくりと居眠りをした。

からだは回復していたはずなんだけど。

馬車にずっと揺られていると、どうしたって、眠くなってしまうんだ。


オルニスの歌う歌も、なんだかちょうどいい子守歌みたいだった。

って、後から思ったんだけど。

オルニスはわざわざそんな歌を選んで歌っていてくれたのかも。

もしかしたら、落ち込んでる僕を、慰めていてくれたのかもしれない。


野営の道具もあったんだけど、天幕をはるのも面倒だし、ふたりなら馬車でもじゅうぶんに寝られた。

ピサンリってば、張り切ってたくさん用意してくれたのに、ごめんね。


作り置きの保存食もたくさんあったから、僕らは何も料理もしなくても、食事にも困らなかった。


「本当に、いたれりつくせりだな、ピサンリって。」


「まったくだよ。」


こんなに離れた場所でも、いつも食べてる味のものが食べられるなんて有難かった。


そんなふうに、オルニスと僕の旅は始まった。







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