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大精霊にその話しをしたら、すぐに賛成してくれた。
「それは、素敵ですわ。
是非、行ってらしてくださいませ。」
そう?
じゃあ、そうさせてもらっちゃおうかな?
「ひと月休んでも、世界のエエルは足りなくなったりしないかな?」
「今、この世界に精霊は、わたくしの来たころの百倍ほど存在しています。
おそらくは、太古の昔より、これほどの精霊のいたことはございませんでしょう。」
へえ。
もうそんなにいるんだ。
「じゃあ、ちょっとくらい休んでも平気?」
「問題ないと存じます。」
そっか。
確かに、最近、空気が濃いなって感じることがある。
嫌な濃さじゃなくて、清々しくていい感じの。
それもエエルが増えたおかげかも。
さてと。
それじゃあ、帰ったら早速、旅の支度をしなくちゃ。
ヘルバのところへ来てから、もうどのくらい経ったんだろう。
ずいぶん長い間、旅なんてしていないから、何を持って行ったらいいのか分からない。
その辺はピサンリに聞いたらいいか。
ルクスとアルテミシアとも、離れてから、もうずい分経っていた。
ふたりともすごく立派になったみたいだから、ちょっと会うのに気おくれする。
でも、きっと、そんなことを言ったら、ルクスは、僕の背中を叩いて、バーカ、って言うんだろうな。
アルテミシアは、僕の頭を撫でて、いつでも会いに来ていいんだよ、って言ってくれるんだ。
なんだか、すごく、ふたりに会いたい。
今すぐにでも、出発したくなってきた。
目を覚ましても、すぐには出発はできないかもだけど。
頑張って早く体力を回復させて、出発することにしよう。
目覚めはいつもよりすっきりしていた。
きっと、早く元気になりたいって、いつも以上に思っていたからだと思う。
枕元には、いつも通りのピサンリと、その隣には、オルニスもいてくれた。
ふたりを見つけた僕は、もう旅への期待に胸を膨らませながら、おはよう、って挨拶した。
僕が眠っている間に、ピサンリは、僕の旅の支度もほとんど済ませてくれていた。
すごい。もう本当に、僕は、あとは自分のからださえ回復させれば、いつだって出発できる状態だったんだ。
僕はたっぷり寝て食べて、とにかく早く回復しようと務めた。
前はオルニスたちと話したくて、少しでも起きていたいって、無理してたけど。
旅の間には好きなだけ話せるんだし、だったら今は、話すより回復するほうが優先だ。
「よ~し。
張り切って寝るぞ~!」
そう宣言したら、ふたりに大笑いされたけど。
僕は大真面目だった。
だけど、その日、が近づくにつれて、僕は、なんだか変だなって思い始めた。
僕の着替えやなんかは、一通り、鞄に詰めてあったんだけど。
ピサンリの荷物は何も、用意してなかったんだ。
ピサンリは馬車も用意していてくれた。
馬車には野営の道具や、食糧や、水袋なんかも、一通り揃えて積み込まれていた。
だけど、そこにも、ピサンリの荷物は、なにひとつ、なかった。
とうとうたまりかねて、僕は、ピサンリに直接、尋ねてみた。
「ねえ、ピサンリの荷物は?
僕、自分のは自分でまとめられるから、ピサンリは自分の支度をしなよ。」
するとピサンリはちょっと困ったような、曖昧な笑顔になった。
「わしは、行けん、よ?」
なんとなく、予想していたけど、言われたくなかった返事が返ってきた。
「行かない?どうして?」
「この家を留守にするわけにはいかんからのう。」
「………そうなの?」
僕はてっきり、三人で行くものだとばっかり思ってたのに。
「あの泉には番人が必要なのじゃ。
だから、わしは今回は留守番じゃ。」
「泉の番人?」
そんなのは初耳だった。
「泉なんて、放っておいても、勝手に湧いてるものじゃ…?」
「あの泉はのう、それなりに手入れが必要なのじゃ。
以前は、じいさまがしておったがの。
わしも、じいさまから、その方法を習っておっての。
じいさまの後はわしが引き継いでおるのじゃ。」
そうだったんだ。
「僕、なんにも知らなくて…」
「それは、わしも、言わんかったからのう。」
ピサンリはそう言ってちょっと笑った。
「なに、そうたいそうなことでもないのじゃが。
一日たりとも、それを欠かすわけにはいかん。
それは少々、難点じゃの。」
「…僕、やっぱり、ルクスたちに会いに行くの、やめようかな…」
それを聞いた途端に、楽しい気分はぺっちゃんこにしぼんでしまった。
またずっとここで寝て起きて、あの魔法を使い続けよう。
そんなふうに思った。
「なぁにを言われるか。
せっかくの休暇じゃというに。
行ってきなされ。」
ピサンリはちょっと強くそう言った。
「だって。ピサンリには休暇がないじゃないか。」
泉の手入れを一日たりとも欠かせないなんて。
「心配はいらんよ?
泉の手入れなど、それほど時間がかかるわけでもない。
それを済ませれば、一日、暇なのじゃから。
買い物に行ってもよし。
友だちの家にお茶をしに行ってもよし。
好き放題じゃ。」
「その泉の番人ってさ、なにか難しいことをするの?」
「なぁんも。
朝日の上る前に、水盤に紋章をひとつ描いて、小さな呪言を唱える。
それだけじゃ。」
う。それって、早起きして、紋章描いて、何かの言葉を間違えないように唱える、ってことか。
全部、僕の苦手なことじゃないか。
もちろん、そういうことは僕が苦手な分野だってことは、ピサンリはものすごくよく分かってる。
ピサンリは僕の顔を見て、にやにや笑った。
「わしには、造作もないことじゃ。」
う。
分かってて言ってる。
僕が代わりにやるよと言うこともできずに、僕は諦めるしかなかった。
「なになに。
お前様のことは、オルニス様によう頼んでおいたからの。
心配はいらん。」
「そんな心配はしてない。
でも、ピサンリはひとりぼっちで淋しくないの?」
淋しいのは僕だ。
分かってるんだけど。
そう言ったらピサンリは腰のところに手を当てて、僕を見上げてあははと笑った。
「心配はいらん。
それに、高々ひと月のことじゃろう?
せいぜい、旅をお楽しみなされ。」
………
僕にはもう言い返す言葉はなかった。




