表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一つの楽園  作者: 村野夜市


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

147/241

147

ヘルバの薬はほんのちょびっとだった。

だから、まくことができたのも、ほんの足元の少しだけ。


だけど、足元から湧き出した黒枯虫は、ものすごい迫力で、もくもくと広場中に拡がっていった。


あっという間に、僕の視界は黒枯虫に埋め尽くされた。

いきなり、まるで、闇のなかに突き落とされたように、辺りが真っ暗になった。


この闇の全てが、虫だと思うとぞっとする。

もしかしたら、呼吸で吸い込んでしまうんじゃないかって思い付いて、慌てて息を止めて口の中を探った。


幸い、口の中に特段、普段と違った感じはなかった。

変な味も臭いも、舌触りも、ない。

とりあえず、恐る恐る呼吸は再開する。

息をしていないと、ものも考えられないし、動くこともできないから。


多分、だけど、ピサンリには、この黒枯虫は見えてないんだろう。

今僕にはピサンリの姿は見えないけれど、おそらく、ピサンリには僕は見えていて、そうして、きょろきょろとし始めた僕を不審に思ってるかもしれない。

試しに、ピサンリのいた方へ手を伸ばしたら、誰かがぎゅっと手を握ってくれた。

この手触りは間違いない、ピサンリの手だ。


ピサンリに手をつないでもらって、ますます安心した僕は、落ち着いて、考えてみた。


もしかしたら、黒枯虫、には、実体、というものはないのかもしれない。

霧だって、ずっとその中にいたら、じっとりと濡れてしまうけど。

黒枯虫は、霧以上に、なにもない、んだ。


虫、というのも、本当は違うのかもしれない。

白枯虫のことがあって、なんとなく、虫、と呼んでいたけど。

もし、この黒枯虫のほうを先に見ていたら、多分、虫、じゃなくて、黒い霧、って呼んでたと思う。

どんなに目を凝らしても、虫、の姿は見えないから。

いや、濡れたりはしないから、正確には、霧、でもないんだけど。

僕の知っているもののなかでは、一番、それが、近い感じなんだよね。

もちろん、霧ってのは、白いもので、黒い霧なんて、実際には見たことないけどさ。


黒い霧に閉じ込められるのは初めてじゃなかったから、割と落ち着いていたかもしれない。

そのうちに、ぶぶぶぶぶ、という音と共に霧を晴らす祓い虫が現れた。

もちろん、僕がぼんやりしている間に、ブブが働いてくれてたからだ。


祓い虫は、あっという間に、辺りの霧を食べつくしていく。

祓い虫のほうは、ちゃんと、虫、の姿に見える。

もっとも、そんなに小さいものじゃないから、間違って吸い込むんじゃないかって心配はいらない。


お腹いっぱいに食べた祓い虫は、ぼとっ、ぼとっ、って音を立てて落ちるんだけど。

その姿もちゃんと目に見える。

もっとも、霧は低いところほど濃くて、高くなるほど薄い。

地面に落ちた祓い虫は、まだ濃い霧に隠されていて、どうなっているのか見えない。

だけど、しゃがんで確かめるのは、今日はやめとく。

前に、そうしようとして、踊ってる人にぶつかられたことあったから。


多分、だけど。

触って確かめても、祓い虫は、分からないんじゃないかな。

だって、明るくなってから見ても、そこには、なんにもない、んだから。


みるみる視界が晴れていく。

案外近くにいたピサンリは、僕の手をぎゅっと握ったまま、反対の手を僕の背中に添えるようにして、心配そうにこっちを見上げていた。


「大丈夫かの?賢者様?」


「あ。…ごめん…

 今、僕、どうなってた?」


「ぼんやりしなすって。

 何度声をかけても、聞こえておらんようじゃった。」


なるほど。

あの黒い霧に包まれている間って、そうなってるんだ。


「大丈夫だよ。

 心配させてごめんね。」


僕は精一杯、ピサンリに笑ってみせた。


そうしている間にも、通りかかる人たちは、ときどき僕にぶつかりそうになっている。

どうやら、僕がぼんやりしている間、ピサンリはずっと僕が突き飛ばされないように、ずっと守っていてくれたらしかった。


「とりあえず、人のいないところへ行こう。」


足元にはまだ破片がたくさん転がっている。

転ばないように気を付けて、そろりそろりと僕らは広場の端っこに避難した。


歩きながら、そっと、靴の先っぽで破片をどかしてみたけど。

やっぱり、そこには、破片以外のものは、何もなかった。


だけど、僕の予想だと、あとは、ここに朝日が差したら。

もしかしたら、起こるかもしれない。


いつも、あれが起こるのは、朝になってからだった。


端っこに避難した僕は、ピサンリに今起きたことを説明した。

うまく話せたかどうか分からないけど、ピサンリは目を丸くしたまま、じっと聞いていてくれた。


「それは、賢者様の、秘術なのかのう?」


「ヘルバはそう言うんだ。」


「つまり、賢者様は、紋章を描くことなしに、秘術を使える方じゃ、と。」


ピサンリの視線が眩しくて、僕は目を逸らせながら、うーんと首を傾げた。


「秘術を使う人って、やっぱり、なんか、特別な人だよね?

 族長とか、さ。

 僕は、自分がそんな特別だとは、どうしても思えないんだけど。

 紋章だって、少しも覚えられないし。

 ルクスやアルテミシアのほうが、よっぽど、特別な人、なんだと思う。」


「大昔、人は、誰もがみな、秘術を使うていたそうじゃ。

 そのころの人は、紋章も使わんかった。

 じいさまも、紋章なしに、秘術を使うておる。

 秘術を使うのは、おそらく、特別な人、ではないのじゃよ。」


「だったら、僕にも、できるのかなあ…」


先祖返り?とかいうのだとしたら、あり得なくもない?


「とりあえず、これから、それを確かめるよ。」


ゆっくりと遠くから夜の闇は薄まり始めている。

本当に、それ、は起きるのか。

この目で確かめなくちゃ。


僕は身を乗りだして、じっとそれを見ていた。














評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ