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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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目を覚ましたのは、居心地のいい寝台のなかだった。

洗い立ての寝具に包まれて、僕は気持ちよく目覚めた。

よく眠った後みたいに、少しぼんやりしていた。


枕元で看病していてくれたのは、ヘルバだった。

目を覚ましたのに気づいて、ヘルバは僕の顔を覗き込んだ。

その顔を見て、僕は、あれっと思った。

若い姿に戻ったわけではなかったけれど、肌にははりもあり、頬には赤みも差していて、こんな元気そうなヘルバを見たのは久しぶりだった。


「お水を飲みますか?」


ヘルバは穏やかな声で僕に尋ねた。

そう言われて、僕はひどく喉が渇いているのに気づいた。

頷くと、ヘルバは僕の背中を支えてゆっくりと起こしてくれた。


自分のからだを起こすくらい、誰かに手伝ってもらわなくてもできると思ったけど、存外、重たくて、こうして起こしてもらえるのはとても助かると思い直した。

起き上がると少し視界も開けて、部屋のなかを見渡せた。


ここは木の家の二階だった。

僕はヘルバの寝床をとってしまったらしい。

ヘルバは大丈夫かな、って様子を伺ったら、何も言ってないのに、ヘルバはにっこり頷いてみせた。


そっか。よかった。

落ち着いて深呼吸をすると、書物の匂いがした。

森の木みたいに林立する書棚には、ぎっしりと書物が詰まっている。

あれ全部読んだら、さぞかし賢くなるだろうなあ、なんてことを、僕はぼんやり思った。


ヘルバは片腕で、僕の背中を支えると、反対の手でゴブレットを差し出した。

ゴブレットには水がなみなみと入っていて、優しく僕の口元にあてがってくれる。

手を出して自分で持とうとしたけど、ヘルバは優しく首を振って、そのまま飲めというように、ゴブレットをそっと僕の口に押し付けた。

寝起きの僕の手はあんまり力も入らなくて、ゴブレットを取り落として寝台を水浸しにしてしまうのは怖かった。

僕は、ヘルバに甘えて、一応ちょっと手は沿えたけれど、そのまま飲ませてもらった。

金属製の重厚なゴブレットには、ちょっとびっくりしたけど、ずっしりと安定感があって、持ってもらったまま、口をつけて飲みやすかった。


一口飲んだら、自分のなかにひんやりと冷たい水の感触を感じた。

乾いた砂が水を吸い込むように、僕はそのままごくごくと飲み続けた。

途中で止められなくて、息継ぎもなしに、大きなゴブレットの水を僕は一息に飲み干した。


「おかわりは?」


飲み干したのを見てヘルバが優しく聞いてくれる。

僕は、こんな貴重なものを、もっと飲んでもいいのか、って気になってたけど、遠慮するとか断るとかはできなかった。


ただ、じっとヘルバの顔を見つめたら、ヘルバはちょっと笑って、傍らの水差しから、またなみなみとゴブレットに水を注いでくれた。


ひゃっほう!

と思わず歓声を上げたくなった。

とてもじゃないけど、そんな元気はなかったし、実際には上げなかったけど。

そのくらい嬉しかった。


「ゆっくり、召し上がれ。」


ヘルバはそう注意したけど、ゆっくりなんて、できなかった。

僕はまた貪るように、水を飲み干した。


苦笑したヘルバはまたおかわりを注いでくれた。

そうして、僕は、あと三回、おかわりをした。


どう考えても水腹になりそだったけど、不思議に、そんなことはなかった。

ただただ、水を得た僕のからだが、生き生きと動き出す気配を感じた。

とはいえ、流石に五杯も飲んだら、すっかり満足だった。


「これは、泉の水?」


聞かないでもそうに違いなかったけど、僕はそう尋ねた。

ヘルバは案の定、にっこりと頷いてくれた。


「あなたのおかげで、泉にも力が戻りました。

 わたくしも、この通り、ほら。」


そう言って、ヘルバは奇妙な体操をしてみせた。

手と足が同時に動いててちょっと変な踊りみたいだ。

僕は耐えきれなくて笑いだした。


僕の笑うのを見たヘルバは、とても嬉しそうな顔をした。

そっか。心配かけたんだ。

その笑顔を見たとき、ようやくそれに気づいた。


「…僕は、いったい、何を…」


「エエルの活性化を。」


ヘルバは短く答えた。

だけど、僕にはその言葉の意味はすぐには分からなかった。

だから僕は自分の話しをした。


「笛を、吹いたんだ。

 久しぶりに。

 そうしたら、街が、歌を、教えてくれて…」


なかなかうまく言葉にして説明しにくい。

それでも僕は、なんとかあれを伝えようと思った。


「最初は、なかなかうまく吹けなかったんだけど。

 そのうち、なんか、勘?みたいなのを取り戻して。

 そうしたら、街はずんずん難しい歌になっていって。

 必死にくらいついて…」


「歌。」


ヘルバは、聞き返すふうでもなく、ただ、そう呟いた。

そう、歌、と僕は繰り返した。


「っても、僕のは、声で歌うんじゃない。

 笛を吹くんだ。

 僕、歌うのは、下手くそだから。」


笛だって、上手なわけじゃないけどさ。

でも、笛は、練習したら、他のことよりは多少はましになると思う。


僕はヘルバに見せようと思って、いつも胸にかけてある笛を探した。

寝かせるときに外したのか、それは枕元に置いてあった。

僕がごそごそと何かを探し始めると、ヘルバはすぐにそれを察して、僕に笛を取って渡してくれた。


やっぱり、こうして手に持つと、不思議な安心感がある。

僕は思わずにこっとしてしまって、それから、その顔をヘルバに見られたかなって、こっそり伺った。


ヘルバはばっちり僕の不気味なにまにま笑いを見たはずだけど、知らん顔をしたまま尋ねた。


「それは、平原によくある笛に似ているように思いますけれど…?」


「うん。

 僕の両親がね…」


僕は笛の話しをヘルバにした。

両親と一緒に作ったところから、郷に忘れたことも。

そのついでに、両親は長い間、世界を救う方法を探して旅をしていることも話すことになった。


ちゃんと話そうと思ったら、いろいろとその前に起こったことも話さなくちゃならない。

なにもかも話そうとしたから、とにかく長い話になったけど。

ヘルバはやっぱりじっと聞いていてくれた。


ひととおり話しを聞くと、ヘルバは、ふぅ、とひとつため息を吐いた。

僕は、ヘルバを疲れさせてしまったのかと心配になった。

そういえば、いつまでもこうして僕が使わせてもらってたけど、この寝台はヘルバのものだ。


「疲れた?ヘルバ。

 ここで休んだらいいよ。

 僕と代わろう。」


寝台から下りようとした僕を、ヘルバはそっと手で引き留めた。


「いいえ。

 今日いっぱいは、ちゃんと休まないといけません。

 そういえば、お話しに夢中で、みなさんにまだ、あなたが目を覚ましたことを伝えていませんでした。

 ちょっと行って伝えてきましょう。」


ヘルバはそう言うとゆっくりと立ち上った。

枕元にあったのは、ヘルバがいつも一階で使っている座り心地のいい椅子だった。


「あなたの看病は、どうしてもわたくしがしたいと言い張ったものですから。

 ピサンリが、持ってきてくれたんですよ。」


僕の視線に気づいて、ヘルバは説明するみたいに言った。


それから、みんなを呼ぶために、ゆっくりと下りていった。













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