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僕の枕元で、居心地のいい椅子に座りながら、ヘルバは長い話をしてくれた。
「アマンの地は、この世界に生きるすべての生命の故郷なのですよ。
そこにはいつもエエルが溢れていて、不思議なことも、たくさん、起こる場所です。」
僕は小さいころ、寝る前に聞かされたお話しを思い出しながら、じっとその話しに聞き入った。
「アマンの地には、アニマの木という木が、たくさん生えています。
アニマの木は、とてもとても長生きな木で、そして、とてもとても大きくなる木です。
また、不思議な性質を持っています。
あるとき、そのアニマの木が、次元の境を突き抜けて、この世界とアマンの地とを繋いでしまったのです。」
そんなことって、あるのかな?
だけど、それはまさしく、この世界にご先祖たちが移ってきた伝説の始まりだ。
「その木は、それはそれは大きな木だったのですけれど、大きな洞がありました。
その洞には、どこかに通じているような、長い長い階段がありました。
道があれば、その先へ行ってみたい、と思うのは、昔も今も変わらぬ人の心理というものでしょう?」
いや、それは、僕に尋ねられましても。
どっちかと言うと、僕は、あんまり行ってみたい、とは思わない方かな。
だけど、行ってみたい、って思う人がいるってのは、よく知っている。
うちにもひとり、行ってみたい、とか言う暇もなく、僕らの手を引っ張って行く人がいますから。
「そうやって、こちら側に渡ってきた人々が、この世界の人々の遠いご先祖です。
同じように通路を渡って、たくさんの獣も、こちら側へとやってきました。
だから、あちら側とこちら側とでは、人も獣も、よく似ているのだそうです。」
元は同じご先祖なんだな。
「実は、この世界には、通路となるアニマの木は複数存在していると聞きます。
通路が開くには、よほど年月を経て大きくならなければなりませんし、それ以外にも、なにか条件はありそうです。
けれど、その条件を満たして、こちら側とあちら側を繋ぐ木は、確かに、いくつか存在するのです。
正確な数は、わたくしにも分かりませんけれど。
だから、こちら側に人や獣が渡ってきた道は、複数、あったのだそうです。」
「もしかして、郷のみんなは、その通路を通って、彼の地へと行ったのかな?」
ええ、とヘルバは頷いた。
「おそらく。
ご先祖が渡ってきたアニマの木の位置は、代々の郷長が、大切な記憶として語り継いでいるはずです。
その通路は、年老いた森の民があちら側へ渡るときにも、ずっと使われてきたはずですから。
この世界においては、森の民の命は、永遠とも思えるほどにも長いもの。
長く生きた森の民は、いつかは彼の地へと戻りたいと願うようになります。
そのときは、アニマの木を通って、あちら側へと渡るのです。」
ただし、とヘルバは続けた。
「その位置の記憶は、慎重に、他の者には隠されていたかもしれません。
うっかり、その通路を通ってしまおうなんて冒険好きな子どもがいては困りますからね?」
ちょっと悪戯っぽく笑うヘルバの目は、ほら、あなたにも心当たりはおありでしょう?って言ってるみたいだった。
ええ、ええ、ありますとも。
ものすごく、あります。
「何故なら、その通路には不思議なきまりがあって。
一生に一度しかその通路を通ることはできないからです。」
「一生に一度?
それって、片道だけってこと?」
「ええ。
あちら側からこちら側へと渡ってきたご先祖たちは、二度と、あちら側へ戻ることはできませんでした。
そして、その子孫であるわたしたちは、一度、こちら側からあちら側へと渡れば、二度と、こちら側へと戻ることは許されないのです。」
それは大変だ。
確かに、うっかりしそうな子どもには、いや、大人にだって、絶対に隠しておきたい秘密になるってのがよく分かった。
というか、隠しておいてもらわなかったら、きっと僕は、とっくにあちらに行ってるに違いない。
郷長様、隠しておいてくれて、有難う。
そして、郷が彼の地へむけて出立するってことは、どういうことだったのかってのも、なんとなく分かった。
それは、ずっと分かってたはずだけど、改めて思い返したら、またちょっと辛くなった。
「木というものはね?
土のなかにあるエエルを根から吸い上げて、葉っぱから放出する。
そういうことをしているのですよ?」
僕が暗い顔になったからだろうか。
いきなりヘルバは話しを変えた。
「それは、こちら側の木も、あちら側の木も。
木というものの性質なのですよ。」
ヘルバの話しにつられてちょっと顔を上げると、ヘルバはにこっと目を合わせた。
「アニマの木は、次元を越えて、根っこはあちら側にありますから、あちら側の大地からたくさんエエルを吸い上げて、こちら側へと放出してくれています。
こちらの世界にたくさんのエエルを供給してくれているのです。」
あちら側にはエエルはとてもたくさんあるから、アニマの木がそんなことをしても、あちら側の人は、アニマの木を伐ってしまおうとはしない、ってヘルバは言ったけど。
それは、やっぱり迷惑なんじゃないかな、って、僕は思う。
「アニマの木のある森の木は、アニマの木の導きによって、アマンの大地へと根を届かせることもあります。
青々と茂る森には、たいていアニマの木があって、そんな場所には、エエルもたくさんあります。
森に生きる森の民たちが、多少なりと、秘術を使い続けることが可能だったのは、彼らの生きる森には、エエルがまだたくさんあったからかもしれません。」
僕らの郷の郷長は、節目節目のお祭りのときの祝福くらいしか、秘術らしいものは使ってなかったけど。
郷長の祝福は、いつも本当にすごくて、なんだかそれを受けると、気持ちがすっきりして、元気がわいてくる感じがしていた。
あの感じは、今もよく覚えている。
だから、僕はやっぱり、秘術ってのは、特別なものの印象だ。
掃除とか、そういうことに使っちゃいけない、ってやっぱり思う。
だいたい、そんなふうに、なんにでも秘術を使うから、こっちのエエルは足りなくなってしまったんだろう。
そこは反省すべき点じゃないかな。
秘術ってのは、やっぱり、特別なんだ。
特別に、どうしても秘術でなければできないってことにだけ、使うべきものなんだ。
それって、誰かの命に関わるとか。
ものすごくたくさんの人を幸せにできるとか。
そういうことにだけ、って、僕なら、思う。
だけど、ヘルバは、ちょっと違う。
ヘルバはこの世界のエエルを増やして、もっとたくさん秘術を使っても、問題ないくらいにしたい、って思ってる。
「今、この世界にあるアニマの木は、少しずつ、弱っています。
森が、白く枯れてしまう病に罹っているのを、ご存知でしょう?
あれも、この世界のエエルが枯渇しているからです。
しかし、本来、アニマの木というものは、永遠に近い時を生き続けられるはずなのです。
どうにかして、このアニマの木の元気を取り戻させたいと、わたくしは思っていました。
そのために、この世界も彼の地のようにエエルをたくさん生み出せる土地にできないものかと、長い時間、わたくしは考えていたのですけれど…」
ヘルバはそこで言葉を切って、僕の顔をじっと見つめた。
僕は、どきどきしながら、ヘルバの顔を見つめ返した。




