19
目を閉じて、ペンダントをぶら下げながらゆっくり歩いていたアルテミシアに、僕らも静かについていった。
騒がしくして、アルテミシアの邪魔になっちゃいけないから、声はもちろん、足音もなるべくさせないように。
そのまま村を出て歩いて行く。
辺りは一面、荒れた土地。水とは縁のなさそうな乾いた土地だった。
しばらくそうしていて、ふと、アルテミシアのペンダントがふらふらと揺れ始めたのに気がついた。
「あ!アルテミシア!ペンダント、揺れてるよ!」
僕がそう言おうとすると、ルクスに大きな手で口を塞がれた。
「しっ。
今、大事なところだから。しゃべるな。」
叱られて、慌てて、手で口をおさえた。
アルテミシアのペンダントは、少しずつ揺れが大きくなって、そのうち、くるくると輪を描くように回り始めた。
すると、アルテミシアは、ぱっと目を開いて僕たちのほうを見た。
「ここだ。
この下に水はあるよ。」
「ここだな?」
ルクスは近くにあった木の棒でアルテミシアを中心にしてぐるっと円を描いた。
「わ、わし、皆に知らせてくる。」
ピサンリは慌てたように走って行った。
ピサンリに連れてこられた人々は、驚いたように僕らの顔を見ていたけれど、すぐにみんなでその場所を掘り始めた。
僕らも手伝おうと棒を取って掘り始めたら、それを見た村人たちは悲鳴を上げて、僕ら三人を日陰に連れて行った。
「どうぞ、皆さまはここで見ていてください、と言うておりますじゃ。」
ピサンリは通訳してくれたけど、わざわざ言ってもらわなくても、みんなの身振り手振りを見ていれば、なんとなく、それは分かった。
確かに、僕らはあんまり土を掘るような仕事にはむいていないかもしれない。
ルクスはまだ大丈夫だろうけど、アルテミシアや僕は、邪魔にしかならなさそうだ。
だから、ここから様子を見させてもらうことにした。
「この数年、すっかり雨が少なくなりましてのう。
雨が降らなければ、畑には水をまいてやらねばならんのじゃが。
井戸水もすっかり少のうなってしもうて。
河の水を汲みに行っておるのじゃけれども、往復に一日かかりますのじゃ。
それで、新しい井戸を作ろうと、あっちこっち、掘ってみたのじゃけれども。
なかなか、水が出ませんでのう。」
ピサンリは事情を説明してくれた。
「確かに、水の気配はとても少ないけれど。
大丈夫。この下には、ちゃんとあります。」
アルテミシアは励ますように笑ってみせた。
けれど、そこの土はなかなか固かったらしくて、掘るのには難渋しているようだった。
その日、僕らは一日中、そこから彼らのすることを見ていたけれど、結局、ほんの少ししか掘れなかった。
僕は、村人たちは僕らの言ったことを信じてくれるのかな、と心配になった。
アルテミシアの能力を、僕らはよく知っているけれど。
昨日会ったばかりの、言葉も通じない僕らの言うことを信じて、固い地面を掘り続けるなんて、そう簡単なことじゃない。
翌日も。そのまた翌日も。
村人たちは、穴を掘り続けた。
少しずつだけれど、穴は深くなっていく。
だけど、掘っても掘っても、水は出てこなかった。
それでも、彼らは、ただ、黙々と掘り続けた。
三日目、ただ見ているだけなのがいたたまれなくなったのか、ルクスも村人に混じって掘り始めた。
僕も一緒になって掘ろうとしたけど、木の棒を握る手にはすぐにマメができてしまった。
すると、それに気づいた村人たちは、また悲鳴を上げて、僕を日陰に連れて行った。
「どうか、ここで、見ていてくださいませ、と申しておりますじゃ。」
ピサンリは宥めるようにそう言った。
僕は自分のことを情けなく思った。
「君のやるべきことは、きっとまた別にある。」
アルテミシアは、僕の両手に薬草をつぶした汁をすりこみながら、慰めるように言った。
けれど、なかなか水は出てこなかった。
村人に混じって働くルクスは、すっかり日に焼けて、逞しく見えた。
僕は自分のひょろひょろの青白い指が悲しかった。
村人たちは、なかなか水が出ないことでアルテミシアを責めたりはしなかった。
疑いの言葉ひとつ、口に出したりしなかった。
僕は不思議だと思った。
それほどまでに、ここの人たちはアルテミシアを信じているんだと思った。
信じる力というものは強いなと思った。
働く人たちのために、せめてなにかしようと、アルテミシアは料理を始めた。
僕もせっせとアルテミシアを手伝った。
穴を掘るよりは、役に立つと思った。
平原の民の食べている物は、森の食料とは少し違っていたけど、アルテミシアは器用にそれを置き換えて食べ物を作った。
僕もここの食べ物をいろいろ並べて、もっと美味しいものが作れないか、一緒に考えた。
噛むと涼しさを感じる葉っぱを煎じて、配って歩いたら、なかなかに好評だった。
木の実のパイを作る要領で、油の出る草の実を潰して穀物の粉に混ぜてパイにしたら、大人気で飛ぶようになくなっていった。
あの夏至祭りの夜に、旅の民が作ってくれた肉料理も再現してみた。
あの香りのいい草の実は、ここの畑でもたくさん作られていた。
他にもいろいろと工夫のし甲斐のありそうな物があって、なんだか楽しくなってしまった。
森で使っていた薬草はここでは手に入らないけれど、ここの土地にも、薬効のある草や石はたくさんあった。
そっと手をかざし、心を清ませると、草たちの歌が聞こえてくる。
これは、お腹の痛いときに。
こちらは、怪我の化膿止めに。
熱冷ましにいい草も、疲れに効く草の実もある。
森で手に入る物とはずいぶん違っていても、ここの物にも、人のからだを元気にしてくれる力があった。
アルテミシアの料理にも、その材料を加えてもらった。
ほんのぽっちりでも、香りのする草を加えると、料理の味わいは変わる。
村人たちは、みんな喜んでそれを食べてくれたし、作り方を教えてほしいとまで言ってもらった。
あれから何日経ったのか。
そのころ、人々は、昼間と夜と二手に分かれて掘り続けていた。
井戸の底は、縄梯子を使わないと下りられないくらい深くなっていた。
月の綺麗な夜だった。
僕らは昼間働いて、夜は館に戻って休ませてもらっていた。
郷では僕ら、元気な若者、だったんだけど。
平原の民のなかに入ると、体力のないひ弱な子ども、になってしまっていた。
昼間よくからだを動かすおかげで、夜はよく眠れていた。
静かで居心地のいいこの館は、もうすっかり僕らの家に思えていた。
毎日疲れてよく眠れたから、夜中に目を覚ますなんてこと、滅多になかったんだけど。
どうしてか、その夜はぱっちりと目が覚めた。
窓から差し込む月の光は、はっとするほど明るかった。
フォォォォ…
遠く、風に乗って、声が聞こえてきた。
それで目が覚めたのかと思った。
フォォォォ、という声は続けて聞こえてくる。
いったい、なんの騒ぎだろう?
僕はベットの上にからだを起こしていた。
隣のルクスはよく眠っている。
と思ったら、遠慮がちに扉をノックする音が聞こえた。
僕は大急ぎで扉へ行くと、音をさせないように開けてみた。
そこに立っていたのはアルテミシアだった。
「…あの騒ぎ、聞こえる?」
やっぱり空耳じゃなかったんだ。
僕はうんうんと頷きながら、声を潜めて言った。
「何か、あったのかな?」
見に行ってみようか?とアルテミシアは言った。
僕は、よく寝ているルクスをちょっと振り返って見た。
「ルクス、寝てるなら、起こさないで行こう。」
アルテミシアはそう言った。
「黙って行ったら、怒らないかな?」
「大丈夫。
ちょっと行って様子を見るだけだから。」
この村の人たちは僕らの敵じゃない。
僕らはもうすっかり信用しきっていた。
近くに行くだけなら、危険なことはないかなと思った。
「分かった。ちょっと待ってて?」
僕は素早く身支度をすると、そっと足音を潜めて、アルテミシアについて行った。