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夕食後、少し仮眠をとってから、真夜中に僕らは出発した。
ヘルバの木の前で待ち合わせだったけど、僕らが行くよりだいぶ早くから、ルクスはそこで待っていたみたいだった。
「お前、二晩続きで、大丈夫か?」
僕の顔を見るなり、ルクスはそんな心配をしてくれた。
「大丈夫だよ。
昨日はほとんど一日中、長椅子に寝転がっていたし。
お昼寝もたっぷりしたから。」
僕はすっかり元気だった。
木靴はぽくぽくと足音を立てるから、新々街の門のところまでは持って行くことにした。
靴を入れた袋を背負って、僕らは歩き出した。
すると、それに合わせたように、ブブが、僕の胸から飛び立った。
「あいつも、元気そうだな。」
ブブを見上げてルクスはちょっと笑った。
ブブは僕らを先導するように少し前を飛んでいく。
今日は行先は分かっているから、昨日みたいについて行くのに焦ったりはしなかったけど。
考えてみれば、昨日だって、あんなに焦らなくても、ブブはちゃんと待っていてくれたのかも。
「本当に、不思議な虫じゃのう。」
ピサンリは感心したようにブブを見ていた。
静まり返った夜の街を、足音や声を潜ませて歩いていく。
小石を蹴ってしまっただけでも、辺りに大きな音が響いて、どきりとした。
新々街のあの喧噪は、ここにいると嘘みたいだ。
「静かだな。」
ルクスは多分みんな思ってることを、口に出して言った。
「石の家は、中の音は外に聞こえんからの。」
この街に着くまで、いろんな場所を通ったけれど、寝静まっていても、なんとなく人の気配を感じたものだ。
だけど、ここは、夜になると街というより、石の迷路みたいだと思った。
大通りはまっすぐに街を貫いているけれど、家の間の道はぐるぐると入り組んでいて、予想外の方角へ連れて行かれたり、予想した通りに道がなかったりする。
そこをブブは迷う様子もなく、なんだか、断固とした意志を持つもののように飛んでいく。
「あいつ、道、分かってるんだろうな。」
ルクスはちょっと感心したみたいに言う。
「わしも、自分の家の辺りは分かっておるが。
この辺りまで来ると、どの道を行けば、どっちへ繋がるのか、さっぱりじゃ。」
ピサンリは小さく笑った。
「大通りを行けば道には迷わんからの。
どこかへ行くには、まず大通りへ出て、そのまま真っ直ぐに行っておったのう。」
「なんで、ブブは大通りを通らないで、わざわざこんな迷路を行くんだろ?」
「さて、虫の考えておることは、よう分からんが、流石に大通りは真夜中でも人通りがあるからのう。
目につかんように、わざわざこうしておるのかもしれん。」
そっか。そうだったんだ。
「ブブは、そんなことまで気にしてくれてたんだね?」
「どうかの。
単に、近道をしているだけかもしれんけどのう。」
「いや、ぐるぐる回るよりは、最初は多少回り道でも大通りを通るほうが早いだろう。
しかし、虫にとっても、人には出くわさんほうがいいのかもしれん。」
確かに。
虫の嫌いな人は多いし、下手に人の多いところに行けば、騒がれたり攻撃されたりするかもしれない。
ブブって、可能な限り、人の多いところは避けている印象だ。
それに、虫を追いかけている僕らだって、変に目立っちゃうより、このほうがよかった。
「そういえばさ、ここに来る前も、僕、よく、ブブのこと見失ったんだけどさ。
ブブはブブで、いっつも、なにか理由があって、道を選んでいたのかなあ。」
ブブと話しができたら、聞いてみたいことだらけだと思った。
そんな話しをしている僕らに、ブブは完全に知らん顔で、ただひたすら、ぶぶぶぶぶ、と飛んでいる。
ただ、今日は、僕らはブブを見失うことはなくて、それって、置いて行くつもりはない、って言われているようにも感じた。
そのうちに、新街との間の壁に辿り着いた。
昨日は、ヘルバの秘術で飛び越えたんだけど。
今日は、ピサンリがちゃんと縄梯子を用意していた。
背中に背負った袋、ピサンリのはやけに大きくて重そうだと思ったんだけど。
なんだかいろいろ、道具も持ってきてくれてたみたいだ。
「話しを聞いておったからのう。
必要そうな物は用意してきたんじゃ。」
流石、ピサンリ。
ピサンリ自身は器用に壁に手足をかけて上ってしまう。
そのまま壁の上に辿り着くと、縄梯子を下ろしてくれた。
やっぱり、いろいろと、流石、ピサンリ。
そうして、いつの間にか、新街を抜けて、新々街との間の壁が見えてきていた。
音はまだ聞こえてこないけど、壁の上の方に煌々と灯りが見える。
昨日はもっと近づかないとあれに気づかなかったなと思った。
多分、ブブについて行くのに必死で、遠くを見る余裕がなかったんだ。
その光は、石の壁を真っ白に照らしていた。
まるで、大きな夜にむかって、精一杯拳を振り上げて抵抗しているようにも見えた。
「なんだか、昨日より早く着いた気がする。」
「二回目で慣れたからじゃろ。」
そうなのかな。
確かに、昨日は道々ずっとどきどきしっぱなしで、どこへ何をしに行こうとしてるのかも分からなくて、おまけに、胸のなかは、なんだかいけないことをしているみたいな気持ちでいっぱいで、とにかく、いろいろ辛かった。
だけど、今日は、昨日に比べたら、いろいろと、楽かもしれない。
ルクスとピサンリがいるのも、安心なのかもしれなかった。
「でも、今日は僕、昨日みたいには踊れそうにないなあ。」
あれは、ヘルバの秘術に助けてもらったからできたことだ。
普段の僕が、あんなふうに軽々と踊るなんて、あり得ない。
「そっちは、ピサンリに任せるね?」
ピサンリの身軽さは、僕らのなかじゃぴかいちだ。
「わしが踊っても、効果はあるか分からんがの。」
確かに。
踊っている平原の民は大勢いるし、ピサンリだと気にも止められないかも。
「なら、俺が踊るか?」
ルクスはふざけて手足を振り回してみせた。
その動きがなんだか滑稽で、僕はちょっと笑ってしまった。
そうして、笑ってから気づいた。
「やっぱり僕、ちょっと、緊張してきたみたい。」
「そりゃそうじゃろ。
当たり前のことじゃ。心配いらん。」
そっか。緊張するのも当たり前か。
そう言われると、なんだか、それはそれでほっとした。
僕らは木靴に履き替えた。
ぽくぽくと足音が夜の街に響く。
だけど、もうそれもうるさいとは思わないくらい、壁のむこうの世界からは喧騒が伝わってきていた。




