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…さま……いさま…にいさま………
なんだろう。誰かの声がする。
とても、聞きたかった声だ。
鈴を振るような…
とても心地いい…
「お兄さま!」
はっとして目を覚ました。
そうだ。長椅子で寝ちゃってたんだった。
落ち込んでいた僕は、もうどうしようもないくらい情緒不安定で、ピサンリに優しくされたら、甘えるのが止まらなくなって、そのままちょっとだけ、って寝てしまったんだ。
???
って、あれ?
開いた目に映ったのは、あの光の少女だった。
あれ?ここは家の中の長椅子じゃない。
僕は、いつの間にか家の外の、あの木のところにいた。
………そうか。
これは夢だ。
夢を見たい見たい、って願っていたけれど。
やっと、その願いが叶ったらしかった。
「お兄さま?」
少女はそう繰り返した。
僕は自分の鼻のところを指差して聞き返した。
「もしかして、それって、僕のこと?」
「ええ。
お兄さまは、同じ師に習う兄弟子ですから。」
あ。そっか。
そういう考えもあるか。
しかし、そっちはそれでよくて便利だな。
こちら側からは、妹さん、とは呼べない。
「君は?
僕、君のこと、なんて呼んだらいい?」
なんて、夢の登場人物に名前聞くとか、あまりにも不毛だけど。
にしたって、光の少女さん、なんて話しかけるわけにもいかないし。
「わたくしには、この世界のみなさまのような、名前、はないのですわ。」
そっか、なるほど。
「ヘルバは?
あなたのことを、なんと呼んでたんだろう?」
「それならば、大精霊、と。」
「だいせいれい…さま?」
そりゃあ、やっぱりあなた、大物なんですね?
なんか呼び捨てじゃなくて、さま、つけなきゃ、って感じだ。
少女は、ふふ、と笑った。
「わたくしたちの世界には、精霊が多く棲んでおります。
もちろん、わたくしも、その精霊なのですけれど。
精霊にはいろいろな種族があって、小さくか弱いものから、わたくしのように大きなものまでいるのです。
大精霊、というのは、つまり、大きな精霊、という意味ですわ。」
「なんだ。
読んだ字そのまま、ってこと?」
思わずそう言ったら、大精霊は、ふふ、と笑った。
「精霊の力は、大きさには関係ありませんし、わたくしは旧い精霊でもありませんから。
様、をつけていただくのは、少々烏滸がましいかと。」
「いやいや。烏滸がましいってことはないと思うけどね。
それに、あなたが来てくれたおかげで、今、この世界は、修復されていってるんだし。」
「そう言っていただけると、本当に来た甲斐があったと思いますけれど。
わたくしは、なにもしておりません。
ただ、ここにいるだけ、ですわ。」
「いやいや。ただ、そこにいるだけ、で尊い。
あなたはそういう存在です。」
なんか、もう、さあ。
そういう、尊いもの、って、いるんだ、って。
つくづく思うんだ。この大精霊様を見ていると。
「本当に。
来てくれて、有難う。」
「有難うございます。
そのお言葉は、わたくしに活力を与えてくれます。」
大精霊は優雅に頭を下げた。
その仕草に僕は思わず見惚れていた。
「…ぃゃぁ…すごいな、僕。
よくも、こんな見事な、大精霊…」
思わずつぶやいたら、大精霊は聞こえていたのか、はい?と聞き返された。
「だって、これは僕の夢なんでしょ?
夢ってことは、僕の頭のなかに作り出したもの、なわけだから。
つまりは、あなたのことも、僕の作り出した妄想で…」
「は?」
「いやさ、僕、あんまり人の顔見てないって言うか…
美人とか、よく分かってなかったんだけど。
あなたのことは、すっごい美人だって思うし。
ぃゃ、もしかしたら、あなたのその姿も、どこかで遭った人なのかな…
それが、無意識に記憶されてて、それで…」
「あの。
おそらく、ですけれど、これは、夢ではありませんわ。」
「またまた~。
夢でなくて、なんなの?
僕、さっきまで、家の中の長椅子でうたた寝してたんだよ?
それが、こんなところにいて、しゃべってるなんて、おかしいじゃないか。」
「………お兄さまは、おそらく、実体から脱け出して、ここにいらっしゃるのではないかと。」
恐る恐るそう言った大精霊を、僕はまじまじと見返した。
「実体から、脱け出す?」
そんなの、何回も何回もやろうとしたけど、無理だったのに。
なんで、今それが、できてんの?
「はい。
そのお姿は、わたくしと同じ、精霊に近いものですから。
そう、ヘルバさまは、そんな状態を、魂、と呼んでおられましたわ。」
「魂?」
それって、命がなくなったら、からだから脱け出していくって、あれでしょ?
「まさか。僕、死んでるの?」
「ああ、いいえ。
命を失ったものの匂いはいたしませんわ。」
「生きたまま魂だけ抜けるってこと、あるの?」
つまり、あれか。
中身、って僕が思ってたあれは、魂、だったってこと?
「…だけど、僕、今、秘術もなにも、使ってないよ?
ただ、長椅子に横になって、眠っただけだ。」
「…ひじゅつ、というのは、精霊たちの起こす魔法のことですね?
もしかすると、今、お兄さまがここにいらっしゃるのは、わたくしのせいかもしれません。
わたくしは、お兄さまにお会いしたいと、願っておりましたから。」
「願ってくれたの?
僕に、会いたいって?」
思わず舞い上がりそうになった。
うんうん。
もうこれ、夢でも、妄想でも、暴走でも、なんでもいいや。
「ええ。
だって、お約束したでしょう?
わたくしに、この世界のことを、いろいろと教えてくださる、と。」
あ。
それね?
ちょっとだけ、沸騰しそうになった頭のなかが、冷めた。
「わたくし、目を覚ましましたら、すぐに、そのことを思い出して、お兄さまにお会いしたいと思ったのですわ。」
「目を覚ましたら、すぐに?」
ちょっと待って。
その約束ってさ、前に遭ったときだから、もうずいぶん、前のことだよね?
もしかして、そのときからずっと寝ていたって言うの?
「もしかしてさ、あなたって、ものすごくたくさん寝る人?」
「たくさん、かどうかは分かりませんが…
…と、申し訳ございません…
わたくしまた、眠たく…」
あふ、と大精霊は欠伸をひとつすると、そのまままた眠ってしまった。
僕はただ呆気に取られて、大精霊のとびきりの寝顔を、しばらくそのまま見ていた。




