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結局、その後、僕は朝まで目を覚まさなくて、夕飯は食べ損ねてしまった。
張り切って夕飯を作ってくれたピサンリには申し訳なかったけど、ピサンリは嫌な顔ひとつせずに言ってくれた。
「賢者様がいつお目覚めになるか分からなかったから、あの夜のメニューは大したことなくての。
少し猶予をもろうて、準備しなおせてかえってよかった。」
というわけで、その翌日の朝食は、朝食とは思えないくらい豪華だった。
っても、まだ本調子じゃない僕は、あまり食欲はなかったんだけど。
僕にも食べられるように、野菜をたくさん煮込んだスープや、果汁を絞ったフルーツを用意してくれて、僕自身もびっくりするくらい、たくさん食べてしまった。
「よく遊びよく食べよく寝る。
そしたら、からだも強くなって、大きくなる。」
アルテミシアは郷のおばさんみたいなことを言った。
一応、朝、薬みたいなものを飲まされたけど、こんなものは気休めだ、とアルテミシア自身が笑っていた。
「今の君に必要なのは、あたしじゃなくて、ピサンリの力だよ。」
「ピサンリのご飯はもちろん、とびっきり美味しいんだけどさ。
もう少し元気になったら、僕、アルテミシアの木の実のパイが食べたいなあ?」
ちょっとおねだりしてみたら、アルテミシアはしょうがないな、と笑った。
「いいよ。
材料、用意しておく。」
やった。
僕はもう少し元気だったら、きっと飛び跳ねて喜んでいたと思う。
ヘルバもすっかり起きられるようになって、一緒に朝食のテーブルについていた。
もうずっと、ヘルバだけ寝台に食事を運んでいたから、こんなふうに五人揃うのは、本当に久しぶりな気がした。
まだ少しふらふらするから、その日は一日、食っちゃ寝、食っちゃ寝、の状態だった。
無理しなくていいって、みんな優しくしてくれて、僕もすっかり甘えていた。
食事のときに一階に下りる以外は、ずっと二階のヘルバの寝台を占領していた。
ヘルバがそうするようにって言ってくれたんだ。
食事もそこに運ぼうかって言ってくれたんだけど、流石にそれじゃあ甘えすぎだと思って、遠慮した。
少しは動かないと、早く治らない気もしたし。
何より、五人でテーブルを囲めるのが嬉しくて、この嬉しさを逃したくなかったんだ。
寝台に横になっている間、ヘルバがずっと僕についていてくれた。
眠って眠ってたくさん眠って、流石に僕も、少しは起きていられるようになっていた。
起きている間はヘルバと話しをした。
前は、寝台に横になるヘルバを僕が看病しながら話しをしていたんだけど。
今は、寝台と椅子が逆になっただけで、同じことをしているなって思った。
それにしても、こんなふうにヘルバが元気そうになって、本当によかった。
ヘルバは、僕のお蔭だって言うんだけど。
エエルの増幅、ってのは、僕にはまだよく分からなかった。
僕にはヘルバに聞きたいことがたくさんあったから、この状況はちょうどいいと言えばちょうどよかった。
僕はまず、あのときに見た夢?の話しをした。
「石の街の歌を吹いていたとき、僕は、この木が、どこか深いところに根を下ろして、この世界を支えているのを見たんだ。
あれは夢だったのか、それとも、本当に目に見えた現実だったのか、それはよく分からないんだけど。」
「それは、この木の真の姿であり、けれど、現実に見えたものとは少し違うものでもあったのだと思います。」
ヘルバはすごく分かりにくい言い方をした。
「現実に高いところから見下ろしても、この木の根を見ることは不可能です。
石畳に覆われた地面が見えるだけでしょう。
しかし、この木が、遠く、彼の地に根を下ろし、そこからエエルを吸い上げて、この世界を支えている、というのは、本当のことです。」
僕の顔にはきっと特大の?が浮かんでいたんだろう。
ヘルバは、僕が問い返す前に、そう説明を付け足した。
「…彼の地?」
その言葉が僕には気になった。
それは、僕らが目指す場所を言うときに使う言葉だった。
「ええ、アマンの地、です。」
ヘルバは今度ははっきりとその名前を言った。
僕はびっくりした。
アマンというのは、どこか遠くにある理想郷?みたいなところだと思っていた。
そんな、地面の下にあったなんて。
だけどみんな、そんな場所へ、どうやって行くんだろう。
いやいや、単に地面の下だって言うなら、うんとうんと穴を掘れば、どこからだって、アマンへ行けるっていうんだろうか。
郷の仲間に置き去りにされて、仲間の行ったほうを探して森を彷徨ったときのことを思い出した。
まさか、地面の下に行ったんだとは思わなかったけど。
どこか、洞窟でもあって、そこから下りて行く道、とかあったのかな。
僕の頭は目まぐるしくそんなことを考え続けていたんだけど。
ヘルバはまるで、僕が考えていることが分かるみたいに、ちょっと笑って言った。
「深い穴を掘っても、アマンには行き着きませんよ。
そこはこの世界とは違う次元にあるのです。
アニマの木だけが、次元を越えて、彼の世界とこの世界とを繋いでいるのです。」
???
どういうこと?
「アニマの木?」
とりあえず、初めて聞いた言葉の意味を聞いておこう。
すると、ヘルバはまたちょっとおかしそうに笑った。
「わたくしたちの今いる、この木、です。」
この木?
僕はあちこちぐるっと見回して、天井や壁を眺めた。
木目を活かした素敵な壁だ。
確かに、外側から見たこの木の内側に、こぉんな広い部屋があるなんて、物理的にはおかしいんだけど。
なにか不思議な力の働く木だってことは、嫌ってくらい分かってたけど。
そっか。この木はやっぱり、そんな特別な木なんだ。
「アニマの木はこの世界にいくつもあって、その根は必ず、彼の地へと届いていると言います。
そうして、彼の地からエエルを吸い上げ、この世界へと放出しているのだ、と。」
「…そんなことして、あっちの人は困らないの?
アニマの木、伐っちゃおう、とかしないの?」
だって、あっちのエエルを減らしてしまうわけだし。
こっちの人にとっては助かるけど、あっちの人にとっては、迷惑だよね。
心配になって尋ねたら、ヘルバはもっとおかしそうに笑った。
「彼の地は、エエルの溢れる土地。
アニマの木がエエルを吸い上げても、吸い上げても、彼の地のエエルが不足するなどということはありません。
そのくらい、彼の地は、エエルの生まれ続ける土地なのですよ。」
そんな楽園が、あるんだ。
「この世界の全ての命は、彼の地で生まれた、という伝説があります。」
「あ、それ、僕も夢を見たときに思った。」
あれは正確に言えば、夢じゃないかもしれないんだけど。
実際に目に見えるものじゃないんなら、やっぱり、夢に一番近いんじゃないかなって思う。
幻、って言ってもいいかもだけど。
まあ、あんまり変わんないよね。
「世界樹は命の故郷に根を張ってるんだ、って。」
「ほう。そんなことまで御覧になったのですか。」
ヘルバは僕の話しを夢だとは片付けないで、すごく感心してくれた。
「大昔、わたくしたちの遠いご先祖は、アニマの木の通路を通り、この世界へとやってきました。
そうして、たくさんの命を、彼の地より召喚しました。
それがこの世界の始まりの伝説です。」
その伝説なら、ちょっと聞いたことある。
もっとも、小さいころ、眠るときに聞かされる話しだから、あんまりちゃんとは覚えてないんだけど。
「僕の聞いたのは、確か、最初のご先祖は、長い長い階段を上って、この世界に辿り着いた。
ご先祖の後には、たくさんの生き物たちもついてきた、って、話しだった。」
「伝説というものは、少しずつ形を変えていくもの。
けれど、それは多分、同じ伝説でしょう。」
そうか。
だから、森の民は、いつかは、その地へ還るんだ。
そこは、僕らだけじゃなくて、すべての命の故郷なんだ。




