表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一つの楽園  作者: 村野夜市


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

163/241

163

それからもヘルバとの訓練は続いた。

ヘルバは教場の先生みたいに、今日はこれとこれを学びましょう、みたいに準備はしてくれない。

いつも、行き当たりばったりに、いきなり実地から入る鬼師匠だ。

だから予想外の展開も多くて、怖い目や危ない目にもたくさん遭った。

だけど、いつも、一番肝心なときには、的確な助言をしてくれたし、本当に命に関わるほど危険なときには、ちゃんと助けてくれた。

だから、僕には小さな生傷はたくさんできたけど、治らない怪我はしなかった。


思えば、あのときに、ちゃんと怖い目に遭ったから、僕には、エエルの危うさもよく分かったのだと思う。

秘術はとても素晴らしい力だし、エエルたちはみんな善意の塊なんだけど、使い方を誤れば、とても恐ろしい結果を招くのだと、つくづく骨身に染みて理解した。


いつの間にか僕は、エエルを、目に見えないお友だち、のように感じるようになっていた。

エエルはこの世界のありとあらゆるものに宿っていて、姿は見せないし、声も聞かせてくれないけれど、確かにそこにいるものだった。


エエルは性質や感情を持っていて、たとえば、力を貸してくれるときにも、違う種類のエエルは違う力の貸方をする、というのも理解した。

その感情のほうも重要で、たとえば、エエルの機嫌のいいときと悪いときとでは、起こる秘術に違いのあることも分かった。


エエルの宿る物質が姿を変えれば、エエルもまた違うものになる。

器のエエルは、器を割ったら、破片のエエルに変わってしまう。

破片になった器は、元の器と似た性質も持っているけれど、元の器にはなかった性質も持つ。

たとえば、器のエエルには攻撃的な要素はあまりないけれど、破片のエエルには攻撃の要素が加わってしまう、みたいに。

器は受け容れる力が大きいけれど、破片は打ち破る力が大きい。

器はのんびり大らかな性質だけれど、破片はどこか悲しみを背負っている。


そういうことも、ひとつひとつ、実地で理解していった。


エエルたちはいつもものすごい善意の塊で、僕の心を先読みしては、秘術を起こしてくれる。

ときには、高みに放り上げられたり、川に投げ込まれたり。

高いところは怖いし、僕は泳げない。

だけど、エエルにそんなことは分からないから、エエルにとって気持ちのいい場所に、心からの善意で、ご招待、してくれるんだ。


だから、僕は、エエルには、ちゃんと、僕のことを伝えるべきだ、と学んだ。

うん。これ、大事。

本当に、大事。


エエルは生き物じゃないことも多いから、命を失う、ことへの恐怖を持たない。

それは、生き物、の僕が、絶対にエエルに伝えなくちゃいけないことだ。


エエルにも、恐怖、の感情はあって、だから、ちゃんと伝えれば、理解してくれる。

大事なのは、ちゃんと、伝える、ことだ。


だけど、これがまた、難問だった。


ちゃんと、伝える、って本当に難しい。

こちらの意図と、相手の受け取る内容とが完全に一致するなんて、この世には皆無なんじゃないかと思う。

ほぼ合ってる、ならオッケーくらいに思っとかないと、やってられない。

だけど、ほんのちょっとのすれ違いは、秘術においては命取りになりかねない。


だから、秘術って難しい。


正直、あんまり使いたくはない。

だけど、僕の周りのエエルたちは、もう、待ったなしだから。

だから、僕は、なるべく、感情を高ぶらせたりせず、なるべく、冷静に、を心がける必要があった。


なんてこと、無理!

無理だよ、もちろん。


僕は毎日のように予想外の目に合わされ、悲鳴を上げ、怒りを爆発させ、ときどき、エエルたちはわざとやってるんじゃないかって、思いながらも、訓練を続けた。

ヘルバはそんな僕を見て笑ってた。

こんの、鬼師匠!


ルクスやアルテミシアは紋章を使って秘術を起こす。

紋章ってのは、エエルにこちらの意志を伝えるための、いわゆる定型みたいなものだとも理解した。

だから、紋章を使えば、ほぼ間違いなく、こちらの意図を正確にエエルに伝えられるんだ。

あとは、エエルの気分次第で、効果に多少の差はあるみたいだけど。

それは、困るほどのことでもなかった。


だから、僕も、本当は、紋章を使えたら、よかったんだけど…


使えるものなら、もっと早く、使ってるんだよ。うん。


…なんでダメなのかなあ…


何回か再挑戦もしてみたけど。

やっぱり、僕にはダメだった。


いろいろと試してみて、僕が辿り着いたのは、結局、やっぱり土笛だった。


笛を吹くとき、僕は決して冷静じゃない。

むしろ、感情はかなり高ぶってしまうと思う。

だけど、その僕の気持ちに、エエルたちは、ものすごく真っ直ぐに反応してくれるんだ。


エエルたちは、僕の笛が好きなんだ、ってヘルバは言う。

そうなのかな、って、僕もちょっと思う。

笛を吹くと、あちこちからエエルの気配が集まってくるのを感じるし、そのエエルたちは、大きな潮流になって、秘術を引き起こしてくれるんだ。


笛を吹くとき、僕のなかには、邪念がない、ってヘルバは言う。

そうして、エエルは、邪念のない心が何より好きなんだって。

…そうなの?

そんなこと言われても、よく分からないんだけど。

だいたい、邪念って、なに?


ヘルバは僕の質問には、いつも即座に答えてくれる。

だけど、その答えのなかには、分かりません、というのも結構、ある。

ヘルバに分からないものは、僕にはもっと分かりっこないって、そういうときいっつも思うけど。

分からない、と言うとき、ヘルバはよくこう付け加える。


今は分からなくても、分かる時には分かる。そういうものですよ。


そうなの?


けどもう、それ以上は、どうしようもないから、僕は黙るしかない。


僕は、ずっと、土笛は、好きだから吹いていた。

それから、それを喜んでくれる人のために吹いていた。

それに新しい目的が加わった。

エエルに思いを伝える、っていう。


だけど、エエルは僕の笛が好きみたいで、それを喜んでくれてるみたいだから。

喜んでくれる人のために吹く、ってのと、実はそんなに変わらないのかもしれない。


笛を使えば、圧倒的に、エエルたちは、僕の予想外の結果はもたらさなくなった。

僕も、笛になら、気持ちを乗せることは、それほど難しくなかった。

だから、僕が笛を吹くことで秘術を起こす者になるのは、必然だった。


吹くのは土笛ばっかりじゃなかった。

ほら、あの、川沿いのリョウシュにもらった家宝の笛。

あれも、試してみた。

そしたら、結果に圧倒的な違いがあるのに気づいた。


リョウシュの笛は、とにかく、効果がすごいんだ。

びっくりするくらい大きな秘術を引き起こす。

流石家宝だ。スケールが違う。

だけど、その分、細かいところにはむかない。

微調整、とか至難の技。


多分、こっちのほうが遠くに音を響かせるから、よりたくさんのエエルを呼び集めるんだ。

だから、集まる種類も、途方もなく多くなる。

そうすると、エエルの干渉が起こって、あ、その辺は、ヘルバが言ってたんだけど、とにかく、そのせいで、秘術がとてつもなく大きくなったり、予想外の展開になったりする。

今の僕には、ちょっとまだ、使いこなせない感じ。


二回くらいリョウシュの笛を使って、すっかり懲りたから、僕はまた、土笛を使って、訓練を続けることにした。


いつの間にか、僕は、この街で、笛使い、と呼ばれるようになっていた。

訓練はヘルバの木の傍でやってたんだけど、まあ、完全に人目につかなかったわけでもないし。

たまたま、その様子を見た人が、他の人にそれを話したりして。

いつの間にか噂になってしまったようだ。


そうでなくても、森の民は、石の街じゃ珍しいから、否が応でも目立つんだ。

街を歩くときには、フード付きマントを頭からしっかり被って、姿を隠したりしてたんだけど。

それって、余計に目立ってたみたい。


賢者様、よりは、よっぽど僕に合ってると思うし、僕自身、笛使い、って、呼ばれるのって、悪くないな、って、気もしたんだけど。


ただ、僕の笛は、完全に自己流だし、ちゃんと笛を極めた音楽家の人たちに比べたら、それこそ、遊びの域なわけだから、なんだか、そんなふうに呼ばれるのは申し訳ないって、気もしないでもないような…


けど、まあ、そこは、笛名人、とか呼ばれてるわけでもないし。

大目に見てもらっちゃおう、ってことに、しておこう、かな…

























評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ