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鳥の声がした頃から、少しずつ人は減っていって、気づくと、広場には僕らのほかにはもう誰もいなかった。
夜の色はみるみる薄くなって、お日様が顔を出すと、決定的にそこは昼間の世界になった。
ルクスは一晩中踊って、すっかり疲れ果てていた。
どこかから木箱を拾ってきて、僕の隣に座っている。
ピサンリも同様に木箱を見つけてきて、座っていた。
「いやあ、この木靴、助かったよ。」
ルクスは木靴の踵を、とんとんと鳴らしてみせた。
「俺の足にぴったりだし、履き心地も最高だ。」
「ヘルバの木を使っているからだよ。
あれは特別な木なんだ。」
靴を作っているときに、それは僕も感じていた。
あの木は、僕の意図を察したように、するするとその形になっていくんだ。
まるで、木そのものが姿を変えるみたいに、あっという間に靴になっていた。
その靴は、誰の足にも吸いつくみたいにぴったりだった。
「そっか。
しっかし、こんな街のど真ん中に、あーんな立派な木、よく生えてるよな。」
確かに。
なんとなく、特別な木って、森の奥深くにひっそりといる印象だよね。
「だからこそ、特別なのかも。
石の街のど真ん中に、あんなに立派にいられる、ってのが。」
なるほどなあ、とルクスはもう一度自分の足をしげしげと見た。
「この靴、すっげー軽いし、動きやすいし。
俺、もうずっと、これを履いていようかな。」
街は足を怪我するようなものもよく落ちているし、そのほうがいいのかもしれない。
僕も、ちょっと重たいけど、そうしようかな。
そんなことを話していて、ふと、何気なく、広場のほうを見た。
そうして、僕はそのまま目を見張った。
消えている!
あんなにあったゴミも破片も、きれいさっぱり消えているんだ。
まるで、朝日に霧が晴れてしまったみたいに。
だけど、あれは幻なんかじゃなかった。
だって、その証拠に、僕の手はまだ布でぐるぐる巻きにされていたし、念のため傷のところを押してみたら、ちゃんと、ずきずき痛かった。
僕の視線に気づいたルクスとピサンリも、同じように広場を見て目を丸くしていた。
「消えて、やがる…」
「嘘じゃろ…」
これは、自分の目で見なくちゃ、やっぱり信じられなかったと思う。
あんなにあった破片もゴミも、綺麗さっぱり消えてなくなって、なんなら、石畳は今さっきブラシでこすったみたいに、ぴかぴかになっていた。
「誰か、掃除、してた?」
僕はふたりの顔を見て尋ねた。
もしかして、ふたりのどっちかが気づいてないかなって思って。
だけど、ふたりとも、いいや、と、首を振った。
「…いったい、何が、どうなってるんだ?」
だいたい掃除したにしても、集めたゴミも何も、どこにもない。
こんなに短時間にこんなにぴかぴかにして、ゴミもどこかへ持って行って、その上気配ひとつさせないなんて。
あり得ない。
ルクスは広場の中央に走って行って、地面に手をついて確かめ始めた。
僕もついていって同じようにする。
だけど、破片の欠片も落ちてなくて、って、そもそも破片って欠片なんだけど、本当に破片のはの字も、ゴミのごの字も、見当たらなかった。
ついでに言うと、黒枯虫や祓い虫の痕跡もまったくなかった。
もちろん、エエルの石も。
なにもかも、まったく、石畳の他には、そこにはなかったんだ。
「…これは、いったい、どういうことなんだろう?」
途方に暮れるしかなかった。
「とにかく、これ以上ここにいても仕方ないな。
帰るか。」
ルクスに促されて、僕らはいったん帰ることにした。
道々、僕は考えていた。
あの破片はどこへ行ったんだろう。
確かに、朝になるまでは、あそこにあったんだ。
なにか、関りがありそうだとしたら、黒枯虫か、祓い虫なんだけど。
そのどっちも、跡形もなかったし。
それどころか、ピサンリは、僕が黒枯虫を見ている間も、そんなものは見えない、って言ったんだ。
「ねえ、ルクス。
ルクスは、黒い霧のようなもの、見なかった?」
何気なく尋ねたら、ルクスは、ああ、と軽く答えた。
「黒い霧か?
それって、踊ってたときか?」
もしかして、ルクスは見たの?って、僕は一瞬期待したんだけど。
うーん、どうだったかなあ、ってルクスは首を傾げた。
「見た、ような気もする。
しかし、見なかった、ような気もする。」
思わず、舌打ちしてしまった。
そしたら、ピサンリとルクスがぎょっとしたようにこっちを見た。
あ。
「ごめん、お行儀悪かった。」
「いや、お前が、それは…珍しいな。」
ルクスはちょっと顔を引きつらせていた。
うん。
僕は滅多に舌打ちとか、しないんだけどね。
今のは思わず出ちゃったんだ。
やっぱり、黒枯虫のことも、祓い虫のことも、朝になると破片が消えちゃう理由も、なんにも分からないままだ。
このままじゃあまりに気持ち悪い。
って、思って、僕はその後、何度も同じことを繰り返すことになった。
ひとり、では、ピサンリは行かせてくれなかったから、一番少ない人数だとピサンリとふたりで。
あとは、アルテミシアがいたり、ルクスがいたり。
ヘルバは、もうたくさん、って言って、一度も来なかったけど。
その後、何度も、僕は夜ごと、あの広場へ行って確かめた。
毎晩出かけるために昼間に寝て、夜昼逆転した生活は、はっきり言って辛かった。
だけど、どうしても、その理由を突き止めたかった。
ルクスとアルテミシアは出来る限り、協力してくれた。
ピサンリは、たまには休んで、って僕のほうから頼むくらい、いつも協力してくれた。
だけど、その後は、二度と、黒枯虫も祓い虫も、現れることはなかった。
広場に投げ捨てられた破片やゴミは、少しずつまた、蓄積し始めた。
あんなにぴかぴかになってたのは、嘘みたいだった。
朝が来ても、とげとげの欠片は、まるでやり場のない怒りをむけるように突き立っていた。
ゴミの腐る嫌な臭いは、瘴気のようにそこを覆った。
だけど、誰も、それをどうこうしようとはしなかった。
そうして、毎晩、そこに、また新しい破片と瘴気が積み重ねられていった。
何度も行くうちに、僕も少しずつ慣れてきて、不用意に転んだり怪我したりもしなくなった。
というか、怪我したのって、結局、一回目と二回目だけだった。
アルテミシアは痛み止めやら膏薬やら、あれこれと改良を繰り返して、なんだかすごいのを作り出していたけど、それを使うこともなかった。
隠れるのも上手になって、いつも物陰から、広場の様子を観察していた。
ルクスは一緒に来るといつも広場の人たちと一緒に踊っていた。
いつの間にか、すっかり人気者になっていて、ルクスが行くと、すぐに広場全体のダンスパーティになった。
だけど、そのパーティ会場に、黒枯虫や祓い虫は現れなかった。
アルテミシアはルクスみたいにみんなに混じることはしなくて、僕と一緒に一晩中、物陰に隠れて広場を観察していた。
僕の気づかない細かいところにもよく気づくアルテミシアだったけど。
そのアルテミシアでも、黒枯虫や祓い虫は、見つけることはできなかった。
いったい、何が違うんだ?
僕は改めて条件を並べ直しながら考えた。
だけど、分からない。
むしろ、僕は、いろいろと要領もよくなっているはずなのに。
怪我だってしなくなったのに。
で、はっとした。
怪我、してないんだ、僕が。
違いがあるとしたら、それだけだった。




