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ざわざわと木の葉は鳴っている。
大きな大きな風が、丘を吹き渡る。
いや、あのざわざわは、本当に、風が揺らす木の葉の音なのかな。
風はこんなふうに、吹くものだっただろうか。
ざざざざあっっっ………
大きな大きな風は、僕のマントをひらめかせ、僕は自分の存在が散り散りになって、その風に吹きさらわれるような感じがした。
ど、ど、ど、ど、ど、………
お腹の底に響くような低い音。
あれは、なんだ?
ど、ど、ど、ど、ど、………
同じ音を出してみる。
ど、ど、ど、ど、ど、………
こんな感じか?
と思った途端に、さっと目の前が開けて、僕は高いところから石の街を見下ろしていた。
ここは、どこなんだろう?
ヘルバの木の梢より、まだ高い。
梢はすぐそこに、手を伸ばせば届くくらいのところに、見えていた。
僕は、風に流されていかないように、梢につかまってからだを引き寄せた。
こんな高いところに上ったことなんてないけど。
木のてっぺんは、意外に気持ちいい場所だった。
僕の体重を支えるには、梢はあまりにも細かった。
だけど、不思議に怖さは感じなかった。
梢は風に揺れていたけど、僕がつかまっても揺れなかった。
ざわざわ…ざわざわ…
足元から木の葉のざわめく音がする。
それは、風の音のようで、どこか、波の音のようでもあった。
ど、ど、ど、ど、ど、…
木の葉のざわめきが波なら、それを下支えするようなこの音は、深い水の底。
いや。大地そのものの音か。
そう思ったときだった。
どくん。
自分のなかで、何かが大きく鳴って、世界が一度大きく共鳴した。
ど、ど、ど、ど、ど、………
そうだ。
これは、街だ。
石の街の音だ。
かーん、かーん、と甲高い音がそれに混じる。
かーん、かーん、かーん………
僕は音を探しながら笛を鳴らす。
さっきほど簡単ではなかたけれど、何度もやっているうちに、ようやくその音を見つけた。
ど、ど、ど、ど、ど、………
かーん、かーん………
ざわざわざわ、と揺れる葉擦れの音が、まるで、上手上手と褒めてくれているように聞こえる。
そっか。これで合ってるんだ。
そう思った瞬間、もっといろんな音が、洪水のように、僕の周りに押し寄せた。
音に溺れそうになりながら、僕は、その音のひとつひとつを聞き分けようとした。
とてもじゃないけど、聞き分けなんてできっこない、って一瞬思いかけたけど。
ゆっくり、ひとつひとつに集中したら、どれも、聞いたことのない音ではなかった。
街には、いろんな音がある。
人の声だけでも、それこそ数えきれないくらいの種類。
物売りの声。世間話をする人たちの声。
子どもの泣き声。はしゃぐ声。
子を叱る親の声。励ます声。
年老いた声。若い声。
優しい声。尖った声。
それから、石の道を歩く音。
こつこつ。どたどた。だだだだだ。
荷車の音。馬車の音。
どこかで石の壁を壊したり、作ったり。
木を切ったり、削ったり。
それ全部、街の音だ。
石を叩く雨の音。
固い通路を吹き抜ける風の音。
人が出す音でなくても、街の音はたくさんある。
本当に数えきれないくらいたくさんの音が、いきなり、僕のなかへと渦を巻いて流れ込んできた。
……………
うわ、だめだ。とても処理しきれない。
心じゃ、だめだ、だめだ、もう、だめだ、って思いながら、それでも僕は、音を歌へと変換し続けた。
石の街の歌。
あの川沿いの町で、みんなと歌った歌を思い出す。
人の営みの歌だから、どこか似ているかもしれない。
それは、重厚で、何層にも重なり合っていて、ところどころ不協和音で、なのに、全体はとてもしっくりきて。
大きくて、強く、固く、だけど、内側は、優しい。
大きな大きなものが、大勢の人を包み、守り、抱えている。
そこへ加わる、葉擦れの音。
ざわざわ…
一見異質なのに、それもまた、この歌には絶対に欠かせない音だった。
僕は夢中になって笛を吹き鳴らした。
誰かに聞かれるとか、うるさいだとか、もうそんなことは忘れていた。
ただただ、今は、この歌を追いかけたくて、目の前からするすると逃げて行く歌の尻尾を捕まえたくて。
何も考えず、ただ、笛を吹いていた。
どくん。
僕のなかで、心臓が跳ねた。
なにかが、起きる。
そんな予感がした。
不安だけど、怖いけど、それを見届けようと目を開けた。
いつの間にか、僕は、目もつぶってしまっていた。
梢に捕まっていた、とずっと思っていたけど、僕の傍にはもう梢はなかった。
僕はうんとうんと高いところから、街全体を見下ろしていた。
あの大きな街の全体を見下ろせるなんて、僕はどれだけ高いところまで行ってしまっていたのか。
だけど、不思議と恐怖は感じなかった。
すっかり日は暮れていて、街に灯りが灯る。
あの光のひとつひとつの傍に、人がいる。
星のように瞬く光を、僕はとても愛おしいと思う。
光は音を出さないけれど、その配列を見ていて、また歌が聞こえてきた。
僕は、街の光の歌を追いかける。
石の街は、僕に、歌を教えてくれているんだ。
その教え方は、森の木々ほど、ゆっくりじゃない。
だから、僕は必死にくらいついていかなくちゃ。
どっちがいい、とかじゃなかった。
どっちもいい、としか言いようがなかった。
ただ、僕は、吹き続けた。
この世界に、これほど素晴らしいものがあることに、心から感謝をしながら。




