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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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僕らの降り立ったのは、ヘルバの木のちょうど前だった。

そこは、僕が最初にエエルを感じていた場所だった。

あれから、どのくらい時間は経っているのだろう。

夕暮れ時の残照はもうすっかり消えて、辺りはすっかり夜になっていた。

辺りには美味しそうな匂いが漂っていて、僕らのお腹は連続してぐーと鳴った。


「さて。

 夕飯にするかのう。」


ピサンリは呑気に言って、家の扉を開いた。


家に入ると、ふわりといい匂いに包まれた。

これは、あれだ。

アルテミシアの木の実のパイだ。


時間はそれほど経っていなかったのかもしれない。


今さっき竈から出してきたばっかり、といった感じのパイを大皿にのせて、アルテミシアは運んできた。


「おかえり。

 手を洗って、席に着きな。」


なんだか、外で遊んできた子どもに言うみたいに言われた。

僕らはぞろぞろと泉へ行って、素直に手を洗ってきた。


アルテミシアのパイはいつも通り絶品だった。

なるほど、これは、特別なご馳走ですね、とヘルバに言われて、僕は、ヘルバに嘘を吐いたことを思い出した。


「ごめん、ヘルバ。あれは、その…」


言いかけた僕を、ヘルバは微笑みで遮った。

それから、真っ先にパイを手づかみで口に運んだ。


「なんという美味!

 これは、懐かしさと新鮮さの見事な調和!

 こんな素晴らしいご馳走を、同じテーブルでみなさんとご一緒できるなんて、喜ばしい限りですね。」


ヘルバは大袈裟に歓声を挙げた。


確かに、アルテミシアのパイは美味しいのは間違いないけど。

ヘルバは分かってて、わざとそう言ってくれたんだ。

僕にも、それは分かったけど、有難く、ヘルバの気持ちをもらうことにした。


「ふむ。

 わしも、日夜この技術を盗もうと、画策しておるのじゃが、どうしたって、この味は出せんのう。」


ピサンリもあむあむとパイを頬張って、頷いている。


「当たり前だ。

 アルテミシアのパイは、何回も食べてる俺たちにすら、真似して作ることのできない代物なんだ。」


ルクスは何故だか偉そうに、胸をそらせて言った。


「今日のパイは、これ一枚きりだからね。

 ほら、君も、なくならないうちに召し上がれ。」


アルテミシアは僕のお皿に特大の一切れをのせてくれた。


「君のリクエストなんだから。

 ほら、ちゃんと食べな。」


ちら、っとこっちを見た、他の三人の目が、いいなあ、って言ってるみたいに見えた。

僕はあわててそこから目をそらして、お皿のパイに集中した。


さくっと一口。

そしたらもう、止めることなんかできない。

さくさくさく。さくさくさく。

あっという間に、特大のパイは、半分以上、僕のお腹に消えていった。


「うん。美味しい。」


流石に息はしないと苦しいから、いったん息継ぎをして、そのついでにアルテミシアに言った。

アルテミシアは特大の笑顔を返してくれた。


「君のその食べっぷりを見てたら、よく分かるよ。」


「しっかし、一枚だけかあ。

 もうちょっと、食べたいよなあ。」


ルクスはからになった自分のお皿を悲しそうに見つめて言った。

大皿のパイももう、全部なくなっていた。


「前は、ひとり一枚はあったろ?」


不満そうにアルテミシアを見つめる。

アルテミシアは苦笑して答えた。


「仕方ない。

 ここじゃあ、材料が、なかなか手に入らないんだ。」


「森にいたころは、いくらでも、その辺に転がってたのにな?」


「仕方ないさ。

 ここは森じゃない。」


そうだよね。

僕ら、もうずっと前に森を出て、それからずっと、森じゃない場所を旅している。

なんだか、ものすごく、森が恋しくなった。


「だけど、この街にはいろんな場所から物を持ってきて売ってるからさ。

 少しなら、こうして作ることもできる。

 それに、あの泉の水あるからな。

 あの水なら、何を作っても美味しくなる。」


あれは、遠く、異次元のアマンの地から、ヘルバの木の根っこの汲み上げる水だ。

ということは、アマンの地ってのは、美味しい水のあるところなんだ。


「あっちに行ったみんなも、美味しいもの、食べてるかなあ。」


「郷の連中か?

 さあ、どうだろうな。

 郷じゃあ、俺たち以上の食いしん坊はいなかったからな。」


そうだった。

食べ物に一番興味あったのは、誰より僕たちだ。


「そもそも、あっちには、木の実のパイとか、あんのか?」


「あちら側にも、こちら側と同じように、森はあるそうですよ。

 そもそも、こちら側の森は、あちらから種や苗木を持ってきて作られたのですから。

 作ろうと思えば同じものを作ることは可能なはずです。」


そう話すヘルバを、みんなは、へえ~、と注目した。


「それに、実りはずっと豊かだそうですから。

 食べるものにも、飲み水にも、まったく困らないと言います。

 ただ、これだけは、ね…」


そう言いつつ、厨房から、酒瓶を出してきた。


「じいさま、またそんな…」


顔をしかめるピサンリに、まあまあ、せっかく起きられるようになりましたから、とヘルバは笑っている。


「またすぐに、起きられなくなってもわしは知らんぞ?」


「またすぐに、起きられなくなるかもしれないから、今のうち、でしょう?」


何を言っても効果のないヘルバに、ピサンリは呆れて、諦めたようだった。


僕は、まだ自分のお皿に残ってたパイを四つに分けて、みんなのお皿におすそ分けした。


「いいのか?食っちまうぞ?」


ルクスは一応確認したけど、すごく嬉しそうだった。


「いいんだ。

 僕、みんなに分けてあげたいから。」


僕は、どうぞどうぞと、掌を差し出した。


「君の好物なんだから、たくさん食べればいいのに。」

「それは、お前様の取り分じゃろう。」


アルテミシアとピサンリはそう言ったけど、やっぱり嬉しそうだ。

そうだよね。

誰だって、このパイは嬉しいに決まってる。


「有難う。

 美味しくいただきますよ。」


ヘルバはそう言うと、ワインを飲みながら美味しそうに食べていた。


「みんな、今日はどうも、有難う。」


美味しそうに食べるみんなを見ながら、僕は改めて言った。

ごめんなさい、ばっかり言ってて、有難う、は言ってないなって、気づいたから。


みんなこっちをちらっと見て、それから、温かく笑ってくれた。









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