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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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その日は疲れ切っていて、だから、僕は、ヘルバの木には寄らずに、ピサンリの家に真っ直ぐ帰った。

もうすっかり慣れた居心地のいいベットに入ったら、そのままぐっすり眠ってしまって、そうして、夕方になるまで、目を覚まさなかった。


目を覚ましたときには、もう辺りは少し暗くなりかかっていて、僕は慌てて、ヘルバの家にむかった。

ピサンリは、ヘルバの家に行っているのか、姿は見えなかった。


お腹がぺこぺこだけど、ヘルバの家に行けば、なにか食べさせてもらえるだろうって思ってた。

ピサンリは、いつも、みんなのご飯を用意してくれていたから。

昼食時は完全に逃してしまって、夕飯にはまだ少し早いけれど、午後のお茶用のお菓子ならあるんじゃないかな。

パウンドケーキかなにかあるといいなって、呑気にそんなことを考えていた。


木の家に入った僕は、なんだか、いつもと違う雰囲気を感じ取った。

入ってすぐのところの居間には、いつもなら必ず誰かいて、大テーブルに図面を広げたり、道具を並べて何かしていたんだけど、今日は誰もいなかった。


下かな?

ピサンリなら、圧倒的に厨房にいる確率が高い。

僕は、ピサンリ~、お腹すいたよぉ~、などと呑気なことを言いながら、階段を下りていった。


だけど、そこにも、誰もいなかった。


ちょろちょろと泉の音だけが、妙に響く。


おかしい。


家に入ってすぐに感じた違和感が、僕のなかで膨れ上がって、もっとしっかりした形を取った。

だけど、不安の正体にまでは、まだ至っていなかった。

ただ、なんとなく、漠然とした不安を感じながら、僕は仲間たちを探して、階段を上った。


誰でもいい、誰かいれば、きっと安心する。


そんなことを思いながら、ゆっくりと階段を上っていく。


元々ヘルバの寝室だったこの部屋は、今はすっかりルクスに占領されていた。

小さな、けど、寝心地のいい寝台がひとつと、あとは、森みたいに書棚がたくさんある素敵な部屋だ。


森の木みたいに立っている書棚のせいで、階段を上っても、すぐに部屋のなかは見通せない。

普段は、それがまた、居心地のいい理由にもなってたんだけど。

今は、ぐるぐると探さないといけないのが、ちょっと面倒だった。


二階に上がった僕は、そこに人の気配があるのを感じた。

それも、ひとりじゃない、複数だと思う。

だけど、そこはしんとしていて、誰も話しをしていなかった。


書棚の森を抜けて、ようやく寝台に辿り着いた僕は、そこに全員が集まっているのを見つけた。

僕は心臓がぎゅっと掴まれたみたいな心地がした。

こんな場所に全員集まってるなんて、きっと、良い事じゃない気がした。


恐る恐る声をかけようとしたら、アルテミシアがこっちを振り返った。

先から僕に気づいていたのか、驚いた顔もせずに、ただ、やあ、と言った。

その挨拶が妙に場違いな感じだと思ったのに、僕も、同じように、やあ、と返した。


「お腹、すいておるかの?」


寝台の枕元に膝をついて屈みこむようにしていたピサンリは、ゆっくりとからだを起こして、僕のほうを振り返った。

その隙間から、寝台に横になっている人の姿が見えた。


「……、誰?」


思わずそう言った僕に、その場の全員が、小さな笑い声を漏らした。


僕はちょっと憮然とした。

こんな人、知らない。

みんなは知ってるのかもしれないけど、僕は寝てたんだから、知らなくてもしょうがないじゃないか。


真っ白の長い髪は、まるで寝具みたいにからだを覆い尽くしている。

髪に埋まったからだは、細く痩せていて、ちらっと見えた手は、骨の形がはっきり分かるくらいだ。

顔には、深い皺が年輪みたいに刻まれていて、目も鼻も口も、皺に埋もれている。

とにかく、すごいお年寄りだって、ことだけ、見て分かった。


お年寄りの小さな目がきらりと光って、僕のほうを見た。


「…おどろ、か、せて、しまって…もうしわけ…ありません…」


寝台に横たわった人は、途切れ途切れにそう言った。

その声はひどくかすれていて、ひゅうひゅうと息を吸う音が間にはさまっていた。


それだけ言うのがやっとのように、その人は、苦しそうに咳き込んだ。

慌ててルクスがその人の背中をさすった。


ピサンリも、枕元の水差しから水を飲ませた。

なんだか、酷く具合が悪そうなのは、見ているだけで分かった。


アルテミシアの煎じた薬が、小さなカップに入れてあるのが見えた。

その横には、粉に挽いた薬もあった。


旅の重病人が、たまたま家の前で倒れたか何かして、みんなで介抱している。

ってとこかな?


「…そうだ、ヘルバは?

 ヘルバはどこ行ったの?」


この場にいないもうひとりに気づいて、僕はみんなに尋ねた。

すると、みんな、また笑った。

今度の笑いは、さっきよりももう少し大きかった。


「ここに、おりますよ?」


寝台のお年寄りがそう言う前に、僕は、はっと気づいていた。

そう、みんなが、もう一度笑ったときに。


僕は寝台に駆け寄ってヘルバを見た。

ヘルバは皺に埋もれそうな小さな目を見開いて、僕のほうを見ていた。


口を開きかけたヘルバの肩を、僕は押しとどめた。

何か話したら、またさっきのように咳き込んでしまう。

今は、こんな状況のヘルバと、急いで話さないといけないことなんて、何もない気がした。


服と上掛けとあったはずなのに、とっさに抑えた指先に、ヘルバの肩の骨の感触が伝わってきた。

その感覚に、ぞくりとした。

そのまま僕は、崩れ落ちるように、しゃがみこんだ。


「…ごめん…ごめん…ヘルバ…」


僕はヘルバの上掛けに取りすがって泣いた。

ヘルバの骨ばった手が、ゆっくりと僕の髪を撫でてくれるのを感じた。


「…なにを、あやまる…」


ヘルバに話させたくない!

そう強く思った僕は、はっと立ち上ると、正面からヘルバの目を見つめた。

ぽたぽたと涙がヘルバの上に落ちた。


僕がじっと見据えると、ヘルバは開きかけた口を閉じて、ただ、にっこりと微笑んだ。


だから僕は、もうこれ以上ヘルバに話しをさせないために、急いで先に言った。


「僕のせいだよね?

 僕が秘術なんか使ったから。

 エエルを無駄遣いしたから。

 ヘルバは、そうなっちゃったんだよね?」


こっちをじっと見ていたヘルバの目に、盛大な?が浮かんだ。

きょとん、と首を傾げる仕草は、まさに、ヘルバ、そのものだった。

それがあまりにも、そのまんまだったから、僕はまた辛くなって、涙やら鼻水やらぼとぼとと落ちてきた。

だけど、それに構わず、僕は続けた。


「どうしたらヘルバは治る?

 僕、なんでもやる。」


僕を見つめるヘルバの目は、すごく優しい。

だけど、それがもっと深みを帯びて、優しく、優しく、なった。


僕はたまらなくなって、ヘルバの上掛けに顔を埋めて泣いた。

誰も、何も、言わなかった。

だけど、温かい手がいくつも、僕の髪や背中を撫でていた。

 











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