表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一つの楽園  作者: 村野夜市


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

184/241

184

結局、紋章を使う方はからっきしだったんだけど。

ヘルバの書を読んで分かったのは、秘術ってのには、ありとあらゆることがあり得るんだ、ってことだ。

前に、ヘルバが、秘術は人の想像の及ぶ限りある、って言ってたけど。

その言葉の意味が、ようやくちゃんと飲み込めた気がする。


ヘルバの書には、基本的な秘術が網羅されていて、それを複合したり応用したりすることで、それこそ星の数以上に秘術はある。

いや、多分、そこに書いていなかったとしても、思い付くことができれば、それは秘術になり得るんだ。


ところで、秘術、というのは、僕ら森の民の言い方だった。

読んで字の如く、秘密の術、のような意味あいだ。

けれど、大昔それは、秘密でもなんでもなかった。

誰にでも使えるごくごく当たり前の技だった。

その頃の人たちは、それを、魔法、って呼んでいた。

平原の民は、今も、そのことを、魔法、って呼んでいるそうだ。


そういえば、大精霊も、魔法、って言ってなかったっけ。

エエルの起こす魔法、って。


魔法を起こすにはエエルの力が必要だ。

僕ら人の目には、何もないところから何かを出現させたり、突然エネルギーが発現したりするように見えるんだけど。

エエルにとっては、それはごくごく自然なことなんだそうだ。


エエルというのは、魔法を起こすだけじゃなくて、この世界の命に生きる力を与えるものでもある。

エエルのたくさんある世界は、森も水も、土も風も、命の力に満ち溢れている。

甘露の雨は畑を潤し、作物はたわわに実る。

豊かな森は世界を護り、ありとあらゆる生命にその恵みは行き渡る。


この世界のエエルは、枯渇しかかっていて、大精霊のお蔭で、今、少しずつ、回復にむかっているけれど。

現状、それはまだ、世界中に行き渡っているとは言い難かった。

僕の周りには、もう、白枯虫は現れなくなったけれど。

今もまだ、どこかの森は、枯れていっているんだ。


おそらく、たっぷり時間をかければ、それは少しずつ、回復するのだろう。

ヘルバの木は、休みなく、世界にエエルを供給し続けている。

僕はただ、ここにじっとして、世界が幸せに塗り替えられていくのを、傍観していたっていいのかもしれない。


だけど、世界に争い事は絶えないし、ルクスとアルテミシアと、彼らを信じて付き従う人々は、今も、そんななかで戦っている。

僕ひとり安穏と暮らすわけには、やっぱり、いかないと思う。


昔、畑の野菜が盗まれたとき、アルテミシアは、この世界にもっとたくさんのエエルがあれば、すべての畑は豊かに実り、誰も、盗む必要なんてなくなる、って言った。

だから、もっと早く、この世界にエエルが満ち溢れたら、争う必要もなくなるんじゃないかな。


世界中のどこもかしこも、暮らしやすい、豊かな場所になるように。

もっとずっと、遠く遠くまで、エエルを行き渡らせられたら。

世界の隅々まで、ありとあらゆる場所に。


たとえ、一緒に旅をしていなくても、僕だって、ルクスとアルテミシアの仲間だ。

遠くからだって、彼らの力になりたい。

ルクスとアルテミシアはもちろんだけど。

敵対している人たちだって、それぞれがそれぞれの場所にいて幸せになれるなら、もう争いなんて、必要なくなるんじゃないかな。


ヘルバの木は、今も、世界にエエルを供給してくれている。

だけど、僕だって、この世界の住民なんだから、この世界のために働けるなら、そうしたい。


紋章を使わなくても、魔法は起こせる。

ヘルバは、失われた古代の魔法を、再び万人が使いこなせるように、紋章術を作った。

紋章は、今の人たちにとって、一番楽に、魔法をマスターする手段だ。


僕にはそれは無理だったけど。

僕には、この笛がある。


笛を吹くことは、僕にとって、魔法を起こすことではなくて、周りの存在と一緒に歌うことだった。

それが楽しくて、ずっとそうしていたんだ。

なにか魔法を起こそうとか、そういうことは考えたことなかった。

ただ、笛をうまく吹けたとき、辺りを満たす幸せな一体感とか、そこを吹き抜ける風の爽快感とか、そういうものを感じていた。


今から思えば、あれも、魔法だったのかもしれない。

多分、癒し系?の魔法の一種なんじゃないかな。

いや、魔法だとは思わなかったけど。

魔法、ってのは、ああいうのを言うんじゃないだろうか。


そういえば、滝にお願いして、背中に乗せてもらったこともあったっけ。

あれも、よくよく考えれば、魔法、って言っていいのかもしれない。

僕的には、滝に力を貸してもらった、に近いけど。

もしかしたら、魔法って、エエルたちに、力を貸してもらう、ことなのかも。


だったら、多分、僕は、紋章を使えなくても、魔法を使える。

もしかしたら、僕みたいなのは、遠い先祖返りなのかも。

大昔の人たちは、紋章を使わずに魔法を使っていたのだから。


僕の手のなかには、思ってもみなかった力があった。

そして、それで、ほんの少し、背中を押したら、多分、世界はすいすいと、前に進むんだ。

だとしたら、それを使わないなんて選択肢は、やっぱりないと思うんだ。


ヘルバの書には、笛を使って魔法を起こす方法なんて、書いてない。

つまり、これは、あくまで僕自身の手探りだ。

紋章で爆発ばかり起こしてたくせに、こんなことして大丈夫なのかなって、不安はあるんだけど。

なんだろう?

不思議と、大丈夫、って気もするんだ。


だって、この笛のことは、誰より、僕はよく知っているもの。

土から捏ねて、この手のなかで作り上げた、僕のための笛なんだもの。

どう息を吹き込めばどんな音が鳴るのか、僕はもう知り尽くしているし。

笛は、僕の望む通りの音で応えてくれるから。


ヘルバの木の下に立って、耳をすませば、風の歌が聞こえていた。

風の歌に合わせて笛を吹けば、多分、風は応えてくれるだろう。


エエルの小さな粒を、風に乗せて。

世界の遠く遠くまで、運んでいって。


願いを込めて、笛を吹いた。

風は強くないほうがいい。

やわらかく、長い風が、世界を吹き渡りますように。


優しく優しく息を吹き込んだ。

長い息をゆっくりと笛に送る。

笛は応えて、優しい音を立てた。


みんなが、幸せだと、いいと思うんだ。

今いる場所で、幸せになれば、もうどこにも行かなくったっていいじゃないか。

いや、どこかへ行きたい人は、行けばいいけど。

そこも豊かな場所なら、誰かのものを取らなくてもいいし、そうしたら、誰も、誰かにものを取られる心配をしなくていい。


エエルさえ行き渡れば。

世界のどこもかしこも豊かになれば。

きっと、そんな世界は実現する。


場所取り合戦みたいなことは、もうしなくていい世界になるし。

居場所の奪い合いも、誰かを追い出すことも、誰かに追い出されることも、もうしなくてよくなるんだ。


祈り、というものを、そのとき僕は、初めて知ったのかもしれない。

願い、というのとは、違っていて。

それは確かに、祈りだった。

僕は何に祈っていたのか。

やっぱり、大精霊、かな。


ゆっくりと、大精霊の姿が現れた。

ああ、やっぱり、あの存在は、夢じゃなかったなんて、ぼんやりと思っていた。

大精霊は、ぱっちりと目を開いていて、僕のほうを見ていた。

それから、ひとつ頷くと、両手を高く差し上げた。

まるで、枝を広げる大樹のように。


大精霊の両腕から、信じられないくらい大量のエエルが、世界へと送り出されていく。

それはこれまでと比較にならないくらい大量のエエルだった。




























評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ